警察に緊急電話してピザを注文する

こんなニュース報道を見つけた。オレゴン警察署に緊急電話をしてきたひとが、ピザの注文を「してしまう」というものだった。

「ピザを注文したいのですが...」「ピザを注文するために警察に電話したのですか?」「あの、アパートメント名は...」「電話番号を間違えていますよ」「いやいやいや、違うのです。」

緊急電話でピザを注文されてしまうとは、警察も本当にご苦労様、トホホ。

ということではなく、実は家庭内暴力から逃れるためのSOS発信であった。発信者のすぐ近くに加害者がいる。緊急電話を受け取ったオレゴン警察の警察官は、すぐに「注文」の意図を察知して、冷静に対処した。

ひとつ奥にまだ真実があるかもしれないと想像して、忍耐強く傾聴をしてみることが大事。難しいことなのだけれども。

関連して、最近の記事を思い出した。未来食堂の小林さん。

お店を50分手伝うともらえる「まかない」。無料の食事券。これはもちろん手伝った人が使えるのだが、一方で「ただめし」として誰かに譲ることができる。お店の入口に貼っておくのだ。

オモテ面には手伝ったひとのメッセージ。ウラ面には、券を使う人のメッセージがある。

誰にでも開かれた仕組みであるけれども、とは言っても「誰でも使っていいのか」という問いへの葛藤があるそうだ。手伝った人の善意を間近で見ている一方で、それを何とも思っていなそうに使う人たち。

ありがとうを言ったり、申し訳なさそうにすれば「善意」を享受する資格があるのか。言わなければ受けとる資格がないのか。そもそも誰への資格か。いや、そもそも、悪い人なんてあるのか。そんな葛藤の一部も勝手に想像する。

テレビの取材があったときに「ただめし」を利用した男性を、取材側がインタビューしたそうだ。

すると男性は「こういう仕組みを自分も作ろうと思って、試しにやってみた」と言ったんです。そのときの受け答えの感じが、私の目から見てもあまりよくなかった。ディレクターも同じことを感じていたのでしょう。一日の終わりに「今日券を使った人がいたんですが、ふてぶてしい態度でした」「僕は正直、ああいう人が使うべきではないと思います。せかいさんはどう思いますか?」とおっしゃいました。

後日、また男性が現れ、ただめしを使ったそうだ。裏面のメッセージには、また同じようなメッセージが書いてあった。

私は、さっき話した通り、誰が使ってもいいようにあえて気持ちを離しているので、のらりくらりと「そうなのかもしれませんね」と受け流していました。そしたら、その数日後、その男性のお客さんがまた券を使って食べに来たんです。前と同じように「この仕組みを見たかった」と書かれた券を彼から受け取った瞬間、「あ、この人は本当に困ってる人だけど、それを言えない人かもしれない」って思ったんですよ。直感ですが。

これと同じように、ウラ面(使う人)のメッセージも、文字量が多ければ「いいのか」。文字量が少なければ「だめなのか」。

目の前のひとが困りごとをこちらにシグナルで送ってくれているかもしれない。ただ、それは必ずしも直接的で分かりやすいものとは限らない。ピザを注文するふりをして警察に通報した人、未来食堂でただめしを使う人。

他にも様々な事情や状況で、間接的にヘルプを送らざるを得ないことは、自分にもある。シグナルに気付けるまで冷静で忍耐強く傾聴できるようにありたいと思って。