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父が突然いなくなった話(後)
私が父のマンションに到着してすぐ、警察から家族全員に父の写真を持っているかどうか確認された。
確か、携帯に娘が生まれたときに撮った、娘と父の写真があったはず…と探すも、画質が粗くあまり参考にならなかった。
そして、しばらくして
「どなたか顔をご確認いただけますか?」
と言われ、そこにいた私たちの空気が張り詰めた。
真夏に死後数日経過してるため、かなり腐敗が進んでいる。
マンションの外まで強い異臭がするほどに。
母はずっと気分を悪そうにしている。
想像するだけでも怖いのに、現実で直視できるはずがない。
弟を見ると、絶対無理と拒否。
起きた状況のショックで今にも倒れそうな母には、とてもお願いできる状況ではない。
正直、私も怖いし絶対無理。
と思っていた。
でも、誰も最期の顔を見てあげないなんて、可哀想。
これまで疎遠だったけど、死んだ時でさえも父を突き放したままにするなんて嫌だ。
そう思って覚悟を決める。
びっくりして心臓が止まらないように、警察には事前に父はどういう状態なのかを聞いた。
たぶん、だいぶオブラートに包んでくれたんだと思う。
が、余計恐怖が増す。
さっきまで悲しくて泣いていたのに、それに上乗せするかのように別の感情が混じっておかしな心情だった。
室内に入り、父がいる場所に誘導された。
もう立っていられないほどの臭いで気持ちを持たせるのが、すごくしんどかった。
警察が、父の顔を持ち上げて私に見せてくれていたが、正直、父なのかどうかも判別なんてできなかった。
顔のこの当たりにホクロがありますよ。
なんて言われたけど、直視できない。
2秒くらいで目を反らしてしまった。
顔は浮腫み、色も変わってしまって、ホクロの位置なんて当然分かるわけない。
綺麗なままのイメージで留めていたらよかった…
とすごく後悔した。
その後数か月は、精神的にずっと引きずった。
ずっと父の姿がフラッシュバックし、しばらくは、母と弟を恨むくらいにしんどかった。
なぜ一緒に顔を見てくれなかったのかと。
警察が父を連れて部屋を立ち去った後、みんなで部屋の中に入った。
というかほとんど私だけだったが。
物が多かった。
心療内科で投薬してもらった薬があった。
趣味のレコードもたくさん積み上げていた。
この小さなワンルームで1人で暮らしていたんだな。
余計に悲しみがこみ上げてきた。
父の貴重品ををかき集めて、部屋を後にした。
父の行きつけのレコード店に連絡をした。
ぜひ買い取りさせて欲しいと言われたけども、残念なことに臭いが染みついていて、とても譲れるものではないと断った。
父が亡くなった日は不明。
レコード店に最後に行った日や、心療内科の受診歴を見ると、8月の前半はまだ生きていたようだった。
死因も不明だった。
解剖までしたのに…
孤独死は本当に辛い。
年齢が若い人の孤独死は、すぐに発見されないこともあるらしい。
高齢者とは違い、福祉のサポートもなく、社会とのつながりがないからだ。
父の葬儀で、事情を知らない親戚のおじさんが父の顔を見ようと棺の蓋をあけようとした。
母が必死に制止していたのに、隙あらば顔を見てやろうという感じで、見て後悔するのはお前だぞ、と思った。
しつこいので、最後には祖父が怒り気味に注意していた。
でも、顔を見てあげたいと思うのは、普通のこと。
火葬するまで、一度も誰も顔を見ることなくお別れするのが普通じゃない。
父はうつ病で休職していた。
あと1年で退職するというときに。
うつの原因は、職場で冷遇されたことが原因だったようだ。
葬儀に父の職場の人たちがたくさん来たが、見せ物になってるようで、正直来て欲しくなかった。
亡くなる半年前に、父が私と娘に会いに来た。
ずっと嫌いだったけど、結婚して子供ができて、父にも顔を見せてあげたいと思って、私から父に声をかけた。
妹も呼んで4人でランチをした。
少しふっくらして、うつ病の影はあまりなく、いつも通りの父だった。
父は楽しんでくれたのかな。
疎遠だったけど、最後は孫の顔も見せてあげれて親孝行はできた?
ひどい態度もたくさんしてきたし、ちゃんと話もできていなかった。
家族で一番長生きしそうだとみんなから皮肉を言われるくらいだったのに、まさかこんなに早く亡くなるとは誰も思わなかった。
最期を誰も看取れなくて、ごめん。
父が亡くなって1年後に息子が生まれた。
父が命を繋いでくれたと思っている。
終わり。