47話-世界に続く道
6月頭にいつも世界大会はある。
ポルトガル語で「ムンジアル」と呼ばれる世界大会は、柔術家の世界最強を決める年に一回のイベントとされ、そこに向かって一年準備していると言っても過言ではない。
そのムンジアルの二度目の挑戦があった。
この頃の世界大会と今の世界大会は少し制度が違い、今は優勝ポイントが80ポイントを持っていないと世界大会には出れない。
このポイントとは各地で開催されるインターナショナル大会を優勝したり、三代大会を優勝したりするとポイントがもらえるのだが、昔はこのポイント制度がなく誰でも世界大会に挑戦できた。
なので、年に一回しか試合しない人も日本には多くいたし、もちろん記念受験のような気持ちで試合に出ていた選手も多かったと見える。
なのでそういう相手は王者のかませ犬として使われ良い鴨になっていた。
多分私もその一人だったと思う。
その年のブラケットの一回戦の相手は、バタタ"ジャガイモ”と言うニックネームを持った選手で、この選手はサンドロバタタと言う数々のビッグタイトルを持っていた古豪だった。
しかし、もうロートルだからと自分に何度も言い聞かせた。
そして一回戦が始まる。
最初に引き込んだのは私、
すぐ得意のハーフガードからディープハーフガードに以降、
そしてラペラを繋ぎブリッジでスイープ。
トップを取り優位に試合を進めた。
すると、バタタが腕を抱えて来て抱えの腕固めをかけて来た。
この時彼をブラフを掛けていたことがわかった。
この腕固めまで力をそんなに入れないでこの瞬間に全力を使って来た。
私はヤバいと思い回転バタタも付いて来て上下が一回転し、また同じポジションに戻った。
審判はアドバンテージをバタタに与えた。
しかし、回転した瞬間私の左腕はバキバキと音を立てていた。
アドレナリンが出過ぎていて痛いのか痛くないのかも分からない。
試合は続行した。
との後トップでしのぐ私にしびれを切らしたバタタが立ち上がって来た。
私は立ちになった瞬間また引き込んだ。
そしたらレフリーが謎の2ポイントをバタタに献上。
今になって思うと襟を掴まれたままバタタが立ち上がり、
その襟をキープしたまま私がまた引き込んだので、
襟の効果が続行しているものだとレフリーが認識し、
2点をあげたのかも知れない。
しかし私はまた返せば良いとすぐ思い直し、
次はリバースハーフで帯取りスイープをかけた。
一回転し2ポイント。
その後バタタがまた立って来たが、私は同じ轍は踏まなかった。
4-2で勝利。
勝ってすぐ強さんとアイアンさんが寄って来てくれて、裏に連れていかれ負傷した腕の処置をした。
肘を水平にあげると激痛が走った。
見事に壊されていた。
しかし、それでやめるわけにはいかないと思い次の試合も出て行った。
相手はレオナルド・サッジオーロ。
ワールドプロと言う別団体の世界王者だった。
結果はハーフをパスされバックを取られ一本負け。
世界王者はものすごい力に感じたが、今になって思うと私の左腕の力が全然出ていなかった。
またその年も結果を出せず終わった。
世界大会が終わり強さんも負け黄昏ていると、強さんは「やるしかないんだよ。やるしか。」
と言った。
私たちは常にやるしかないんだ。
他に「道」はないと言い続けていた。