29話-黒帯デビュー戦
ある日HALEOで働いていた私にこんな誘いがきた。
仙台で行われるDUMAUと言う大会のスーパーファイトで、当時ワールドプロと言う世界大会で王者になったホベルト・サトシ・ソウザとエキシビションマッチをしてくれないかと言う話が来た。
私は軽く引き受けたが、そもそもその為に日本に帰ってきたのはその為なのでこれはチャンスだと思った。
いきなり王者クラスと手合わせ出来るのは良い機会だと思った。
そしてDUMAU当日、私はサトシとのエキシビションマッチを行った。
5分2本勝負でやったが最初は流しで技を魅せる。
2本目はガチでやると行った流れでエキシビションをやった。
結果私は2本目に三角締めを取られてその試合は終わった。
エキシビションと言えどサトシの強さ、才能を知れたのは良かった。
彼をキッカケに私はここから黒帯をスタートする事が出来た。
いつか追いついてみせると密かに思った。
しかし私はライト級でずっとやる予定はなかった。
私は練習は草柔会で行い、HALEOの会社の中のジムを利用して減量を始めた。
私が仙台に来た時は76kgあった。
しかし少しずつランニングを開始した。
私は走る事が大嫌いだった。
最初は5km走るのに30分かかった。
しかし毎日走る事を習慣にした。
休みの日以外はジムで走って日曜は外を走った。
そして私の次の試合は関西で行われた。
それも関西でHALEOのサプリメントブースを出しながらになったが、ライト級でエントリーし嶌崎さんと戦う事が出来た。
嶌崎さんは当時クラブバーバリアン所属の黒帯で天才と言われた選手だった。
ヒクソン杯で世界王者のハファエルメンデスと好勝負を演じたり、無差別で急に出てきたと思ったら、凄い動きで勝ち上がり優勝してしまったりとルックスも良く華のある選手だった。
私は負けるわけにはいかないと思い勝負に出た。
試合開始に引き込み合い、
私がダブルガードでディープハーフを作ると
嶌崎さんがリバースハーフで上になった。
私はリバースハーフから得意のスイープで2点を取った。
すると嶌崎さんの猛攻が下から始まった。
オモプラータ、アームドラッグ、
カントチョークなどで攻められたが
私も凌ぎハーフで抑えるも簡単に逃げられる。
しかし攻防の中で
嶌崎さんのペースが少しづつ落ちているのが分かった。
私が出来る事は相手の出した力の分だけ同じか
それ以上の力で受けると言うのが徐々に体力を奪ったらしい。
オーストラリア時代に培った
フィジカルトレーニングはここで役に立っていた。
そして試合が終わり2-0で勝った。
私は日本ではまだまだ無名だったので、嶌崎さんが無名の選手に負けたと言う認識だったと思う。
関西で戦った事もあり柔専館のみんなの応援も心強かった。
無事黒帯1勝目を飾る事が出来た。