【百人一首鑑賞】やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな 赤染衛門
■やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな
赤染衛門
(詠んで味わう)やすらはで ねなましものを さよふけて
かたぶくまでの つきをみしかな
現代訳(百人一首の風景さまより いつもありがとうございます)
(あなたが来ないと知っていたら) さっさと寝てしまえばよかったものを、
(あなたの約束を信じて待っていたら) とうとう明け方の月が西に傾くまで眺めてしまいました。
和歌は、とにかく「待つ」ことを芸術的に見せる文学
生きている世代が全く違うとはいえ、
この「待つ」ことをこれほど切なく表現している
古の歌人たち。
平成の今なら、
「来ない!?なら私、帰るわ」
「来ない。。。じゃぁ、別の人と♪」
なんですけどね。
平安の女性の耐性能力にひれ伏してしまいます。
ところで、愛しのあの方が来ずに
朝を迎えた人は、そのあとどうしていたのでしょうか?
お昼寝?
いや、仕事は?
以外と朝からふて寝してたのではないかな?と
意地悪な想像をします。
赤染衛門の人生
調べてみました、彼女の人生。
なんとも複雑な家に育っているんですね。
***************(Wikipediaより)
赤染衛門は赤染時用の娘とされる。しかし、赤染衛門の母親が前夫である平兼盛と婚姻していた頃に懐胎した後、再婚先である赤染家において、赤染衛門を出産したために、実父は平兼盛との説もある。後に、平兼盛は娘の親権を巡り、現夫の赤染時用との間で裁判を起こすが敗訴している。
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ちょっとドロドロを感じますが(汗)
きっとこんな状況で育ったのですから、
繊細な女性であったのではないか、と想像します。
***************引用
赤染衛門は文章博士・大江匡衡と貞元年中(976~978)に結婚する。大江匡衡と赤染衛門はおしどり夫婦として知られており、仲睦ましい夫婦仲より、匡衡衛門と呼ばれたという[1]。大江匡衡との間に大江挙周・江侍従などを設けた。
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しかし、自身の結婚は幸せなものだったようですね。
なんだか嬉しい。
和歌以上に、壮絶な彼女の生い立ちから そんなことを思ってしまいました。
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