本当に頭を使うというのは「予定された答えがない問い」に向き合うこと
私たちが学校で学ぶということは、「世の中ではすでに答えがある」とされている問いに答える力を養うことでした。偏差値能力とは、答えがすでにある問いに答えるための知識やスキルを身に着けることで上がっていくものだからです。
もちろん、人類はその歴史の中で多くのことを解明し、知識として整理してきました。そうした人類が蓄積した情報を身につけることにも意味はあります。とはいえ、あらゆる情報のすべてを自分の中に取り込むことができるわけではありません。
それに、今はネット上で検索すれば、圧倒的に多くの情報がすぐに出てくることも事実です。そういう意味で、記憶していることに価値があった時代とは状況が変わっています。
イノベーションを起こす力とは
では、こうした状況の中で、本当に身に着けておかなければならない力とは果たして何なのでしょう。たとえば人類が、そして私たち日本人が今、一番必要としているイノベーションを起こしていくには、どういう力が必要なのでしょうか。
今の世の中、私のような、若いころにネット環境がなかった世代も、ネット関連の知識やスキルを身に着けることが一様に求められてきています。でも、それだけでイノベーションが起こるとも思えません。
同様に、こうしたネット関連のスキルや知識を身に着けている若い人たちが、それだけでイノベーションを起こせるようになるかといえばそういうわけでもないのです。
では、いったい何が必要なのか。
スキルや知識では補えないもの、それは頭の使い方を身に着けることだろうと思います。というのも、日本の教育に一番欠けていると思われるのが、頭を使うことだからです。
本当に頭を使うことの意味
そもそも教師という職業があまり頭を使う職業になっていないのではないか、と思われるところに問題があります。
「知識を持っている」ということと「頭を使える」ということとは同じではないのです。教師が頭を使っていないというのは、日本の教育現場が既存の答えを教え込む場になっているからです。
本来、頭を使うというのは、「答えの見えない問い」と向き合うことを意味しています。
答えの見えない問いとは、たとえば、「自分の人生をどう生きるのか」とか、「学ぶというのは自分にとってどんな意味があるのだろう」といった問いのことです。
それらの問いに向き合うのは面倒くさいといえばその通りです。向き合ったからといって、何かすぐにいいことが起こるわけではないし、成績がすぐに上がるわけでもありません。
でも実は、こうしたすぐには答えの見えない問いに真剣に向き合うことが、頭を使うことでもあるのです。そして、本当の意味での「考える力」を身に着けていくことにもなるのです。
私たちが本当に精神的に豊かな人生を歩もうと思えば、こうした「予定された答えがない問い」に向き合う姿勢が必要だ、ということなのです。