20話-伝説の脇差パス
初日の夜に道場にいると、小林さんと言う方が現れた。
小林元和さんはずっとブラジルで修行していて、黒帯のブラジルで行われている世界大会、もう一つのムンジアルでライトフェザー級で3位になったり、フェリッペコスタと言う世界王者に勝ったりしている、所謂日本では知られていない隠れた強豪だった。
実際スパーリングをお願いしたら、私より小さいのに凄まじいプレッシャーで、膝を極めながら返すスイープやトップからの足さばき、そして今ではDVDにもなっている伝説の脇差パスと言われているパスは強烈だった。
小林さんはいつも道場にいて、朝10時半からドリルを1時間やっていると言うので、それに私も参加させてもらうことにした。
この人についていけば強くなれると思った。
私のことは多分、小林さんの友達の日本語しか喋らない変な日本人だと思われていただろう。
私は結局最後までポルトガル語を覚えることはなかった。
しかしバルボーザ道場は練習環境がよく、行けばいつも人で溢れているし、昼クラスは超強豪が集まった。
海外の道場はマルセロガルシアもそうだったが、プロ練と言うものが存在せず、絶対的な先生が一人いて、そこで普通にクラスをやり強豪を次々に作ると言うシステムが多い。
良いところは、誰でも一度はその超強豪に挑むことができると言うこと。
そんな環境の中で私は次から次に強い選手に揉まれて行った。
当時はムリーロサンタナを筆頭にシセロコスタ、チアゴアウベス、ジャドソンコスタ、アドリアーノシウバ、ミヤオ兄弟、たまにレアンドロロなんかもいた。
今考えると凄まじいメンバーだったが、私はついて行くのに必死だった。
毎日クタクタになりながらついていき、最後のクラスの頃には体力や集中力がなく、白帯にも極められいた。
しかし毎日やってやる。
やられた奴に全て借りを返してやると思い、毎日日記をつけていた。
たまに見返すと面白くもあり酷くもあり、〇〇にやられた後、鼻で笑いやがった。いつか潰す。
とか書いていた。
中々熾烈な日々を送っていたのだと思う。
もちろんミヤオ兄弟とも良く練習した。
彼らの練習量は当時から凄まじく、もう既にほとんどのメンバーはパウロをパスできなかったのではないかと思う。
ジョアオはまだ付け入る隙があった。
聞くところによると、ミヤオ兄弟はまずパウロが柔術を先に始め数ヶ月遅れてジョアオも入って来たらしい。
その数ヶ月の差なのかはわからないが、パウロがいつもジョアオを引っ張って行っている感じだった。
そしていつも一緒にいるのによく喧嘩してた。
一度こんなことがあった。
私がパウロとスパーしていた時に、私の膝固めが完璧に入った。
このまま極めようと思ったが、パウロはまだ紫帯なので解放したらパウロが急に怒り出した。
多分なんで外したんだと言っているのが空気からわかった。
だからまた膝固めのポジションからスタートした時に、私も若かったのでキメてやろうと思ったが、パウロは痛みに耐えながらその技を自力で外した。
世界王者になった彼の精神力は並外れていてこういった日常の要所にそう言うところがあった。
私はバルボーザ道場で技だけでなく心についても日々勉強した。