探究心という上昇気流にのる
こんにちは。
今日は昨日と違って清々しい晴天。
晴天が見える中、屋根から雪の溶ける雫の音がリズミカルで、雨音が垂れる音とはまた違った心地よさを奏でています。
さて、昨日の続き、もう少し噛み砕いてみたいと思います。
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あなたが料理が好きな人だとします。
キッチンに立っているのがとても自分が心地よい時間で、スーパーで食材を見たら何作ろうとワクワク考えてしまったり、キッチン用品コーナーに行けば新しい料理の幅が広げられると楽しくなってしまうほどの料理好きです。
SNSやレシピサイトを見ていたら、「作ってみたい!」と思う料理を見つけました。
そしてそれをみながら一通り作ってみて完成し、食べてみました。
「少し味薄いな」「茹でる時間が早かったな」「自分ならこうしたいな」と気付きました。
そしたら、もう一度その気づいたことを意識に留めながら、そのメニューの精度をあげて自分のものにしたい、追求したいと思うと思うのです。
この
の一連のサイクルが繰り返されることで、上達またはレベルアップしていくわけです。
また素材や調理法に対しての感覚や見識が身についたり、他のレシピに応用させていくことができたり、自分の料理の裾野が自然と広がっていくと思うのです。
そこから、「フライパンの素材の違いで仕上がりが変わるのかも」と興味が湧いて金属について調べてみたくなったら、またさらに自分の裾野が広がりますね。
だけど、まずあなたが料理することがそんなに好きじゃなかったら?
とりあえず完成させられて、食べられて満足で終わってしまうと思うのです。
もちろん、それを気合いで続けてやっていくこともできるでしょう。
しかし、それが根本的に楽しくないのであれば、途中で息切れすると思うんですね。
発見や改善できるポイントにも気づくこともできないかもしれません。
それを毎日続けろと言われたら、どうなるでしょうか?
(つらいと思ったなら、それも気づきですね。)
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もし今やっていることが最初は高揚感があって楽しそうとおもってやってみたけどそれが続いていかないのであれば、人の価値観だったまたは刺激で行動したのかもしれません。
また、もし気になっているけれど見分けがつかないことがあるのならば、とりあえずやってみてそのサイクルに乗らないならば、すんなり「これ違った」と止めてしまうので全然いいと思います。
大事なのは、自分の感覚に素直でいること。
ご自分のその内側の感覚を繊細にそして大切にされてください。
参考になれば幸いです。
お読み頂きありがとうございます。