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組織ってどこまで必要なの?

地域や社会に向けて何かやろうとしたときに、団体とか、グループとかを組織化するのって、どこまで必要なんだろうか、と考えることがありました。

先日、20年近く続いている地域の井戸端会議へ参加した時の話。何かしら地域に縁のある方が、自薦他薦を問わず自由に出入りして、語り合いができる。遅刻欠席の連絡不要、ドタ参加も自由。

一度でも参加したことがある人は、自分のネームプレートがあってそれを席上に置く。始めに皆さんが各自好きなあんばいで自己紹介をして、後は議論に参加するもしないも自由。テーマも持ち込み自由。

長年にわたって参加されてきた方が誰かの話をきっかけに自分の想いを乗せて語り、それに誰かが反応する。中には学識経験者の方もいるので、ある方の話は"要するに..."と言い換えたり、誰かの話にまたがる共通点があればご自身の経験をもとに示唆を与えてくれる。

そんなところで、先日、議題に上がったのは
「若い世代の地域の担い手」探し。

地域の課題解決に関わる活動に対して、どうすれば、お客さん的な立場から、実施する側の立場として関わってもらえるだろうか。というもの。

かつてなら自治会に入って、みんなで助け合いしようと啓発?勧誘?するのがいい、で片付いたかもしれない。
(私も子供の頃は、子供会。親は自治会でご近所さんと助け合いして育ってきたので、あまり忌避感はありません。)

でも、その受け皿として、自治会的な「地縁組織」離れを防いで強化していくは、時代の流れにもはや合わないのではないか。
実際、自分が子育て世代になってみると、生まれ育ったわけでない地域に住んでみて、住居地の自治会に自ら飛び込んでいきたいかと言われれば...(そう飛び込もうとは思えない)。

大阪府下で新興住宅街として発展した私の地元近隣エリアだと、なおのこと。人が流動的で、その土地に"地元"を感じている人も多くはない。

でも課題は目の前にある。


こういう時の一つの処方箋は、

組織化しないこと

緩やかな活動を積み重ねること

にあるのかもしれない。先の井戸端会議の有志が、スモールスタートしていくとか。やって楽しいと思った人が、その次の人を連れてくるの連鎖。

こんなときに頭に浮かぶのが、公務員の全国的なネットワーク「よんなな会」。

今日、たまたま「よんなな会」に参加して、改めて思うのが、この活動、別に誰も上下関係がなく、組織化されてないんじゃないだろうか(というように見える)。
熱心にコミットをしている有志が、できることをとことん足し算して、盛大なネットワークを築いている。その熱量がすごい。

参加して感銘を受けた人が、次の人を誘う。
参加して感銘を受けた人が、次の運営を手伝う。

いわばお客さん的立場だった人が、次は主催者の一員になっている。

自治体職員が有志で何かするとき、今後の社会を好転させようとする活動の作り方のエッセンスは、「よんなな会」に詰まっているのかもしれない。

そして、地域に戻ってみれば、あの井戸端会議も似たような熱量を持つ中心的な方々が信頼関係を担保しているんだなあと、重なって見える。

どちらの主催の方への尊敬と感謝を込めて。自分がいつか、ことを為そうと動き出すときに読み返したいと思います。

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