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コロンビアのヤバすぎる話

かつて「世界で最も危険な国」と云われたコロンビア。

毎年34000人が殺人事件の犠牲になり、世界の誘拐事件の6割に相当する3600人が誘拐されていた。毎日100人が殺され10人が誘拐される治安の悪さ。

コロンビアの首都ボゴタ。近年の治安改善と経済成長で急速な再開発が進む。空き地には高層マンションが立ち並ぶ。街はどんどんきれいになり、ピカピカの新車が走り回り、道行く人々はおしゃれだ。

筆者が初めてコロンビアを訪れた際、航空券の手配を依頼した旅行代理店で担当者が顔色を変えて言った。

「土屋さん、コロンビアで殺される確率はロシアン・ルーレットで死ぬ確率より高いんですよ。何があっても文句は言わないという誓約書にサインしてください。でないと弊社としては手配できません」

ロシアン・ルーレットをご存じだろうか。回転式のけん銃に一発だけ弾を込め、順番に銃口をこめかみに押し当てて引き金を引くゲームだ。

不発がなければ必ず誰かが頭を撃ち抜いて死ぬ。ロシア兵が余興でやったことからこの名がつく。

そのロシアン・ルーレットより死亡率の高い国。出発前夜は一睡もできず、成田に着いてもまだ逃げることを考えていた。

実際に行ってみると拍子抜けするくらい平和で、首都ボゴタはアメリカの首都ワシントンより安全なくらいだ。

ボゴタの広場。コロンビアは若い国。若者たちがたむろしている。一見平和そうだが明るい人通りの多い場所でも集団で取り囲まれナイフを突きつけられ財布からスマホまで奪われることもある。決して油断はできない。

国連の犯罪統計によれば、2017年のコロンビアの殺人率(10万人当たりの殺人件数)は25.2人(日本は0.24人)。コロンビア内戦の死者は含まれていない。

世界1位のエルサルバドル(61.71人)、2位のベネズエラ(59.56人)、3位のジャマイカ(56.39人)よりずっと低く、コロンビアは世界20位。

10位の南アフリカ共和国(35.67人)、12位のブラジル(30.74人)、19位のメキシコ(25.71人)より低いのだ。

ボゴタ旧市街。中央はアウグスティヌス派の教会。派手な装飾が特徴。このようにコロンビアは平和そうに見える。だが油断すると危険だ。右手の道路は強盗多発地帯。明るい日中でもやられる。一人歩きは常に危険が付きまとう。相当の覚悟が必要だ。

しかし、2016年11月、コロンビア西部の大都市メデジンで旅行中の日本人大学生が強盗に襲われ、奪われたノートパソコンを取り戻そうとして犯人を執拗に追いかけ、共犯者にピストルで撃たれて死亡するという事件が起きた。

この事件は日本でも大きく報道され、改めてコロンビアが「治安の悪い危険な国」であるという印象を強く植え付けた。

ボゴタ旧市街の教会。重厚な石造りの建物は築400年とかザラ。地震が少ないので古い歴史的な街並みが保存されている。世界遺産の仲間入りを果たすはずだったが、1948年のボゴタ暴動事件で破壊され果たせなかった。

コロンビア人は基本的に親切である。見知らぬ異国の人間にも親身になって接してくれる。筆者もどれだけお世話になったかわからない。

勤勉で親切でフレンドリーでホスピタリティ精神にあふれる人が多い。一方で凶悪な犯罪も多い。犯罪発生率は銃社会アメリカのなんと5倍だ。

国民の知的水準の高さと相反する治安の悪さから「ソクラテスと切り裂きジャックの国」と呼ばれた。まさにコロンビアは「矛盾の国」なのだ。

ボゴタのサンフランシスコ教会。築400年。ここで土屋は突然どっかのおっさんに土下座された。おっさんは物乞いだった(写真のおっさんは別人)。
教会の中。コロンビアはキリスト教カトリックの国。1991年まで国教だった。敬虔なクリスチャンが多い。実際に親切で心優しい人が多い。彼らと接してコロンビア人は凶暴だと思う人はいない。

