53話-青木さんとの練習
私はこの時期、少しの間だが格闘家の青木真也さんと練習していたことがあった。
青木さんから誘ってもらい、マンツーマンでグラップリングスパーをやった。
内容は5分×5ラウンド。
私はマンツーマンスパーはこのぐらいの内容が最高だと思う。
だれないし、集中して、パッとやりパッと終われるからだ。
青木さんからグラップリングの技術をそのあと習ったり、それは良い時間だった。
もちろん強くて、どこからでもサブミッションを取って来て、よくタップさせられた。
青木さんは、自分がやりたい組み技のテーマが常にあり、自分の体と合うようによく考えられていて、技一つ一つにオリジナリティがあった。
その練習も何ヶ月か続いたある日、山田崇太郎さんを連れて来て3人でスパーリングをした日があった。
しかしアクシデントが起こった。
私が山田さんの内ヒールフックに対して、反応が遅れて膝が鳴った。
バチンッと大きな音がした。
やってしまったと私は直感的に思った。
痛みはそこそこだったが足が重たい感じがした。
そのあと病院に行き内側の靭帯が半分ぐらい切れていた。
全治3ヶ月と言われた。
私はまたやってしまったと思った。
三月のパンアメリカンを控えていての怪我だった。
私がヒールフックをありのグラップリングを申し出たから、完全に責任は自分にあった。
私は泣く泣くパンアメリカンをキャンセルし、全てのスポンサーに謝罪の連絡をした。
選手は一人の責任で試合できてはいないんだなと、この時深く考えた。
コンディションを整えるのは仕事だし、怪我をしないのもそうである。
激しいトレーニングが必要な時ももちろんある。
だがそれにはいつも危険が潜んでいることを忘れてはいけない。
私の中で選手としての練習教訓に一つ新たな項目がついた。
次の日から松葉杖をついて指導に入った。
脚を怪我したからといって休めるほど当時はスタッフも揃っていなかった。
私はそれでもできることはやろうと考えた。
もちろんものすごく落ち込んだが落ち込んでいても試合ができなくなった責任が取れるわけでもない。
次の日ベンチプレスをセットを組んで1000回挙げた。
私に休んでいる暇などなかった。
復帰するときは怪我する前より絶対強くなってやると思っていた。
三日目には逆のハーフなら組めることが分かって逆のハーフを練習し始めた。
1週間後、松葉杖やめた。
2週間後、痛かったが歩いたり走ったりするようになった。
正座が出来るようになるのに3ヶ月かかった。
5月末膝の怪我をおして名古屋インターナショナルに出て勝つことが出来た。
完全復帰ではなかったが徐々に復活の兆しを見せていた。
この時期は本当に色んな葛藤があった。
私もこのような大きな怪我をしたのは選手になってから初めてで、毎日治療するだけの日々が続くのかと思うと気が遠くなった。
しかし、私は少しでもやれることをやったため精神の不安定さはなかった。
いつでも止まることなく動き続ける。
怪我をしたって立ち止まることはないとこの時の経験で学んだ。