41話-東京タワーに照らされて
試合が終わりすぐにCARPE DIEM三田が出来た。
東京タワーが綺麗に見える桜田通りの地下一階。
こんな綺麗な場所で柔術をやるとは思ってもみなかった。
当時、そこのオーナーは伊藤健一さん「戦うIT社長」のリングネームでZSTを中心にプロの興行に出ていた格闘家だ。
私はMMAもよくみていたので、有名人に会った気持ちだった。
後に聞くと、健一さんも大の格闘技オタクで、実は私のことを知ってくれていて、初対面で「ディープハーフ教えてください」と言われた。
明るい人で私たちにもいつも気軽に接してくれて、良き上司であった。
最初は僕とアキさんと二人でクラスをやり始めた。
始めの内は人なんて全然来ず、「今日も0人でした」のような日も度々あった。
しかし、インストラクター陣、ワタナベさん、章太郎さん、アレックスさん、ジェイソンさんが早朝6時からのクラスを作りみてくれたりして色々助かった。
私は道場にいるのが好きだった。
朝は三田にいて、昼は青山に行き、夜は三田にいた。
ずっと道着を着ていて、合計すると9時間ぐらい道着を着ている日もあった。
しかしそれをキツいとか大変だとか思ったことはなかった。
私の練習は、昼の青山の練習や夜のアキさんとの練習を毎日やって、週に一回ある「D練」があった。
D練とは中村大輔練習の略。
東京に来てすぐ中村大輔さんが私の練習相手を月曜の朝10時半からマンツーマンでやってくれた。
始めは大輔さんの強さに衝撃を受けた。
なんでも正面から受け止め返される。
物凄い足腰の強さと技のバリエーションがあり、私は5分5ラウンドの中で二回は必ず極められていた。
私は大輔さんを倒すために1週間を使い、その間様々に工夫をした。
やはり自分より強いものを倒そうとする力というのはいつも人を成長させる。
私は強さんやアキさんに協力してもらい、桜澤マサキさんやアイアン中村さんに仮装中村大輔をやってもらい私は技を磨いた。
この頃MMAファイターのアイアン中村さんも練習しに来ていて、アイアンさんのレスリングの強さにひたすら驚き取り入れた。
いつも月曜になるとうまくいかなくて「チクショー!」と何度も叫んで、代表の石川さんに怒られたこともあった。
健一さんの紹介で、RIZINのレフリーとしても有名な和田良覚さんにウェイトトレーニングを一から教えてもらった。
健一さんと私とアキさんで木曜日は大井町でギャーギャー言いながら鉄の塊をあげていた。
私の東京生活はとても充実していた。
そんなある日、試合のオファーが来た。
私が参加したことのある関西プロ柔術MATSURIからだった。
相手は歴代最強の日本人「杉江アマゾン大輔」その人だった。