ボゴタは警察官の姿も多く、一見、治安の悪そうな感じはしない。だが、偽警官も多いのだ。警察官の制服を着た犯罪者がいる。つい最近もボゴタ市内で偽警官が日本人に停車を命じ、金品を強奪する事件があったばかりだ。

警察官に停車を命じられても、すぐに車を停めてはいけない。必ず警察署の前まで行ってから停めることだ。

コロンビアで警官に職務質問されたら抵抗してはいけない。日本の職質と違い任意ではなく強制である。抵抗すれば逮捕される。運が悪ければその場で射殺される。コロンビアの警察はマジで容赦がないのだ。

だから、犯罪者も命がけだ。うまく警察に捕まればいいが、住民に捕まればリンチでボコボコにされる。間違っても強盗を追いかけ奪われたものを取り戻そうとしてはならない。

ボゴタの屋台。コロンビアは日本のようなコンビニがない。自販機もない。あれば奪われる。だから露店だらけ。エンパナーダ(ひき肉パイ)やモンドンゴ(もつ煮込み)を売っている。食べ物には困らない。

幸い、筆者は一度も襲われたことはない。地味な服装で金目のものは持たず、外を歩くときは脇目もふらずさっさと速足で歩く。

ちんたら歩いていればいいカモだ。周囲の警戒を怠らず、常に危険を予測する。怪しげな人物や車がいないか。いたら逃げ道はあるか。

海外に出て気が大きくなっても決して戦おうなどと思わないことだ。武術の心得もない素人が武装した犯罪者に素手で立ち向かうのは自殺行為だ。

襲われた場合にすぐ出せるよう少額の現金を持ち歩く。わずかな金を惜しんで命を奪われるほどアホらしいことはない。

ボゴタ旧市街。正面は国会議事堂。左手はコロンビアの名門校サンバルトロメ学院。道行く人々はみんなのんびりしている。治安の悪そうな感じは全然しない。そこがコロンビアの危険なところでもある。

コロンビアの何が危ないのか。それは「危なくなさそうなところ」である。

ゴミだらけで治安の悪そうなところもあるが、コロンビアは基本的にヤバい感じがしない。物乞いやホームレスもちゃんと服を着て靴を履いている。

メキシコの物乞いはボロ着て裸足だったが、コロンビアはメキシコのような悲壮感がない。物売りもしつこくない。メキシコはどこまでも付きまとって辟易したものだが。

コロンビア最高裁。警察官は目立つ黄緑のジャケットを着ている。鳩が凄いが餌やりを禁止する法令もないので野放し。誰も気にしないところがコロンビアらしい。

コロンビアもメキシコも貧富の格差が激しい。コロンビアはもう60年も内戦が続き、メキシコも麻薬戦争で荒れているが、コロンビアは国民性がのんびりしている。みんな大人しいのだ。

メキシコ人は明るく陽気でいかにもなラテン系の国民だが、コロンビア人は寡黙で勤勉な人が多い。メキシコ人は飛行機の中でも一晩中騒いでいるが、コロンビア人はバスの中で黙って座っている。はしゃいでいる人はいない。

ボゴタ大聖堂。左手の白い建物は博物館。1810年7月20日、コロンビアがスペインから独立を宣言した記念すべき場所。独立宣言文が展示されている。

ある意味、悲観的な国民性なのかもしれない。もうこの国は変わらない。変われない。国民がそう達観している。

金持ちは信じられないくらい金持ちで自分専用の飛行機に島を持っているが、貧乏人は本当に何にもない。その日の食い扶持を求めて簡単に人を殺す。

コロンビアは教育水準が高くインテリも多いからゲリラはいつまでもなくならない。上級国民は絶対に富と権力を手放さないから革命なんか起きない。エンドレスループで殺し合う。

