涙は、こみ上げる?こみ上がる? ついでに、湧き上がる?
日本語というのは、とんでもなく難しい。同じような表現や言葉遣いでも一文字変われば、受け手の印象が大きく変化することもある。
日々そう感じながら生きている。
そんな時、ある方のnoteを読んでいて気になった表現があったので調べてみた。ってのが今回の私の記事の内容。
それが「こみ上げる」と「こみ上がる」の違い。そして正しくは「こみ上げる」だということ。私は今まで「上がる」が正解だと思っていた。
何歳になっても、こういう思い込みや思い違いはあるものだし、気づいた時に調べて修正していきたい。ついでに「湧き上がる」も調査してみたので最後までお付き合いください。
最初に浮かんだ疑問。
それは、どうして「こみ上がる」ではないのだろう。
だって、涙は勝手に出てくるでしょ?という疑問がわく。
前述したとおり、わたしは「上がる」派。
つまり自動詞派だった。
「上がる」だと自動詞だから、勝手に動作するイメージがある。
他方「上げる」は他動詞。ということは、原因となる要素があって、それが作用して涙を「上げ」たということになる。
例えば、「映画を見て感動で涙がこみ上げる」だと、「感動」する原因として映画があるということだ。その原因が感情を動かす。その結果として、涙を「こみ」「あげた」ということと理解できる。
映画→感動→涙 という因果関係だ。
つまり、「こみ上げる」という言葉は、因果関係を含んでいることを明確にしているわけだ。「感動」で涙が出たわけではなく、「映画」が原因となり心に作用して、涙を出したということを表現している。
ただ「映画が涙をこみ上げた」と書くと英語っぽい表現になる。日本人には理解しがたい。いわゆる無生物主語ってやつですね。
でも日本語は無生物主語をあまり使わない。
だから「涙がこみ上げる」と書くのだ。
本当の主語は「映画」なのだが、あえて省略する形を採用しているのだと想像する。
なんと深いのだろう。
そして、言外に因果関係がありますよ!と、はっきりさせるためにも「こみ上がる」という自動詞スタイルをとらないのだ。
これで「こみ上げる」という他動詞を使う意味ははっきりと理解できた。
私は間違っていたと頭で理解できた。
またひとつ賢く慣れてよかったです。
ついでに「湧き上がる」はなんだろう?と調べてみた。
これは自動詞。
「涙が湧きあがる」とした場合は、原因や因果関係はあえて明確にしていない。涙が出てきたという現象そのものに注目した表現ということになる。原因が何なのか?は読む人の想像に依存する形をとった言葉選びなのだ。
どちらを選んだとしても、読む人にとっては一瞬のこと。
ただ、書く側はこういう細かい部分にまでこだわって言葉選びをしているはず。
やはり、日本語は深い。
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