恋愛なんて、さっさと降参しよう
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人を好きになって、その特別感にまみれることを恋愛と定義しよう。
感情のバラエティが豊富になるという意味では、とても有意義だけど、こんなに合理的でないものを、古今東西人類が繰り返している(らしい)ことは冷静に考えれば衝撃的でもある。
スマホなんて手に入れちゃった今なら、何度でもやり取りしたメッセージ(それ一週間前のだぜ?!)見返して、特別な親密さが読み取れるようなところで何度も笑ってしまい、打ち解けた雰囲気を感じてこころがゆるんだりする(あるいはそこに自分への賞賛にも似た好意を見出して悦に入る)。
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まあでもそのうち終わるのだ。関係に永遠なんてないのだ。永遠があるとすれば、結婚という制度(あるいはそれに近いもの)を利用しよう、というお互いにかわす約束だけだ。
互いにいつまでも尊敬しあおう、なんて、雲南省の湖よりもうつくしい概念もたまには有効だけど、やっぱりどうしたって自分の希望が他人と食い違うことはあるわけだし。それはまあ「そこにあると信じられているもの」っていう存在だと思うんだ。ギリシア哲学でイデアっていうんだっけ。
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最高だけど続かない感情、そんなおおいなる矛盾には目をつぶって、恋愛に突入してしまえばいい。と私は思う。
かっこわるいとかださいとか気にせず延々と、昨日で返信がとまったメッセージアプリをひらけばいい。
何日分でもさかのぼってみていればいい。
そうしてマルハダカで他人の前に立てばいい。物理的にも精神的にも。
それで尻込みしてしまう程度の好意なら、所詮そんなに好きじゃなかったんだよ。って私は思う。
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でも拒絶されたのを理由に、そんなに好きじゃなかったんだ、なんて結論づけることもまた必要のないことなんだ。
どれだけ好きならほんとの好きとかそんなこと、考えるひまもないくらい、思わず無防備で目の前に立ってしまったということ。それは実は幸福なことなのだから、拒絶されたかどうかは実はそんなに重要じゃない。
否定されて傷つくことにも思い至らないくらい誰かに固執できる。自分ばかみたいって思う情けなさなんて意味をなさないくらいに。それはなかなかお目にかかれない貴重な感情だと思うから。
こころのなかで両手を挙げて。降参してからはじめよう。(だってきっと、いつか終わっちゃうから)
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