貧乏人同士で殺し合うだけだから金持ちはちっとも困らない。下流は絶望しながら生きるために殺し合う。そんな状態がもう何十年も続いている。

鳩のフンが凄いので清掃人が必死に水を撒いて洗っている。コロンビア人は基本的に働き者が多い。寡黙で勤勉なところは日本人に似ている。悲観的な国民性もそっくりだ。

そんなコロンビアだが、じつは南米で最も古い民主主義の国でもある。

独立以来200年間、ずーっと選挙で政権交代をしてきた国だ。どんなに内戦が激しくなって国が荒れても4年ごとに選挙で大統領を決める。4年たったら大統領には辞めてもらって次の人にバトンタッチ、ということを延々と繰り返してきた。

クーデターや独裁が繰り返された南米でコロンビアだけが民主主義の原則を絶対に変えない。何があっても民主主義を護るということを国是としてきた国なのだ。

コロンビア国会。落書きが多いがデモ隊が押し寄せてペイント弾攻撃を喰らわせる。機動隊も催涙弾や実弾を容赦なくぶっ放す。国民は常に示威行動で政府に圧力をかけるのだ。

だからコロンビアでは革命も起きないしクーデターもない。どんなにゲリラが暴れても政権をとれない。いつまでも内戦が終わらない。

メキシコでは革命が起きて農地改革もやった。コロンビアでは革命が起きず終わりのない内戦が続く。

だがメキシコの貧困は壮絶だ。少なくともコロンビアの方が貧乏でも豊かな国という印象を受ける。

コロンビア人は政治に熱心だ。国のやることに常に目を光らせデモを絶やさない。ボゴタで100万人規模のデモが頻繁に行われる。だから国も国民のための政治をするのかもしれない。

コロンビアで普通選挙が導入されたのは1853年。日本はまだ江戸時代。ペリーが浦賀に来航した年である。その時代に奴隷だった人も含めすべての成人男性に選挙権を与えた。

コロンビア人の政治意識の高さは世界一かもしれない。すぐにデモを起こし暴動になる。ゲリラが暴れ内戦が終わらない治安の悪い国だが、それだけ自由な国という見方もできる。

コロンビア独立の父シモン・ボリーバル(1783‐1830)の像。
ボリーバルはコロンビア独立にすべてを捧げた。だが独立後の内戦と混乱に「この国は一体どうなるのか」と嘆きながら亡くなった。死の直前「私の最後の息は天にコロンビアの幸福を祈るだろう」と言い残したという。

筆者はボゴタで現職の法務大臣の車を見たことがある。日本製の四駆を改造した装甲車のような防弾仕様でドアの厚さは銀行の金庫の扉くらいある。

重量が700キロも増えるので特別改造のエンジンでないと坂道を登れない。そこまでやっていても命を狙われる。

ボゴタの大統領府にはロケット弾が撃ち込まれ、大統領経験者が11発も銃弾を撃ち込まれた。大統領選の候補者は何人も殺された。ボディガードごと蜂の巣にされた。

この国に安全な場所など存在しない。上は大統領から下はホームレスまで命の保証のない国なのだ。

コロンビア大統領府ナリノ宮殿。イスラエル製のガリル小銃で武装した政府軍の兵士が鋭く目を光らせる。通行人は手荷物検査を受ける。歩道の上を歩くと怒られる。セキュリティは厳しいが、どこかのんびりしているのがコロンビアらしい。

殺人事件は日常の一部。殺人の動機は「ビールを売ってくれなかったから」「財布に小銭が入ってるのがみえたから」。些細な理由で簡単に人が死ぬ。

あまりにも殺人が多いので警察もろくに捜査しない。女性の死体もその場で服をはぎ取って写真を撮る。下着まで脱がす。レイプされていないか調べるためだ。

みんな今を楽しんでいる。本当にこの国が治安最悪の犯罪多発国で60年も内戦が続く地獄のような国だとは思えない。だが、この国では人の命はどこまでも軽く安いのだ。

そんな地獄のような環境にも人間は慣れてしまう。人間、緊張なんていつまでも続かない。そのうちどうでもよくなってくる。

筆者はボゴタの大統領府の前で政府軍の兵士が弾の入った機関銃を地面に置いたまま筆者に背中を向けておしゃべりをしているのを見たことがある。

「お前ら俺がゲリラだったらどうすんだよ!」


筆者が機関銃を奪って引き金を引くだけで全滅である。実際、ボゴタだけでゲリラは1万人もいるというのだ。

いつどこから弾が飛んできて爆弾を投げ込まれて一巻の終わりになるか誰にもわからない。そんな状況が60年も続いている。そんなことをいちいち気にしていたら生きていけないのである。

