循環のひと
人語り「循環のひと」に込める思い
「循環のひと」は、”循環型ものづくり”にまつわる物語り、そして、それを支える人々についての”人語り(ひとがたり)”である。「循環のひと」の作者として、そこに込める思いをここに綴る。
1 先達への恩返し
”循環型ものづくり”について興味はあるけれど、今までは、家を設計したり、もっと小さなデザインをしてきただけなので、正直なところ、それについて僕は全くの素人である。だから、”いすみ古材研究所”の活動に加わり、”循環型ものづくり”の新しい仕組みづくりに関わるにあたっては、その先達である”循環型ものづくり”を支えてきた職人さんや作家さんから力を借りたり教わったりするばかりである。時代の流れにより多くでその需要が減り続ける中、彼らはこれまで踏ん張って生業を続け、先祖から受け継いだ技術や思想を守ってきた。そのおかげで、後進の僕たちもそこから多くのことを学ばせてもらうことができる。この2重の意味において僕は彼らに恩を感じる。
ささやかかもしれないけれど、そのお返しとして、デザインの力で何かお役に立てないか?と思ったのが、このプロジェクトの動機である。”循環型ものづくり”とは、天然の資源や廃棄物など、地域に既にあるものを使って行うものづくりを言う。彼らは、それぞれの分野からそれについて熟知している。とはいえ、それを分かりやすく人に伝えるとなると話は別だ。しかし、人から見えにくい仕事や活動を応援してもらおうと思うと、伝えること、知ってもらうことは欠かせない。だから、彼らの仕事を分かりやすく翻訳して伝えること、それを僕たちの恩返しにしようと思う。
2 人語り(ひとがたり)
”循環型ものづくり”を伝えるといっても、知識や技術をそのまま伝えるだけでは分かりにくく感じる人も多いだろう。それを支える人たちの歴史を幹とし、その枝葉として専門分野の知識やその他のエピソードをぶら下げたらどうだろうか。情報をストーリーやお話の流れの中に配することで、子供や日頃文章を読まない人たちにも伝わるとよい。伝える内容も絞りに絞り、お話仕立て、絵本や児童文学に近い文調としている。この物語りは、読む人を選ばない、人にまつわる物語り、”人語り”である。
「人に歴史あり」という言葉がある。(何かの諺か格言かと思っていたけれど、調べてみたら、日本の著名人をゲストに招いてその人の歴史を振り返るという昔のテレビ番組の番組名で、それが世に広まったらしい。)そんな実感が、三十歳を迎えたあたりから湧くようになった。それまでは、同年代同士に違いを感じることはそれほど無い。同じように学校に通い、同じような遊びやスポーツをして、似たり寄ったりに育ってきたからだ。ところが、同じ環境で教育を受けていた友人たちに十数年ぶりに再会すると、かつて一緒に学んだ事柄に社会で積んだ数々の経験が組み合わさることで、それぞれがその人なりの足跡を残し始めているのを実感する。
”人語り”で取り上げる方々は、偉人の生涯を書き綴る”伝記”や”偉人伝”とは異なり、市井の人々である。しかし、ひとつひとつの経験は特別でなかったとしても、その組み合わせの違いにより、その人の歴史は他に類を見ないものとなる。そして、その意外で本人にも想定外の組み合わせが、その人を思わぬ境地に到達させることになる。
3 ~さん
「循環のひと」第1巻は「あわ焼 西山さん」。焼きもの不毛の地、千葉県房総半島で生まれた"あわ焼"の物語り、そして、それをはじめた”西山さん”の”人語り”である。桃太郎、かぐや姫、一休さん、”西山さん”。そんな気分で執筆した。世の中は有名無名の”〜さん”に支えられている。”〜さん”はみんな、僕たちのヒーローやヒロインである。彼らの物語りは魅力的なはずである。しかし、あまり楽しく伝わっていないように思う。今を支える人たちが民話や童話になってもいい。子供も読めるよう、絵本のような、児童文学のようなお話に仕立てた。”〜さん”は僕たちのまわりの色々なところで躍動している。そして、それぞれには、語られることは少ないけれど独自の物語りがある。
興味をもった”〜さん”にホームページがあれば、その人の実績や作品は知ることができる。けれど、その人の全体像や本音を垣間見るのは難しい。そこに至る経緯や出会い、技術的なことも理解してはじめて、触れられるものだからだ。だから、それらも流れの中で一望できるよう、筆者が語り部となり、その人を物語ることにした。
