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自分史⑧夢の終わりを背中が語る

新しい挑戦の前に命が少しざわついてる。
20代の守るべきものがない時とは違う。

少なからず歳を重ね、経験を積んできた。

勝たなきゃだめだ。
泥水すすっても、カスに頭下げても守らないといけないものがある。

まぁ、恥をかくことには慣れているからなんとかなるよ。

善意の迷子

2年間(今考えると短いな、、、)いわゆる国際支援NGOで働いて 強く思ったのは何のためにそれが存在しているのか ということだった。

入ったばかりの自分はただそれが美しく感じていたが、そこにゴールが設定されていなかった。

カンボジア現地でともに歩んでいくこと、それを日本に共有すること。
楽しくはあったかもしれないが終わりも解決もない道でそこにいることが
目的のようにしか見えなかった。

国際支援は現場にもよるが基本的に終わりを設定することで初めて意味を成すと思っている。

今のようにはっきりは思えなかったが当時の自分も違和感を感じたのは間違いない。

やめた後は模索ばかり。

ひとまず、支援事業をやらなきゃいけない。

概ね文化・芸術の方向性で決めていたが マネタイズするアイデアがなく、車で日本一周して歌を歌いながら、プノンペンでレコーディングしたCDを手売りしたり、いらない楽器を集めたりした。

結果大した額は集まらなかったし、ふわっとした自分の思いを厳しく注意してくれる人も多くはなかった。

少額のお金と寄付してもらった楽器を握りしめ、ひとまずカンボジアに戻りできる挑戦を始めてみた。

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稚拙なゴール

国際支援では子供が多くつかわれる。
彼らの無邪気な笑顔や愛嬌、または貧しく苦しんでいる姿。

もちろんそれは嘘ではないが無駄にクローズアップされていることが多い。

当時 自分が一番つらかったのは、
青春世代にはいり、自分が社会の中でどんな立場にいるかを気づき始めた子供を終えた「若者」が支援者や訪問者の視野に入らなくなっていくことだった。

自分の貧しさに擦れ、素直にもなれず、自分たち(支援者や訪問者)が見えないところでどんな気持ちで生活してるのか 心配でたまらなかった。

教育もまともに受けてない、仕事もろくなのがない。
政治に訴える知識もないし、独裁的な賄賂国家に貧乏人は相手されない。

若者としてその怒りや熱さを吐き出す環境や選択肢がそこにはなかった。

だから
「Art Planet ~カンボジアにアートという選択肢を~」

そんな名前を付けて 1人で団体をはじめてみた。

カンボジアには若者が憧れ、マネしたくなるようなロックスターが必要で 言葉で政治は批判したらぶち込まれるけど、音や色、体の動きでなら その怒りと思いをぶつけられる。

そうやって 犯罪やドラッグ、自殺に走るやつらの中からロックスターを生み出したかった。

ただその当時はそれを行うために必要な資金を集める・作る方法が欠片も分からず、メールやSNSで協力者を募るとかしか思いつかなかった。

時間だけはあったけど、その無限の時間に少しずつ蝕まれることになる。

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本質だけでは正解にはならない

できる挑戦はたくさんやった。

自分なりにマネタイズ(当時そんな言葉も知らなかったが)していくための一つの事業として カンボジアでの和紙作りにも挑戦した。

もちろん全く知識はなかったが 別にできるだろー って感じで雑草の繊維を家で煮込んだり、漂白したりしていた。
全然うまくいかなかったけど、それはそれで楽しかった。

あと、国産ガラスなさそうだなーとかいろいろ考えつつ、同時に日本にメールやSNSで支援をお願いし続けたが 手ごたえが欠片もない日々が続いていた。

生きてくだけお金が減っていく。
一応現地パートナーを雇ってみたが 彼を活かしきれず、安い給料さえも重しとなった。

どうにかしないと、、なんで俺だけが相手されないんだと パソコン見ながら苦しくてしょうがなかった。

自分が間違っていないと確信はしていた。
ただ、本質を正解にする力があまりにも不足していた。

正しければ、伝わるわけじゃない。それを痛いほどかみしめる時間だった。

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金縛りの朝

ある日、同棲していた妻が朝仕事に出かけて、夕方帰ってきたとき 朝と全く変わらない形で机の前に座っている自分の後ろ姿に声を掛けてくれるまでどう考えても異常な状態だった自分に気づけなかった。

客観的にみると 鬱以外のなにものでもなかったんだろうけど、そんな私を心配して 妻はイギリス旅行へ誘ってくれた。

友達に会えれば少しでも元気になるのでは との妻の優しさだった。
日本に帰国する金すらなかった当時 今思えばどれだけ妻に負担をかけていたのか分からない。

考えれば考えるほど、自分のことしか考えていなかった。
今でも変わらないと妻は言うかもしれないが 当時は彼女の病気にも大して心配できないほど ひどいパートナーだった。

イギリス旅行に関しては写真に預け、割愛する。

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そして、僕は彼女の勧めもあり、帰国することにした。

続く。


なかなか進まないねー。







ありがとうございます。何かしら社会の役に立ったり、誰かの人生に影響するような記事を心がけていきます。 根が照れ屋なので 若干の不真面目は照れ隠しです。 ご承知おきを。