7話-初試合とハニカミ王子
レグナムジャムの第1試合、和術慧舟會の選手と当たった。
相手も上を譲らない選手だったので、練習の成果を出そうと思った。
〜第1試合目〜
まず下手なタックルに行った私は、計画通りに潰される。
がぶられながらも巻き込みを取ろうとしたが不発。
バックになって亀になり
背負い投げで投げたが上になりきれず不発。
なかなか上手くいかない。
なぜか流れでハーフガードになった。
そこから脇を差し起き上がりタックルで倒し2点。
そのまま試合が終わり2−0で勝利した。
あともう一試合組まれていた。
2試合目の相手は、ハニカミ王子と言うネーム登録をしていた。
その人は今は黒帯の和歌山の柔術家、武林さんだった。
「あんなふざけた名前のやつに負けたらいかんよ君」
と宮本さんがプレッシャーをかけて来たのでさらに緊張した。
〜第2試合目〜
開始とすぐに、武林さんがすぐ引き込んで来た。
デラヒーバを仕掛けて来たがここは得意な形になった。
私はニースライスでプレッシャーをかけハーフガードに持っていき、
キムラからの腕十字で腕が伸びたところでタイムアウト。
3−0で勝利。
結果二回とも勝つことができた。
私としてはとてもうれしくて、勝つと言う感覚を小さいながらも、
勝った直後に自然とやってしまった変なガッツポーズとともに感じることができた。
その日の帰りの打ち上げで、私は紫帯を巻いても良いと宮本さんから言い渡された。
私としては念願の紫帯で、私が柔術を始めた頃には神のような存在で我々白帯が死ぬ気でかかって行っても簡単に仕留められてしまう、そんな格が違う存在だった。
その紫帯になると言うのは、私の中で嬉しさもあったが責任も重くのしかかった。
紫帯なのにまともに下も出来ない・・・
この現実は私には紫帯を名乗るには不十分と感じたが、帯を認められたことを機会に私はもう一段考えないといけないと思った。
これが私の19歳の誕生日の話だ。
そして私は、DVDなどでかなりの量を観て研究し始めた。
私の体は柔らかくなく、しかしそのお陰で力は強い。引く力より押し出す力の方が強い。脚力は閉める開くは弱いが伸展は強い。
しかし、柔術の技の平均は体が柔らかい方が有利になる技が多く、ラッソーガードやラバーガードなどにチャレンジして一体何度膝を痛めたことか。
だから体が硬そうなずんぐりした体型の選手を探った。
そしたら『ADCC 2005』のDVDで発見があった。
スキンヘッドのマッチョなタトゥー男が、その答えを持っていた。