言葉を預かるという仕事。
昨日のニッポン複雑紀行の写真展のトークショーで、編集の仕事の息遣いを感じた。
ニッポン複雑紀行の裏側、企画者と制作者の工夫や葛藤などに触れ、メディアへの愛着が一層沸いた。
毎回、当事者の取材に行くときに緊張感のある編集のやりとりがあるという話。
時には当事者に泊めてもらい、信頼関係のなかで大量のストーリーに傾聴することもある。
当然、編集の仕事になれば、起こされた文字数が大量になることを意味する。
編集という読者に届ける使命の中で、言葉を削ることへの葛藤を感じる。
3万文字もの文字数が上がることも珍しくない。当然、写真の数も膨大だ。
執筆者、写真家、編集者の小さなチーム。工程を明確に切る再現性よりも、意義への飽くなき柔軟性を追求する。
それは、インタビューイーの言葉を何よりも大切にしながら、読者の顔にも想像を馳せる編集としてのプロ根性。
当事者の存在をインターネットに漂わせるため、黒歴史にならないようにする責任。
非営利だからこその意義性も意識する。読回数だけでは測れない価値への追求は止まらない。
「複雑である。複雑であっていい。」というテーマ。
記号では表しきれない解釈の奥行きを、当事者、企画者と制作者、そして読者がまるで一丸となって表現しているようだった。