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23話-ブラジルでのルーティーン
黒帯認定されたと言っても、過酷な状況は未だに続く。
毎日ドリル、スパー、ドリル、スパーの毎日。
そして練習の最後のクラスには白帯にも極められる。
ジャドソンコスタやアドリアーノには気に入られて、いつもスパーで呼ばれてボロボロにされて、たまにチアゴアウベスもやってくれたが、チアゴはフィジカルが強すぎてよくわからなかった。
そんな怪物たちのいるところで、私は戦い方を少しずつ勉強していった。
8分で一本スパーリングをやると、いかに無駄な動きを作らないかが重要で極めに行けば行くほどこの練習は疲れると悟り、極力ハーフガードの中で過ごし時間が迫って来たらいきなり返すという戦法でかなりこのロングタイムな練習には慣れて来た。
しかし、いつも竹刀を持っているバルバーザ先生にそれが見つかると「動け!動け!」と竹刀で突かれた。
毎日クタクタになりながら家に帰り、
家では大量のパスタを茹でて食べ、
寝る前に日記をつけて就寝。
朝になると果物と濃いブラジルコーヒーを飲み、
やること日記を書いて練習に行き、
その途中で格安定食屋に行き、
大量のご飯をタッパに詰めて道場に向かう
というルーティーンだった。
この定食屋はお金がなさそうな人が集まる場所だったが、そんなことはどうでもよく、しかしあまりに私が貧しく見えたのか、いつもいる顔見知りのおじさんが私にパンをくれるという、不思議な状況だった。
道場に着いたら小林さんとドリル、そこからクラス。
終わったら昼飯食って道場で昼寝するか
日本人大使館行って暇を潰した。
そこから帰ってまたドリルやってから、
2クラス参加して帰ると言うのがルーティーンだった。
私の当面の目標はブラジルに行くと言うことと黒帯になると言うことだったが思いの外早くこの願いは叶った。
しかしそこで冷静になって気づいたことがあった
「俺、日本帰っても無職や」
普通気づくことなのだがあまりに必死でそんな先のことなど全く考えてなかったのだ。
私は近くにあった大聖堂に行き静かな教会で先のことを考えた。
このままサンパウロに住むものいいけどどうなんだろう・・・
そして大聖堂で売っていた世界地図のプリントされたコーヒーカップをなぜか購入。
それを眺めていると世界は広いからなんでもできるんじゃないか?と思い始めた。
そして私は一つ行動に出た。
日本人大使館のネットを使って職探しを始めた。
すると橋本欽也さんがやっているブラジルブログで日本人の柔術家でオーストラリアか韓国でインストラクターを募集していた。
私はこれだと思いすぐに応募。
するとメールが返って来てワーキングホリデーでオーストラリアに来てインストラクターになると言う新しい目標ができた。
英語は話せるか?と向こうからの質問に「今は喋れないが大丈夫だ」と訳のわからない回答で通ったのは本当に奇跡的だと思う。
そして私はサンパウロにいながら黒帯になるのと職を得ることを同時にやってのけた。
確実に自分の生き抜く力のレベルがパワーアップしていることが分かった。