ボゴタ中心部ボリーバル広場にて。背後は最高裁判所。みんな座っておしゃべりしている。コロンビア人はいつか誰かに殺されるのではないかと思っている。でもそんなことを気にしていたら生きていけない。人間はどんな過酷な環境にも順応する生き物なのだ。
ボゴタ市庁舎。1828年の地震で倒壊し再建された。地震学者によれば80~120年周期でボゴタも地震に襲われるとのこと。コロンビアの建物は耐震性が低いので大地震が来ればヤバいことになる。

さて、コロンビアと云えば麻薬だ。コロンビアは麻薬コカインの一大産地。世界の8割のコカインがコロンビア産だ。

アンデス山脈に無限に植生するコカは“金のなる木”。コカ自体は無害だが化学的に処理するとコカインになる。コカインは強烈な興奮剤だが効果の持続時間は短く30分ほど。中毒者は1日中鼻から白い粉末を吸う。

コカインの何がヤバいのか。中毒者は脳神経を破壊され怖いもの知らずになる。アメリカで銃乱射事件が多いのは犯人がコカイン中毒者であるケースが多いからだ。

コロンビア政府は米国の後押しでコカインを厳しく取り締まってきた。コカ畑に上空からグリホサート(強力な除草剤)をまき散らし、メデジン・カルテルやカリ・カルテルといった麻薬カルテルと戦い組織をつぶしてきた。

それでも麻薬問題は解決できない。麻薬はゲリラや犯罪組織の資金源になる。貧しい農民はコカを栽培しコカインを精製するしか生きる道はない。

海を越えたアメリカには金があってコカインを欲しがる人間が無数にいるのだ。コカは政府が推奨する換金作物と違い、手っ取り早い現金収入になる。

ボゴタ夜のラッシュ。バスは超満員。スリや泥棒が多いので注意。女性は指輪をしていると指にワイヤーを引っかけられ指ごともぎ取られることも。コロンビアの犯罪者は銃や刃物で武装している。襲われても決して抵抗してはいけない。相手がコカイン中毒だと何をするかわからないのだ。

2016年、最大の反政府武装勢力「コロンビア革命軍(FARC)」が停戦と武装解除に合意。コロンビアは和平に向けて大きく動き出した。

ゲリラ兵士の多くは武器を捨て、社会復帰への道のりを歩み始めた。これでようやくコロンビアにも平和が訪れる。誰もがそう思った。

ところが、現実はうまくいかない。FARC解散後、ゲリラのいなくなった権力の空白地帯に無法者が入り込み、コカ畑の利権を巡って血で血を洗う抗争を繰り広げている。

皮肉なことに和平後、コロンビアのコカイン生産量は飛躍的に伸びている。和平前の2010年、5万ヘクタールまで減少していたコカ畑が2018年、4倍以上の20万9千ヘクタールにまで拡大したのだ。

貧困がある限り、コロンビアから暴力はなくならない。極右民兵やテロ被害者も武器を捨てた元兵士の命を狙う。和平後の5年間に元兵士や左翼活動家1280人が殺された。

業を煮やした元兵士は再武装し他のゲリラも和平を拒否。コロンビアは平和とは程遠い状況にある。

2022年、初の中道左派政権が誕生。コロンビア政府は麻薬戦争の失敗を認め、コカイン合法化を検討。コカイン流通を国家が管理し、麻薬取引のうまみをなくすことで密売組織に打撃を与えようというのだ。

初の左派大統領となったグスタボ・ペトロ。コカイン合法化でコロンビアから暴力を一掃し恒久的平和を実現しようというのだが、具体的にどうするのか青写真は描けていない。ペトロ政権下でゲリラ組織は停戦に応じたが、大統領の息子の麻薬不正献金疑惑も浮上し政権は窮地に立たされている。写真はWikipediaより転載。

