四十にして区切らず・後編
※※※
こちらは、iitoco!!アドベントカレンダー2023に投稿している記事です。
2023年12月1日~25日まで、様々な皆さんとブログ記事をつづりリレーします。
※※※
イイトコアドベントカレンダー2023。そうでした、12月1日にトラブルがあって中途半端にリリースしたので、カレンダー後半で空いていた22日に枠を抑えていたんでした。
ということで、前回の記事(というよりは自分のメモ)の続きとして綴りたいと思います。
前回の記事はこちら。
2023を、自分自身が主催している活動ごとに現在地点を改めて整理し振り返りました。
これを踏まえた上で、先日の「移働」で感じたことと、毎年恒例になりつつある「パートナーとの関係性」を振り返りつつ、前回ちょっと引っかかってしまった「共同体への批判的意見」を考察し、2024を見据えていきたいと思います。
①移働Vol20.京都亀岡~宮津編
ときどき全国を【移働】して、地方のコミュニティとコミュニティをリアルに繋ぐ全国ときどき移働協会。
協会を掲げ、活動を続けてきて、地方同士は競合しないと気づきました。確実に、奪い合う競争ではなく、分かち合う共創ができます。その気づきをもとに、全国の面白そうなコミュニティと佐久を勝手に繋げていきます。
ということで、数えてみたら、今回20回目の移働。久々に単身で行って来ました。
さてなぜ京都だったかというと、土台にある考え方が似ていそうで、拠点を持ちつつ活動している方々がいるので、久しぶりに会いに行ってきました。
◆京都亀岡 里山ベースハナビ 鶴田さん
亀岡市。人口約9万人。京都駅から電車で30分、大阪駅からも1時間程度で来れてしまう立地です。新幹線駅こそないけど、規模的にも佐久に似ている感じがします。
さて、里山ベースハナビは、約5年前佐久に2週間住んでいた鶴田さんが始めた活動で、今年、いろいろありまして亀岡に移転しました。で、人口10万人程度の都市ではあるのですが、鶴田さんの拠点は亀岡駅から車で20分程度の山の方の集落。正直高齢化問題がそろそろ終わりを迎えるんじゃないか?というこんな場所です。見渡す限り、資源だらけ!?笑
ハナビは、一言でいうと、里山を活用しながら衣食住の自給率を高め、暮らしの延長線上で仕事(ナリワイ)を作り、コミュニティとして豊かな暮らしを創っていく活動をしています。
事業的には、
・シェアハウス&ゲストハウス
・お試し田舎暮らし
・交流イベント
・亀岡古民家再生プロジェクト
・自給農講座
・工務店的まちの便利屋
・農業
・ペットフード製造
あたりです。
さて、衣食住の自給率を高めるというのは聞こえはいいけど、実際やるととんでもなくめんどくさい事なんです。ハッシュタグのためのなんちゃっての人も多い中、ハナビは徹底しています。
主食のお米、こちらは今年も無農薬で栽培していて、来年は3反に面積を増やすそうです。
野菜も畑を自分たちでしていて、岡本よりたかさんと意気投合し、今年から自給農講座も開催しています。
食肉については、どこの里山でも抱えている獣害問題。ハナビももれなくその環境で、なんと自宅から徒歩5分圏内のところに罠が設置されてました笑
鶏も飼育していて、そろそろ卵を産んでくれそうとのことです。
また、シェアハウスには20歳の女の子が住んでいて、僕が着いた時ちょうど縫い物をしてました。これも岡本さんの講座で学んだ「たつけ」をつくっているんだそうです。農作業なんかで着るあれです。そのうち生地に関することも自給をスタートしてきそうな感じを受けます。
そして、「住」に関して。
里山でハナビの活動をしていく上でのキーになります。鶴田さん、佐久にいたときはデスクワークだったんですが、ハナビをDIYで造り、その結果、集落のいろんな人から住居に関しての依頼・相談がきて、それをとりあえず受けてスキルアップ。今では家が建てられるレベル、もう工務店レベルにまでなってしまっています。5年てほんと積み上げられるものですね。
で、この技術が、一足早く高齢化問題が終わりそうな、こういった里山では力を発揮してきます。そうです、空き家がどんどんでてくるんです。で、鶴田さんみたいに地域にしっかり入っていると、集落の遊休資産の活用相談が舞い込んでくる。実際、もう1件空き家を所有しているので、若い世帯向けに賃貸物件としてリノベしようとしているところだそうです。ここ結構な里山なのですが、亀岡市街に車で20分程度ですし、高速使うと梅田まで1時間程度で行けちゃう立地なんですよね。なので、きっと鶴田さんの活動に興味を持った人が集まってくと思うので、このリノベ&賃貸はただ単に不動産事業というよりは、村づくりに近い意味合いを持っていると思います。
