31話-地獄の門
私が減量し始めて3ヶ月が経った。
体重は76kgから65kgに落ちた。
そこから全くといっていいほど体重が落ちなくなっていた。
私は走る距離を倍に増やした。
毎日20kmを走った。毎日がハーフマラソンである。
実際その距離を走ると2時間はかかるので朝、昼、晩に分けて走ることもあったし一回で走ってしまうこともあった。
この時は柔術家というよりランナーになっていたといっても過言ではない。
柔術をやると次の日、筋肉痛で体重が増えるので柔術も週三回ぐらいに練習頻度を落とし代わりに走った。
私はやり始めたら凝り性になる性格だったので走り方から靴、走るためのトレーニング、有酸素運動の理論などを徹底的に勉強し始めた。
20km走り始めて私の体重は緩やかに落ち始めた。
次の試合まで1ヶ月を切っていて、次は名古屋のDUMAU PROと言う賞金の出る大会で当時アジア王者だった金古さんとの試合を控えていた。
しかしそれでも体重は落ちたり増えたりを繰り返した。
元ビルダーの國井に聞いてみても「正寛それは間違っている」としか言われなかった。
國井は過度なダイエットはやめろとずっと止めていた。
しかし私はせっかく決めたことを途中で曲げるのが嫌だった。
最低でも次の試合までは絶対にやると決めていた。
私の体重が64kを下回り始めた。もう1週間で500gから1kgなんて落ちなかった。
どう頑張っても200g。
毎日食べる量も減らして晩飯などはほぼ食べてなかった。
それでも体重が増える日があるのだから人間の体とは不思議だ。
調べていくと塩分を抑えたことで常に脱水状態のようになっていて、水を飲むと体に貯めやすくなっていた。
しかし試合は1週間前まで迫っており私も引くに引けなかった。
ある日走りに行った晩にいつも水代で持っている100円を忘れた。
私はすぐ帰ってくるから大丈夫だろうと思っていたら、2kmぐらい走ったところで立ちくらみがして立てなくなった。
視界がどんどん狭くなっていき落ちると思った。
道路にしゃがみ込んで回復するのを10分ぐらい待って歩いて帰った。
低血糖症で死ぬかと思った。
帰って飴や糖分を取るといくらかマシになった。
この時期になると血管が浮き上がっていて背中の血管までびっしり浮き上がっていて静脈がドクドク動いているのも確認できた。
腕も九十度以上曲げると攣るので力を入れる可動域まで制限された。
夜は1週間前はほとんど寝れなかった。
今になって思うと私は自分に取り憑かれていたのだと思う。
自分の強いワガママや意志は下手すれば人間を殺すことができると思う。
私は前日を迎え62kgになっていた。
鏡に映ったガリガリの自分を見て笑えてきた。
狂っていた。