信じられないかもしれないが、かつてコロンビアは「世界で最も平和な国」だった。

スペインの植民地だった16世紀から独立する19世紀までコロンビアでは戦争も犯罪もほとんどなく、旅行者が自由に安心して旅ができる安全な国だった。300年も平和だった国は世界でも日本とコロンビアくらいのものだ。

気候は温暖で資源は豊富。おまけに国民は勤勉で親切。南米で唯一太平洋と大西洋に面した地政学上の要所であるコロンビアはブラジル、メキシコに次いで直接投資額(2018年、約139億ドル)が多く、コロナで一時失速したが2021年のGDP成長率は9.8%と南米最高を記録した。

コロンビアが今後どうなるのか予断は許さない。コロンビアが平和で豊かな国になることを願ってやまない。

コロンビアの通貨はペソ。10000ペソ紙幣は「コロンビアのジャンヌ・ダルク」ことポリカルパ・サラバリエータ(1795‐1817)。スペイン支配に抵抗し処刑された悲劇のヒロイン。2000ペソ紙幣はコロンビアの初代大統領フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデール(1792‐1840)。
1000ペソ紙幣はコロンビアの政治家ホルヘ・エリエセル・ガイタン(1903‐1948)。自由党のカリスマだったが1948年4月9日、ボゴタで暗殺。彼の死はボゴタ暴動とラ・ビオレンシア(暴力の時代)の遠因となり、10年に及ぶ内戦で20万人が犠牲になった。ガイタンの死は今もこの国に暗い影を落としている。
コロンビア北部カリブ海沿岸の町カルタヘナ。世界遺産のサンフェリペ城。靴のオブジェはカルタヘナ出身の詩人が「履きなれた靴と同じくらいこの町が好きだ」という意味で作ったとか。
サンフェリペ城。スペインが南米で略奪した金銀財宝を運び出すためカルタヘナの町全体を要塞化した。奴隷を酷使して20年の歳月をかけ作り上げた負の遺産でもある。
サンフェリペ城内。敵の侵攻を想定して内部は複雑な迷路のようになっている。
サンフェリペ城の地下道。ここに隠れて敵を待ち伏せした。内部は結露がひどい。暗いので足元に注意。
カルタヘナの遠景。町全体が海に浮かんだようにみえる。
カルタヘナの遠景。複雑に入り組んだ入り江がスペインの宿敵イギリスやフランスの海賊から町を守った。
カルタヘナ市街。南国のコロニアルスタイルの街並みが広がる。左手は宝石店。かわいい女の子が店番をしていた。
カルタヘナのシモン・ボリーバル像。スペインからの独立戦争でカルタヘナは4ヵ月の籠城に耐え多くの犠牲者を出した。アメリカ人の旅行者が多い。
カルタヘナの宗教裁判所。異端審問で無数の犠牲者が拷問・処刑された。
スペイン式絞首刑ガローテ。受刑者の首に鉄の輪をまいて絞め殺す。痛そう😿
ギロチン(断頭台)。本物です。ここでどのくらい殺されたのか。。。
カルタヘナの創設者ペドロ・デ・エレディア(1484‐1554)。カルタヘナは死ぬほど暑い土地で水不足に悩まされている。ここに街を築くのは大変だったと思われる。
カルタヘナの時計台。かつてはここで奴隷市が開かれていた。カルタヘナは黒人が多い。アフリカから連れてこられた奴隷の末裔である。
カルタヘナのポパの丘修道院。カルタヘナ市街から車で20分ほど。狭い曲がりくねった山道を登ったところにある。
コロンビア政府の弾圧で廃墟化し100年も放置されていた。コロンビアは独立後も保守派と革新派の保革対立から内戦が繰り返された。教会特権を保護した保守派と教会を目の敵にした革新派の間で絶え間ない殺戮が繰り広げられた。保存状態は良好。
カルタヘナのボベダス土産物屋。かつては刑務所だった。満潮になると独房の中にまで海水が入り込み囚人は難儀したという。
