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チームカルガモ兄妹 -私が相棒から学んだこと-【第2話】「衝突」

  
■第2話
 
衝突(Storm段階)
 
私は、S子さんに働きかけてみることにした。自分の言葉や行動が、周りに与える影響について、説明をして何とか理解を得ようと試みた。内容は覚えていないが、彼女の率直過ぎる言葉使いから傷ついている人がいるという話をしたように思う。 すると、「そんな風なつもりはないし、勝手にその人が勘違いしているだけだ。」と言う、「でも、同じ会社で働く人とは、せっかくだから仲良く仕事をするように努力しようよ。」と言えば、「私は間違っているとは思わないし、別に仲良くなどなる必要はない。自分のことを干渉されたくないし、お互い自分のやることをやっていればそれでいい。私はどう思われても構わない。」と言う。
ある日、行き先を誰にも告げずに、数時間席を離れていたことがあった。そして、私は携帯電話に電話を掛けて、「今はどこにいるのか?」と問いただした。 ようやく席に戻ってきたので、私は大きな声で叱った。周囲に居る人もきちんと怒ることを期待していたと思う。しかし、「佐藤さんは、トイレにいる時も電話を掛けてくるし、プライバシーも守らない人だ。」と、逆に怒りをぶつけられてしまった。
 
その後も事あるごとに言い合いをする場面があった。そして、「佐藤さんは、私の上司になるのかも知れないけど、私の人事評価をする人ではないのだから、そこまで私に言う権利はない。」という具合に、どんどんお互いに揚げ足の取り合いを激しくするようになっていってしまった。どうにも、お互い理解ができないという緊張状態の日々が続き、私も胃が痛い思いであった。
ふと思い出してみると、私自身も反抗的な態度を若いころに取っていたことがある。その態度とは、社会や身近な生活環境の中で感じる理不尽なことに対し、やり場のない怒りの矛先を、身近なところで自分の敵を見つけてはぶつけていたように思う。しかし、自分の正義感に従っていたことには間違いないし、だからこそ、そんな時にも必ず自分の信念の模範となる尊敬する先生や尊敬する先輩、同じ志を持った仲の良い友達という人が居たものだった。その人たちは、自分を理解してくれているという安心感を持てる人であり、素直に話ができる人たちであった。
 
S子さん自身にも、尊敬する人や仲の良い友達はいるようである。ただ、この私だけは違うということは事実だと認めざるを得なかった。むしろ敵であったのだと思う。そして、私には、同じ職場で同じチームの先輩であり、時に上司として振舞う利害関係という立場にも立たされていた。利害関係があると、いつも相談に乗るような良き仲間では居られない場面もあり、時には憎まれてでも注意することも必要である。また、周囲からは、「言うことを聞かない部下を何とかしろ!」という、見えないプレッシャーを強く感じていたので、私は、どんどん気持ちが追い込まれて行き、どんどん具合も悪くなって行った。
とにかく夜眠ることができなくなった。正確に言うと、寝むりたくないという心境だった。寝てしまうと、当たり前だが朝を迎える。その朝が恐ろしくて仕方なかった。朝、職場に行きS子さんと言い合いをし、周囲の人達はダメな上司として私を見ている。そんな思い込みから恐怖を感じるようになっていた。
「S子さんと利害関係のない人は、言いたいことだけ言うから気軽なものだな。・・・」
自分と意見の合わない部下を持ったことを恨む日々を過ごしていた。
 
自分の指示を聞いてくれないし、揚足の取り合いとなっている状況はどうしたら良いのか。私はとことん悩んだ。
ある時、限界を感じて部長に相談をした。すると部長は、「お前が、上司を選ぶことができないのと同じように、お前は部下を選ぶこともできない。むしろ、自分の都合で部下を選ぶべきではない。」という話を頂いた。良い言葉をいただいたとは思うが、やはり私が逃げているとしか受け取ってはもらえなかったようで、気持ちは余計追い込まれてしまった。
「実際、私は逃げているのだろうか?・・・、なぜこんな苦しみが自分に必要なのだろうか。・・・」と、毎日毎日頭の中で同じことを繰り返し考えていた。
 
世の中は成果主義と言われ、高いパフォーマンスを出す人が、高い待遇を受けるという風潮が言われている。イメージとしては、スポーツ選手のような契約の世界を考えていた。「しかし、場合によっては、上司の都合で部下を取捨選択することにもつながるものなのではないだろうか。・・・」と、ふと、部長の言葉からそんな考えが浮かんできた。それが効率的だと言うとしたら、何となく人間を軽く扱っているようで寂しい気持ちにもなった。
「部下を自分の都合で選ぶべきではないということは、真っ直ぐに部下と接して、部下の力を引き出すことが上司の役目であるということなのだろう。・・・」日本的経営の古臭いやり方なのかも知れないが、今でも日本の会社にとっては、それが上司の目指す姿であり、部下の働き甲斐を生むリーダシップなのかも知れない。しかし、あんなひどいことを言い合うような状況を考えると、そんな綺麗ごとは信じたくはないという気持ちの方が強かった。
 
しかし、一方では、「私は、S子さんに自分のことを理解して欲しいという甘えが強かったのではないだろうか・・・。」という気持ちもある。
 
私の心は、迷い始めていた。
 
つづく



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