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【百人一首鑑賞】これこの 行くも帰るも わかれてはしるもしらぬも 逢坂の関 蝉丸

■これこの 行くも帰るも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関 蝉丸

(詠んで味わう)これこの いくもかえるも わかれては しるもしらぬも
おうさかのせき

【訳】これがかの 有名な逢坂の関よ 
東くだりの旅人も 都へ帰る旅人も 
知る人も 知らぬ人も 別れては逢い 逢うては別れ して行き交う
人の世の別れと出会いを暗示するのか その名も逢坂の関

田辺聖子「小倉百人一首」より

大河ドラマの影響で、紫式部時代の百人一首の作品をここのとろこ鑑賞していましたが、少し昔に戻りましょう。本来、この鑑賞ページは作品の時代関係なくバラバラにとりあげておりましたので。。。

名神高速を走っていると現れる「蝉丸トンネル」

この前、見つけました。目に入ってきたのですよ。蝉丸トンネル!京都から滋賀に抜けて名神高速道路を走っているときでした。

376メートル!!逢坂山をくりぬいている!近くには旧所「逢坂の関」があります。トンネルに逢坂の関の名残を残すなんて、このトンネルの名付親はなんて風流なんでしょう!私も、「次は蝉丸の和歌を取り上げたいな~」と思っていた矢先だったので、驚きました。蝉丸が教えてくれたのでしょう☺

とはいえ、今は高速で駆け抜けるので、旅人の顔も覗うことできずですがね(笑)

今も昔も、京から東進するために通らないといけない関だった

LADY-KAMAAが急激に蝉丸に興味をいただいたのが、ブラタモリ!山科の回で逢坂の関のことが取り上げられていました。昔からとても重要な場所だったのです。

古典の時間に見聞きする「逢坂の関」は、男女の恋に使われる歌枕的なもの、、、というくらいの感覚だったのですが、実際に逢坂の関の地理的要件もブラタモリで知ると、蝉丸の歌が突然3Dになった、、、立体的に浮かんできました。

ここを通らないと、違う世界に行けない口。新しい世界への出口、そういったものも逢坂の関に象徴されているのでは?と感じたのです。また当時の「都」にとっては都の果です。都を出たことのない人には「世界の果
のようなものでもあったのではないでしょうか?

伝説の人物、蝉丸!?

田辺聖子先生のご著書では、伝説の人物の香りが高いという記述でした。『今昔物語』では、敦実親王(宇多天皇の皇子)の雑色(身分の低い従者)だっとされているそうです。

大河ドラマ「光る君へ」でいうと、百舌鳥彦さんみたいな感じの方かしら?

この蝉丸、ご主人の敦実親王さまが琵琶がとてもお上手で、聞いているうちに自分も琵琶の名手になり。。。その後、目が見えなくなった蝉丸のもとを訪れ、その腕前を耳にしたく3年通い続けたのが源博雅。蝉丸は視力を失ってからはこの逢坂の関の近くで庵を結んでいたのですって。

源博雅って、よく「安倍晴明」の映画やドラマで清明のワトソン役するあの人よね💦

いろんな話は残っているものの、蝉丸は名こそ立たなかったけれど、市井に生きた一人だったのですね。

どんな人であれ、蝉丸の和歌は最高に好きだ

この和歌、百人一首の中で私のベスト5に入ります。
「これやこの」「いくもかるも」「しるもしらぬも」
反問部分に字を割いているはずが、なんとも素晴らしい聞いていて弾む語調になっている。気持ちいい。よくもまぁ、こんなにまとめられたものです。

袖振り合うも他生の縁。

蝉丸の時代から、日本人にはそのような感覚が備わっていたことの証左だと思いました。

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