それ以外にも農地問題もあり。空き家には農地がもれなくついてくることが多いそうで。取得は農家しかできないから、鶴田さん来年からは農家登録するんだそうで。事実来年は田んぼの面積を増やしますし、そうしたら、お米作りのコミュニティを作るそうです。ゲストハウスもやっているから、相性抜群ですよね。
数年後、この集落が、ハナビ村になっているのが目に浮かびます。
自分たちの手で、暮らしを自給し、その延長線上でナリワイをつくって稼ぐ。これは安心で強いコミュニティですよね。
これからの鶴田さん、ますます注目です。
◆京都宮津 ㈱百章 矢野さん
さて、亀岡からちょっと足を延ばしまして、京都北部の宮津市へ。
こちらも5年ほど前、こんな冊子をつくるために日本全国軽トラ1週しながら、佐久にも寄ってくれた矢野さんです。(一緒に来てくれた大堀さんは今仙台だそうで、最近子供が生まれたそうで。次は仙台に行こうかな。しかし、5年前の自分の記事を読むのは恥ずかしいものですね笑)
宮津市は矢野さんの故郷。
人口は17,000人ほど。天橋立があったり、伊勢神宮の元という意味の「丹後一宮 元伊勢 籠神社」があったりと、商売で栄えた歴史ある町です。実際、宮津駅周辺を歩いてみましたが、街はこぢんまりしてるけど、だからこそ歩いていける距離にいろんなものがあって結構活気のある印象でしたが、人口は急激に減少中、2045年には9,000人程度まで減ってしまう予測になっています。
さて、矢野さんは約3年ほど前地元に戻り㈱百章という会社を立ち上げ、兼業や複業が当たり前になりつつある今だからこそ、一次産業の魅力を伝え、一次産業に携わりたい若者が気兼ねなく参加できるようなプラットフォームを創るため活動しています。
そのために、まずは自分たちが一次産業に携わり、商品を作って販売することが大事という考えの元、3年前レモンの苗木を植え始めました。日本の中では栽培適正的にギリギリ最北端と言われているようなところなので、周りからは無理に決まっていると心無い言葉もかけられることがあったそうですが、めげずに向き合いってきた結果がこちらです。見事なレモンが実っています。本格的な収穫は今年が初めて。でも、もうすでに地元からたくさんの声がかかっていて、収穫見込み分は売約済。僕レモン大好きだから、佐久のみんなと分かち会いたいなという想いをもっていったのですが、今年は願いかなわず。でもどんどん面積増やしているそうなので、来年以降は収穫の時期移働で手伝いに来て、佐久に背負って帰りたいと思います。
レモン以外にも
・生姜の栽培(共同代表の関さんが栽培)
・農泊シェアハウス
・農家民宿(一等貸)
・レモネード販売(キッチンカー)
・プラットフォーム事業
・移住支援、空き家活用事業
・研修事業
等を手掛けています。
プラットフォーム事業では、このようなものを作り始めたところだそうで。実際、街に人を呼び込む活動なので、いろんな大変なこともあるでしょうが、地元の人としっかりつながっていることが、一緒に街を連れまわしてもらった時に偶然であう人たちとの会話から伝わってきました。ほんと商売で栄えた街なので、製品開発意欲も高いのか、ギラギラしてるという訳ではなく、純粋に楽しんでいるのが伝わってきました。こういう仲間と街を盛り上げていくって楽しいだろうなと、思います。
そして、こちらのシェアハウスにも20代の女の子が住んでいて。矢野さんの活動をいろいろ手伝っているそうです。キッチンカーでのレモネード販売にも立たれているようで、結構売ってくるんだそうで(レモネード自体もおいしいと思うけど、金額聞いて結構びっくり)。
多分色んな仕込みが終わり、これから一気に畳み掛ける段階っぽい気がする矢野さん。超絶忙しくなる前に再開できてよかったです。
とりあえず、パクチーの種送りますね。レモンどうぞよろしくお願いします!ローカル×ローカルの可能性探って行きましょう。
◆二つの拠点に共通すること
里山での自給自足をベースに、暮らしの延長線上に生業をつくる鶴田さん。
自ら一次産業に携わり、それを起点に街全体で稼ぎにいく矢野さん。