4 専門と教養
このシリーズで取り上げる方々は、その道で専門分野を究めている。それと同時に、その周辺のことも自分の手で切り開いている。専門を同じくしても、その周辺のどこをどう切り開いたかがその人の個性となる。専門だけではその人が何者であるかは定まらない。その外から必要とされることが、その人の存在意義になるからだ。
自分の専門分野を引いた目線で眺められる力を教養という。祖父母や両親世代に比べると、僕は自身に教養が乏しいように感じてきた。彼らは暮らしの折々に教養に触れる機会が溢れていただろう。一方、自身の子供時代を振り返ると、テレビや漫画やゲーム、そして、受験勉強ばかりで教養に触れる場面が少なかった。それは特別なことでなく、周りの子供たちも似たようなものだったろう。
だから、「循環のひと」は、専門的な技術や知識だけでなく、その人の歴史、地域、ものづくりを通した世界観、人間関係、作家性など、その周辺にも触れている。専門的な話については、踏み込んだものにしない代わりに、ものがつくられるプロセスや仕組みを大まかにイメージしやすいようにしている。「循環のひと」は、お仕事本であり、教養本でもある。それゆえ、知の参入障壁であってはいけない。日頃、文章を読まない人達でも、少しずつ読み進められるよう、文章も細かく分けて書いている。子供も少し頑張れば楽しめるよう尽くしたつもりである。
5 興味の入口まで手を引いていく
僕は理系出身であるし、ものづくりにも関わっているので、目の前に器があればそのつくられ方も知りたいと思うが、そうでない人もいる。ある陶芸作家さんの話だと、器を買い求めるお客さんのうち、その興味が可愛いかどうかだけという人も多いそうだ。お節介かもしれないけれど、ちょっともったいないなと思う。”好き”は”知る”に比例する。器も、もっと色んな側面を知ってもらえれば、もっと好きになってもらえるに違いない。
これだけ情報に溢れた世の中では、詳しい知識だってその気になればいくらでも手に入る。しかし、その気になる機会に恵まれるかどうかは別である。というより、それが大きな問題である。だから「循環のひと」は、読んだ人を"興味の入口まで手を引いていく"ような存在になって欲しい。難しいこと、うるさいことは何も言わず、やさしく手を引いてその入口まで連れていく。そこに立つとその先も少し見えてくる。そうしてそこからは、その人自身で、その職人さんや作家さんの展示会に足を運んだり、本やインターネットで調べたりして欲しい。
また、ものづくりのワークショップに参加した後に思うことがある。もちろん、そこで何かを作ったり手を動かしたりする時間は楽しかったのだけれど、色々教えてくれた講師の方が何を大切にしてものづくりをされているのか、そのプログラムにどんな意味が込められているのか、よくよく考えると全然分かっていないのだ。そんな時の復習教材としても「循環のひと」を活用して欲しい。
6 カード式出張博物館
この本は約15cm四方の大きさをしている。各ページを切り離すとちょっとしたカードになる。これを並べると世界一小さな博物館になる。並べるカードをどのページにするか、どういう順番で並べるか、展示内容はその場その場で編集することができる。本の中身の記載がない空白のカードも用意しておき、それを下敷きにして実物の作品や原料の現物なども陳列する。それ以外の追加情報を記載したカードを用意してもよい。空いているスペースにそれらを並べるだけである。(実際は、何度も使い回せるよう厚紙に貼り付けている。)
ローカル毎に開催されるマーケットやマルシェに足を運ぶと、購買行為は充実していても文化的教養に触れられるような場は限られるようである。そんな時にちょっと余った場所を見つけてこれらのカードを並べるとよい。また、この本で取り上げた職人さんや作家さんが、自身のワークショップを行う際、始まる前にさっとこのカードを並べて自己紹介することもできる。このポップアップキットを「カード式出張博物館」と名付けよう。イベントを主催されていて、文化的教養に触れる場をちょっとでも増やしたいとお思いの方々、お気軽にご相談ください。
いすみ古材研究所