世界一危険な国・コロンビア
南米コロンビアの首都ボゴタはアンデス山中の海抜2600mの盆地に広がる。人口1000万人。世界最高地の大都市。
車で行ける富士山の5合目より高い。酸素は平地の4分の3。東京の酸素濃度が21%。ボゴタは15%。慣れない者はソローチェ(高山病)になる。
かつて「世界一危険な都市」と呼ばれたボゴタ。殺人、誘拐、テロ、麻薬取引や人身売買が横行し、道端にゴロゴロ死体が転がっていた。
その後、コロンビア政府の「民主的治安」政策で治安は劇的に改善。注意を怠らなければ普通に外を歩けるほど安全になった。
しかし、日本と同じ感覚でいれば危ない目に遭う。「歩きスマホ」など論外。最近は高級住宅地でもスマホ狙いの強盗が増えているので要注意だ。
ボゴタは「常春の都」と呼ばれる。赤道直下の高地で年中春か秋のような気候。夏のうだるような暑さや冬の凍えるような寒さとは無縁。低酸素に慣れれば快適な環境だ。
しかし、近年の温暖化と気候変動でコロンビアも異常気象が多発。ボゴタは例年にない猛暑と乾燥で山火事と水不足に悩まされている。
ところで、コロンビアと云えば何を連想するだろうか。
世界的なコーヒー豆の生産国か。産出量世界1位のエメラルドか。バラ、カーネーションなど色鮮やかな切り花の産地(日本が輸入するカーネーションの7割はコロンビア産)か。美男美女の里(イケメンや美人は多い)か。
日本でも『百年の孤独』で知られるノーベル賞作家ガルシア・マルケスか。ユーモラスなデブの絵で有名な「南米のピカソ」ことフェルナンド・ボテロを生み出した芸術の国か。
あるいは麻薬王パブロ・エスコバル(1993年、治安部隊に射殺)率いる世界最強の麻薬犯罪組織「メデジン・カルテル」が悪名を轟かせたコカイン帝国か。
1994年サッカーW杯で痛恨のオウンゴールを献上し帰国直後、凶弾に倒れた悲運のサッカー選手アンドレス・エスコバル(麻薬王と同姓だが両者は無関係)の記憶に代表される「治安の悪い危険な国」というマイナス・イメージか。
1985年11月、アンデス山中のネバドデルルイス火山が大噴火。山頂の万年雪を融かし大量の泥流が山麓の村々を直撃。死者だけで2万5千人という大惨事となり、泥に閉じ込められながら救出が間に合わず13歳の若さで世を去った少女オマイラ・サンチェスの世界が涙した悲劇か。
いずれにせよ、本邦におけるコロンビアのイメージがあまり愉快なものではないことは確かだろう。
1990年代の殺人率(10万人当たりの殺人件数)は77.5人(1991年は86人で世界最悪)を記録。首都ボゴタだけで毎日30人が殺され、殺人犯の97%は処罰されず、殺人すら半ば合法の無法地帯と化した。
在留邦人も例外ではなく、2001年、日系企業の邦人幹部が左翼ゲリラに拉致され、巨額の身代金を要求。山岳地帯のゲリラ支配地を連れ回された挙句、2年9ヵ月後に遺体でみつかった事件は記憶に生々しい。
政府軍、左翼ゲリラ、極右民兵の三つ巴の内戦はほぼ60年にも及び、22万人の死者と740万人の国内避難民を生み出し、国際赤十字によれば現在も8件の武力紛争が同時進行している。
そんなコロンビアだが、筆者にとってコロンビアは思い入れの深い特別な国である。
「世界最悪の治安」「凶悪犯罪だらけの危険国」というネガティブな印象とは裏腹に「親切な人が多い」のがこの国の特徴だ。
酒も料理もおいしく、人々は皆親切で居心地がよく、緑豊かな風光明媚な景色は旅人をまるで“夢の国”にいるような錯覚にいざなう。
気候は温暖で資源は豊富。国民は勤勉で働き者が多い。太平洋と大西洋を結ぶ南米の要衝・コロンビアは今、世界中の国と企業が投資しダイナミックな成長の道を突き進んでいる。
比較的治安の良い場所で常識的な人とだけ関わっていればコロンビアはこの上なく最高の国なのかもしれない。
だが、治安最悪期の1990年代、ボゴタ暗黒街「エル・カルトゥーチョ(火薬庫)」に潜入取材した写真家・釣崎清隆の本を読むと、コロンビアには日本人が想像もできないダークな一面があることを思い知らされる。
コロンビアは「天国と地獄が同居する国」。地獄へのハードルは限りなく低いのだ。
(撮影・文責:土屋正裕)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?