#17 お天道様を視る
暗雲低迷を一瞬にして晴天にしてくれるような、今までの苦悩を吹き飛ばす偶然が続くと、普段は自分の意志や行動でどうにかしてやろうという野心が軽率な考えなのかもしれないと頬を打たれた気持ちになる。
今までの困難が嘘だったのかのように、この一週間で数々の出来事が好転した。どれも自分の力でどうにか導けるものではなさそうで、なぜそうなったのかを考えること自体が野暮ったい。
ましてやどうすれば同じような現象を再現できるかと思案してみることは、まるで神棚にルイヴィトンを置くような下品さがある。
人事を尽くして天命を待つとはよく言ったもので、人が自らの意志で制御できるものは所作法と初動ぐらいで、あとは全知全能の審判を待つしかないのかもしれない。そこの曖昧さをあえて科学することに意義はない
もしこの最近の出来事が何かもしくは誰かによる仕業なのだとすれば、それは僕にとって好転としてありがたく受けるものであり、それが意味するものは明確に二つあった。
それらは極めてパーソナルなものなのだけれども、これからの道筋を示してくれているとも受け取れるものだった。
現代の人が客観的に知覚できていないもの(ないことを科学的に示すのは難しいけれど)を否定するとしても、ではなぜ僕たちはご先祖様やお天道様が視えなくなってしまうべきだったのだろうか。
僕の身に降りかかった数々の偶然を同じく目の当たりにした仲間は、すかさずお墓参りに行った方がいいですねと言葉を置いた。信じるという個人的な営みを自分のなかで大切に育んでいこう。