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最初の一手の難しさ --- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」

とりあえず、ダウン症は関係ない話である。

息子は現在五歳で、家ではダイアブロックや機関車トーマスの木製レールのおもちゃをよく遊んでいる。
トーマスのレールは、最初誕生日プレゼントにこれがいいと選んだセット(ちとお高かったが)に加えて、リサイクルショップで安く売られていたのを大量に買ったのと合わせて、結構複雑な路線を作れるものだ。

それをひとりで遊んでいるかというと、僕を呼んで一緒にやろうと言う。ひとりで作ってみな?って言うのだけれど、一緒にやると主張する。

しょうがないので、パーツ状態のレールをリビングにひろげて、さあ作ろうかと始めるのだが、最初のひとつを彼は置けない。
試しに僕が置いてみる。
次のレール、つまり方向付けも自分でやろうとしない。
僕がカーブを作ってみる。
そうすると、あっちとこっちをつなげたいなどと主張し出して、自分でレールをつなげていく。

理解はできる。

最初の一手を自力で打てるかどうかというのは、とても大きなポイントだし、次の一手は点と点から線をつくるので方向性を決める重要な手だ。
これらを自力で決められる人は、実は大人でも多くない。

ちなみに個人的には、スタート地点だけ決めて無軌道に走るのはあくまで芸術であって工学ではないと思っていて、工学であるためには、大きなゴール(最終的に別の着地点になったとしても)とマイルストーンを見定める必要があり、その途中の点を自力でうてるひとというのも、実は大人でも多くはない。

エンジニアリングの世界にいると当たり前のように思えることだが、それはそういうことができる人間だからエンジニアリングの世界に生息しているのであって、世の中全体をみたら、最初の一手もゴールも、与えられないと動けない人のほうが大多数だと思う。おそらく。

でも、それじゃ駄目だ。

だから僕は、なるべく息子に最初の一手を打たせたい。どのレールをどに置くかという、ぶっちゃけどうでもいい小さなことを、ちゃんとできる人間になって欲しい。そこから始めて収集がつかなくなっても、そんなものは繰り返し失敗して経験を積めばいいだけのことだ。

最初の一手をずっと打たずにいたら、いつまでも打てない人間のままになってしまう。

これは高度な要求なのだろうか。……そうなのかもしれないが、とても大切なことだと思うし、僕のような人間が子供に教えてあげられることは、多分こういった種類のことくらいしかない。社会常識とか、自分自身がないしな。

とりあえず今日は、ブロックでトーマスを作っていて、これまでは途中で僕にやってと言っていたのを、投げ出しそうになりながらも、大丈夫それでいいからやってごらん自分の理解で進めてごらん失敗したらやりなおせばいいからと説得しながら、なんとか8割くらい自力でトーマスっぽいものを作れたので、よしとしたいと思う。

ただ息子よ、僕の息子だからしょうがないとは思うが、マニュアル見て作ればいいのに、どうしてマニュアルを見ないのだ。
そのくせして、どうしてそれっぽくパーツの配置を覚えているのだ。
ざっくりプロトタイピングして作り直す系のエンジニアかね、こいつは。

(2017年2月26日記)

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