6話-青帯デビュー戦
柔専館に毎日通うようになった私は、まず様々なことに気がついた。
まず私に合うガードがなかったこと。
今まではガードという概念はなく、ただ下からやってみたい技をやるだけだった。
しかし、伊東さんと練習するにあたって全然自分が下のポジションで守れていないことに気がついた。要するに勝負にならないのだ。
試合も意識し始めた時だったので、これではいかんと思ったが如何せん脚の可動域が狭く、体が硬い私に選択肢はあまりなく、その中で私が着目したのはエドアゥルド・テレスだった。
たまたまその時『ゴング格闘技』と言う格闘技雑誌がムック本で『ゴンググラップル』と言うグラップリング専門誌を出したいた。
そのナンバー3に、エドアゥルド・テレスと言う選手が載っていた。
その選手は亀から攻めると言う不思議な選手でガードという概念をぶち壊していた。
理由はテレレと言う伝説的な世界王者の練習相手だったテレスは、全くテレレのパスガードをデフェンスできなかった。
その時に、「発想の一つとしてガードを取るより、自ら亀になって守りながら上になった方が効率が良かったからそのスタイルになった」とその記事には書かれていた。
私はこれだ!と思い、亀ガードを次から練習するようになった。
上になれればパスガードには多少自信はあったので、それで次の試合は戦おうと決めた。
一つ余談だが、私は今でも白帯の方には、スパーリングのアドバイスとして、
「上になる能力、テイクダウンまたは下からスイープがないのに、その勝負を勝ちたいがために相手に引き込んでくれないかなと相手に期待するようなスパーリングはやめろ」
と教えている。
敵は必ずしも期待通りには動いてくれない。
勝負は時の運もあるが、時の運に全てをゆだねるようなつまらない勝負論はやっても意味がないからだ。
自分の力で勝負を分けれるようにならなくては、強さを求める意味がない。私の根底にはいつもそれがあった。
伊東さんに何度もバックを取られては逃げてを繰り返し、白神さんにいつか追いつくために向かって行き、清水さんには嫌という程腕を伸ばされた。
しかし、私の青春は柔専館の中にあった。だから毎日のハードな練習も難なく耐えられた。
そして私の青帯デビュー戦の日、仲間の車で移動2時間、神戸から大阪吹田まで。私は車酔いし顔が土色になっていた。多分緊張もあったのだと思う。
私は今ほど緊張に強くなく、むしろ弱い方で試合までずっと胃が痛くなって体調は最悪だった。
その吹田の試合は所謂ワンマッチ大会と言われるもので、お試し試合のような試合だったが、そんなことは私には関係なく、ずっと帰りてーと思うばかりだった。
しかし時間は待ってはくれるわけもなくすぐ私の出番が来た。
私は腹を括ったのだ。