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「天城山からの手紙」22話
この日、筏場にある林道口から皮子平を経由して、最深部にある”ヘビブナ”を目指した。このルートはお気に入りの一つなのだが、戸塚歩道に入るまでが実に退屈でいつも二の足を踏んでしまう。ただ3月の天城は、眠りと覚醒の狭間にいる時期で、何もなければ全くの無だが、時として神秘的な情景に出会うことができる。この日も、とにかく山に行きたい一心で出かけた。天城の中でも、私は戸塚歩道は大好きな場所の一つで、まさに原生の森と言っても過言ではない。そこら中に倒れた木々や岩は、深い苔に覆いつくされ、ゆっくりと森の命は循環し、森の時間を作っている。途方もない時が流れ、何度の四季を繰り返し、何度の雨や雪を、そして何度の命が終わり始まった事だろうか。私は、そんな森に思いを馳せ歩きながら、思う存分に妄想する。目に入る者すべては、生きるという目的の為だけに存在し、生を受けたその場所で始まり終わるのだ。ふと目に入る苔に覆われた石も、いったいどれだけの時間、その場所にいるのだろう。その石に、思いを寄せれば、それは太古の記憶が刻まれた証人なのだ。妄想も深まれば、森の感情という渦に飲みこまれ、目の前の光景は、被写体の宝庫になっていく。この日、最初の出合いは、苔に覆われ重なり合うようにして命が還る光景だった。一本一本が、まるで意志があるように右に左にと倒れこみ、誰一人として同じ向きにいない。目の前にあったのは、確かに命を全うしたというそれぞれの思いだったのだ。そして、心の鼓動と共にシャッターを押すと、”自然”への畏敬の念が溢れだしたのだった。
掲載写真 題名:「重々の床」
撮影地:戸塚歩道
カメラ:Canon EOS5D MARK3 EF24-105mm f/4L IS USM
撮影データ:焦点距離28mm F16SS 1sec ISO800 WB太陽光 モードAV
日付:2016年3月21日AM5:57