11話-リベンジ
ALMA杯の為様々な準備をした。
練習方法も漠然とスパーリングをするのではなく、色んな形や手段の対応、対策を練った。
脇を差せば全てコントロールできると言うのが理想と言う目標を作り、私はありとあらゆる練習を入れた。
ハーフガード一人打ち込みと言うものも勝手に作り、ドリルを1000回単位の回数でやっていた。
私は今でこそあまりドリルをやらないが、昔は狂った回数を体が使えるようになるまでやっていた。
おかげで多少複雑な動きも初見で行えるのは、この一人打ち込みのおかげだと思う。
私の練習量はどんどん増えていった。
当時、柔専館の流行り練習は一本極めるまでスパーと言うのがあり、一度組んだら極めるまで終わらないと言うグレイシー柔術のようなスパーリングが流行っていた。
2時間の練習で3本から5本のスパーリングを毎日やった。
数字で見たら少ないかもしれない。
しかし実力が拮抗している人と基本組むので、伊東さんとやれば30分から40分、白神さんとやれば30分、清水さんとやれば30分と私の粘るのでかなり長引いた。
その超ロングなスパーリングを経て、私のトップキープはどんどん磨かれて行った。
下で数分で返したら、上でひたすら守りながらカウンターを待つスタイルはこの時作られたものだ。
そしてやはり柔専館の中では館長の宮本さんが強く、私のハーフをあの手この手で潰してくれた。
時には上手くいかず、マットに怒りを叩きつけたり、下が今思うと失礼極まりない行為だった。
そんな練習を毎日やって、日曜は休みだったので休むと思いきや日曜もこっそり練習に来て、一人打ち込みと筋トレをたっぷりやって帰っていた。
今の私がやったら一発で体調を崩す練習量だった。
しかし若い身体の回復力は凄かったと、今になって思う。
そんなこんなで時が過ぎALMA杯の一回戦で林さんと戦った。
前回の飛びつきクローズの悪夢が頭をよぎり
ハーフガードに行けなかった。
私は上を選んだ。
しかし超ロングスパーの成果もあってか、
トップでしっかり守りながら
担ぎパスからのキムラロックで一本勝ち。
私は林さんに勝てた事はもちろん嬉しかったが、何より前回の自分を乗り越えれた事に嬉しさを感じた。
人は失敗を乗り越えて強くなる。
失敗の経験を一生覚えていない人は同じ失敗を繰り返す。
強さは失敗の上にいつもある。