負け続けた事の凄い価値
私は9歳から19歳までの10年間サッカーをやっていた。
今では女子サッカーなど珍しくともなんともないけれど、私がサッカーを始めた40年前は「女の子なのに‼️」などとめちゃくちゃ驚かれた。
それでも神奈川県内には36チームほど小学生の女の子のチームがあり、毎年県大会があり毎年優勝争いをしているチームにいた。
始めたばかりの頃は体も小さく、思うように体が動かない事や割と強いチームにいた事でなかなか試合に出られない事もあり、結構悔しい思いをしていたと思う。
元来の体幹の強さと足の速さが唯一の救いで、細かいボールさばきが下手な分を十分に補う事が出来たため、私は段々とサッカーにのめり込み毎日の放課後と休みのほとんどをサッカーに費やす小学生となっていった。
6年生の時は男女含めて私より足の早い人はいなかった。
が、中学生になり身体が変化。
その頃も陸上競技部でトレーニングしながらサッカーは続けていたものの、小学生のときみたいな機敏さがなくなった。
女性アスリートあるあるで、第二次性徴期に身体もメンタルもガラッと変わってしまう壁に当たった。足も遅くなったし、私は平凡な陸上部の部員でたまにサッカーやってるくらいの女子中学生であることを思い知らされた。私より凄い人が沢山いるのを目の当たりにして、世界が地の果てまで広がっていることを知った。
初めての挫折だったかもしれない。
が、元来いつまでもクヨクヨするのが嫌いなので、毎日を粛々とそれなりに楽しんでいた。
中学生の頃は家庭内も色々あって
良くグレなかったなぁーと思うくらい事件が多発していた。ここでは長くなるので割愛させて頂く。
そういった環境にありながら道を外さずに済んだのは毎日打ち込む部活動やサッカーがあったお陰だと心から感謝している。
高校生になった時、バブルの絶頂期を迎え、余剰のある会社が税金対策の為に女子サッカーに手を伸ばし始め、私のチームも㈱フジタと契約を結びフジタサッカークラブマーキュリーの一員としてプレーすることになった。
感覚としては、チームにフジタが日本女子サッカーリーグに参加して一緒にやりませんか?とお誘いがあったので、是非お願いします!みたいな感じで話が進んだと記憶している。
高校三年生の時日本女子サッカーリーグ(現なでしこリーグ)に参加。
同世代には大竹由美、奈美ちゃん、少し上だと現女子日本代表監督高倉さんなんかがプレーしていたリーグで、とてもじゃないけど全然勝てなかった。
毎試合大量得点で負け続けた。
西へ東へ全国へ飛び回り
毎週試合で10対0とかで負け続けた。
地獄だと思った。
助っ人で来てくれた並木さんというアスレティックトレーナーに
「何この得点差、ラグビーの試合?」
とか言われて撃沈した。
今では笑い話ですけど(笑)
で、2年間私がサッカーを辞めるまでで勝った試合は一試合だけだった。
最後にベレーザとの試合で当時14歳だった
澤穂希選手に抜かれ、あまりのスピードで見えない、ついて行けず、私のいる世界ではないと実感。
19歳で辞めることを決意。
以来私はサッカーをやっていた事を思い出したくないくらいのトラウマとして心に蓋をして固く閉じていた。
でもその後の人生には多いに役立つ経験だった。
どんな酷い状況でも気持ちを切り替えて
対応出来るメンタルが私にはあった。
休みなく働いても動き続ける体力があった。
試合は一度始まれば終了のホイッスルがなるまで天変地異でもない限り終わらない。
どんなに点を入れられても、前を向いて次起こる事に対処しなければドンドコ点は入れられてしまう。
動かなければそのフィールドでは生きられない。
諦めたら終わりなのだ。
私は辛いとき、苦しいとき、その時の事を思い出して前を向く。
クヨクヨして振り返る時間など1秒もない。
ドンドコ時間は流れ、後回しにすれば面倒な事が積み重なっていくだけの事だと身を持って知っているからである。
ころんでも立つ
苦しくても走る
とにかく動く
やめてしまえばもっと惨めだ
試合にさえ出れない
使えない人間はフィールドに立つ事さえ許されないのだから。
人生は選択の連続だ。
だから無理にフィールドに立つ事が全てではない。
けれどもし本気で望むフィールドや土俵に立ちたければ、腹に覚悟を決めるべきだと私は思う。
そしてこれが万人に通じているわけでもないことを知っている。
これほどまでに負け続けたトラウマを持つ事が万人に共通ではないからである。
負け続けたのは私とチームメイト。
似たような経験がある人もいるかもしれないが、この経験はトラウマであり私の宝物であったと最近気がついた。
トラウマは自身の宝物である。
自分の力の根源になりうるのだから。
私はどんなに惨めでも立つ事が出来る。
それは受け続けた試練から逃げなかったから。向き合う覚悟が出来たから。
トラウマになるほど負け続けた事が
私の価値を押し上げてくれている。
負け続けた事の価値は
私の原動力なのかもしれない。
試合終了のホイッスルがなるまで
私は動き続ける。
諦める事は自分に負けること。
敵は自分自身だ。