二人に共通しているのは、ここ数年確実に仕込みをして、自分自身がまず稼ぐ事業をつくっていること。そしてフェーズとしては、その仕事が自分一人では手が回らなくなるところに差し掛かっていて、仕事を共有する人を増やす段階に来ているということです。その共有する人、というのが、直接聞いたわけではないけどおそらく、いわゆる「雇用」という概念とはちょっと違って、言葉にすると「仲間」なんだと思います。そのために、シェアハウスを構えているのも共通していて、たまたまだったと思うけど、両拠点とも20代前半の女の子が住んでいて、この子たちが地に足つけて自分の意思をもって活動に参加していることがとてもいいなと思いました。こういった若い世代とも繋がれているというのが、後々効いてくると思うからです。
両拠点ともこれからがとても楽しみです。で、僕も負けないように頑張ろうと元気もらったしヒントももらいました。これが移働のいいところです。
②パートナーとの関係性
3年ほど前から、アドベントカレンダーの記事の中には「パートナーとの関係性」を書くようになっています。理由はわかりません。
今年も、いろんなところに行きました。
お隣富岡の動楽市、3年ぶりの福島県玉川のソライチ、2年ぶりの富山県立山の立山クラフト。面白いのは県外のクラフトフェアなのに、前回出店時に買ってくれて、再び訪れてくれる人が現れてきたこと。これは、僕もうれしいからきっと萌子さんはとてもうれしいはず。
また、萌子さんがレザーソムリエをとったので、革工場の見学に東京や関西にも行って、関西の工場見学にはちょっと足を延ばして、香川に行きました。帰りはサンライズ瀬戸に乗って夜の瀬戸内海と月が本当にきれいだったのを思い出します。
今年ほとんど、旅行=移働だった気がするから、正直ほとんど観光ってできてないけど、でも、この旅が好きだったりもします。それは、やはり萌子さんが向き合っている革製品づくりの、言わば一番緊張する販売の場に一緒に来ていること。それを一緒に感じて、夜ご飯食べながらや帰りの時間に、こうやってみよう、こうしたいあーしたいなどといろいろ話すのが僕は好きだからだと思います。そういえば、映画一緒に見に行っても、その後感想を言い合うようなことはほとんどないけど、それぞれの活動に対しての相談やフィードバックがし合える関係性ってのは本当にうれしいことです。
あと、今年東京の革工場で出会った縁から、栄村で捕れた熊革を使った商品開発にもチャレンジ。シンプルながま口をつくったのですが、一般的なガマではなく、この形状を持ってきたのが萌子さんらしいと思っています。こちら僕も今のところ小銭入れとして使わせてもらっていますが、このがま口の形状がとっても良いし、肌触りも良いし、結構気に入っています。上述した動楽市では、革の大好きなお兄さんが、「これ東京の百貨店だったら1万円余裕で超えますよ」と言いながら喜んで買って言ってくれた姿は印象的です。今年は1点商品開発したところまでだったけど、今後このご縁がどう発展していくか、僕としても楽しみです。
ちなみに、この、猟でとれた革。僕も今年わな猟の免許取得したんですが、やっぱり地元の革でもやってみたくて。幸い、僕含めて3人の仲間がいるから、今猟期で捕れた革を使って、何か作ってみたい。個人的には革手袋とかいいんじゃないかなと、今は思っています。
そしてです。
今までは一部信頼を置ける人以外は自分で販売する、要は自分の見える範囲で作家活動をしてきた萌子さんですが、今年はちょっと変化が起こります。
それは、とあるマルシェでの出会いがきっかけで、こちらの店舗で1週間ほどポップアップ販売したんです。普通、委託販売などのお声がかかると嬉しいと思うのですが、萌子さんも、僕もそうなんだけど、すんなりいかないのです笑 だから、今回の出来事、僕としては「よく受けたね」という感じだったのですが、直感を信じて受けたみたい。いろいろあったけど、店舗の人の人柄が本当に良くて、出店して本当に良かったようです。
それに加えて、このご縁で、これまた、いつもだったら受けていなさそうなことなんだけど、こんな感じの今までとはちょっと違った販路を持つことになりました。さてどうなることやら。
でも楽しそうにやっているから、きっと良かったと思うし、萌子さんのフェーズも少しずつ変わっていっているんだなと思います。
さて、2024。出店は関東方面行ってみたいと言っているけど、どんな方向に進んでいくのか、楽しみです。あと、個人的には、海外向けの製品を開発してほしい!とリクエストしていますが、だったら自分で開発したら、と跳ね返ってきております。うん、やってみるか笑
③コモンズではだめなのか?