カルタヘナ市街。非常に蒸し暑い。今にも雨が降りそうなのにまったく降らない。
カルタヘナの海。あまりきれいではない。南国のコバルトブルーの海を期待するとがっかりする。
カルタヘナのランチ。海が近いので魚料理が多い。量が多くて食べきれない。。。
カルタヘナのディナー。水不足の土地なので米は油を混ぜて炊く。日焼け止めオイルの臭いや💦
カルタヘナの夜。幻想的。暑いので外に椅子を置いて夜遅くまでビールを飲んでいる人が多い。
ボゴタの黄金博物館。先住民の金細工の数々が展示されている。写真撮影はフラッシュ禁止。
コロンビアの先住民ムイスカ(チブチャ)人の黄金仮面。すべて純金。まぶしい。。。
オーパーツで有名なコロンビアの黄金ジェット。シヌー文明の遺跡から出土。飛行機のような翼がついている。プレコ(ナマズ)を模ったのではないかと云われている。
先住民タイロナ人の黄金像。日本の土偶に似ている。南米の先住民は日本人と同じモンゴロイド。太平洋を挟んで7000年前から交流していたとの説もある。
サンアグスティン遺跡は南米最大の規模を誇る。アンデス山中でアクセスが不便。いつか行ってみたい。
ボゴタ郊外シパキラは塩の町。地殻変動で1億年前の海が閉じ込められ岩塩を産する。
シパキラの塩の教会。岩塩をくりぬいた十字架が神秘的。ライトアップされる。
ゴツゴツしたのは全部塩。1億年前の海の水がしみ出してくる。
ネモコンの岩塩坑道。ネモコンは石炭も産する。
塩のマリア像。鉱山労働者が安全を祈願した。
全部塩。どんだけ塩辛いんや。。。
塩の結晶で作ったハート。3トンもある。
聖母マリアと岩塩のボール。塩で目が痛い😢
アレクサンダー・フォン・フンボルト(1769‐1859)像。19世紀ドイツの自然学者。コロンビアを旅して多くの調査をした。
ネモコンの石炭。コロンビアは南米有数の石炭産出国。日本にも輸出する。
ネモコンのカラフルなトイレ。
コロンビア最南端の町レティシアに向かう。アマゾン上空で乱気流に巻き込まれ死ぬかと思った。
レティシアは大河アマゾンに面した町。コロンビア、ペルー、ブラジルの国境地帯。対岸はペルーのサンロレンソ。
アマゾンでは川辺で農業をする。上流から肥沃な土壌が流れてくる。肥料いらず。
雨季になると水位は20mも上がる。川辺は水没する。水が引いてから種をまく。
レティシア市街。信号はない。車もバイクも勇気のある者優先。危ないので注意。
レティシアの夕焼け。壮大。空がエメラルドグリーンに染まる。
レティシアのディナー。ナマズのフライは美味。脂のったブリみたい。
レティシアの魚市場にて。おっちゃんが抱えてるのが土屋が食べたナマズ。
豪快にぶつ切りにする。
金魚のお化けみたい。これも美味。
ピラニア。人間も喰われます。食用だがナマズほど美味ではない。
小ぶりのピラニア。塩焼きにする。
コロンビアは果物が豊富。どこに行っても新鮮なフルーツが盛りだくさん。写真はアラサーという果物。ジュースにする。
アマゾンの大魚アロワナ。日本では観賞魚だがここでは食用。
魚屋の夫婦。写真を撮らせてもらったら照れてました(笑)。
アマゾン上流。川の水が黒いのは植物のタンニンが溶け出すため。
大河アマゾン。とにかく巨大。
ブラジルのタバティンガにて。対岸はコロンビアのレティシア。
アマゾン熱帯雨林。近年の乱開発と山火事で貴重な自然は失われていく。
飛行機に間に合わないのでお弁当を作ってもらいました。サラダにポテト。
チキンライスは食べきれなかった。コロンビア人は親切。土屋は大好きな国です。

(撮影・文責:土屋正裕)

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