耳と骨の思い出
想定外に子供を産み育てることになったのは27歳の夏で、初めて自分の中から出てきた嬰児は内臓のようだと思った。痛みという恐怖の終わりに心から安堵しながら、本当に人間がいたのかとたいそう驚いた。
何か感動的な言葉をかけたいと思い、やっと会えたね、などとつぶやいてみたが、正直白々しく感じた。産道を通ってきたその頭には、耳がペッタリとはりついていた。
隣にいる夫はただただ感激している風だった。最後まで、分娩する姿を見せたくないという希望は伝えられなかった。金銭的負担を強いているのだから、彼にもこれを見る権利はあるのだと自分を納得させた。
感激しているようで、よかったね、と思う自分がいた。私の今感じる、よかった、と、彼の「よかった」はきっと違うんだろうなと思いながら。
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ふにゃふにゃだった50センチの人間は、徐々に大きくなって、毛も増えた。ある程度硬くてある程度やわらかい、そして温かいと言うよりはむしろ熱い個体と、四六時中一緒に過ごすのは暑かった。
その硬さの下には骨があるのだと考えると、何とも言えない気持ちになった。皮膚と血管に包まれた、硬い何か。目にしたことはないけれど確かに私たちの中にある、骨というもの。
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小さな体全体やパーツに私の目は慣れる。
ずうっと彼のことばかり見ていると、時折夫の頭がとても大きく感じられた。顔、ではなく、頭全体を捉えてしまうようになった。
そして多分、私の頭も息子のそれよりは大きく、男性よりは小さいのだろうと思った。
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息子が3歳の頃、保育園の運動会があった。(といっても、息子は6歳まで保育園に通ったので、その後も毎年運動会はあったのだが。)
土曜だというのに夫はその日も出勤で、私は前日のお酒と寝不足を引きずって会場の小学校に向かった。
保護者競技に出た私は、あろうことかつまずき、受け身を取り損ない(というのも、息子が不機嫌に足元に絡みついてきたのでそれを無意識に避けたのだと思う、頭や腰に痣もできた)、その結果、腕の関節が外れてしまった。
緊急として運んでもらった先の病院で、レントゲンに映し出された腕の中の私の骨は、女の人そのものだった。まったく知らなかったのに、私の中にはずっと華奢ななにかがあるのだ、と、白黒の写真は伝えていた。
自分はその時まで(いや、正直に言えば今も)、社会的役割分担でいえば、”男性寄りの”考えをする人間だと思ってきた。男女同権にも関心があった。
だけど、そんなこと関係なかった。私という物質は、隅から隅まで女だった。多分。
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生まれたばかり、顔の両脇にはりついていた息子の耳は、もうはりついていない。今は頭の側面に、私のそれと同じように備わっている。
そういえば昔心惹かれたあの人の、耳がどうしてか好きだった。当時触れてみたいなんて考えていたんだっけ。それともただ眺めていただけだっけ。10代の自分の性欲が、どんな形で生まれていたのかはもう思い出せない。
私よりずっと大きく見えたあの耳のさわり心地。ためす機会もないままに、私は子供を産んでしまったのだなと考える。そうして私はほとんど暗闇な空間で、よこたわる男の人の耳にそっと手を伸ばす。
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