さて前回の記事で、今複業が大事という理由付けで引用した記事。
複業としていくつか選択肢をもち、自分の本当に大切にしたいことで社会と接続する。そしてそれが複数あることが個々の幸福につながるし、社会をよくすると筆者は言っています。
でも、実は、この肯定的意見よりもこの部分に僕は反応してしまったのです。
行き過ぎた資本主義(僕は、資本主義というよりは金融資本主義のパワー強すぎるのがいけないと思っている)に対抗するためにコモンズ的な場を持つことが一つの答えだと思って僕は活動しています。ですが、さらっと否定されたように読めたのです。
で、有料記事ではあったのですが、どんな考えか気になって課金して、周辺記事まで読み漁ったのですが、結論から言うと僕がイメージしているコモンズ(たぶん僕のイメージが、コモンズの正式な定義とずれてる)を指しているのではなく、ムラ社会的な共同体では資本主義には対抗できないと言っているようでした。ではなぜ、このような共同体(≒コモンズ)ではいけないのか。それは、圧倒的に強者が得をする構造になっているから。このような共同体は、敵を作ること(=同じ物語)で連帯感をつくります。だからこそその物語を振りかざす強者に気に入られることが居場所をつくる要素になり、ヒエラルキーが出来上がるわけです。で、下層の人たちは非常につらい思いをする。昔ながらの組織を見ると、これは確かに、と思うわけです。
では、対抗するためには何が必要なのか?それを筆者は小さくてもいいから「社会」が必要だと言っています。社会とは、ルールを守っていさえいれば、どんな人間でも、そこにいられる所です。ヒエラルキーなどは存在しません。だから、ヒエラルキー争いで負けてしまったり、そんなところに参加なんかしたくない「弱者」でもそこにいることができると筆者は言っているのです。
ムラ社会的共同体については、僕ももちろん目指していないから良いのですが、特に後者の「社会」というのは、うーん・・・と、考え込んでしまうわけです。
僕は、豊かに生きるためのインフラを創るために、コミュニティ(≒コモンズ)を創ってきています。そこには共通の価値感やストーリーがあり、ある意味、筆者の言っているような「弱者」(という表現は合わないと思うけど)にあたるような位置づけの人を排除していると言われればそうかもしれないなと思ってしまったのです。
行き過ぎた資本主義的社会に対抗できるのは、共同体ではなく社会だと筆者はいっている。僕は共同体的なコトを作っている。
最近ちょっと思っていたんです。
このインフラを創るためには、まず自分で動く人、プロジェクトを立ち上げる人が大切だと考えて今の体制になっているけど、それだけじゃ絵空事だよなと。これは、今年迷ってしまった一つの原因でもあると思っています。
なぜ絵空事かというと、このやり方では、せいぜい頑張っても100人程度にしか影響が及ばないからです。だから、筆者のいう弱者(表現としては合わないと、念のため再度書いておきます)、つまりプロジェクトを立ち上げるまでではないけど、関わりたい人も含めた人たちの存在も大切にしなければ実現するわけがない。
でも、どうやったらいいんだろうか・・・この答えは全然わからないので、とりあえず棚上げするけど、この「どんなに小さくてもいいから社会が必要」という考え方は頭の隅に置いておこうと思います。
なぜか、僕のフェイスブックに列挙されている肩書の一つで、誰にも紹介すらしたことない「豊かに生きるためのインフラを創る、ゆるい共同体代表」というのがあるんだけど、たぶんこれが未来の状況を指しているような気がするから、片隅に置きつつ、でもいったん忘れて、今のまま活動を続けようと思います。
④四十にして区切らず
さて、今年は迷ったと、前編で書きました。
ここ8年一番想いを込めてやってきたコワーキングではありますが、世の中のコワーキングに対するイメージと、僕の想うコワーキングの価値との間でのズレが大きくなってきてしまっていて、その意味づけや今後の方向性を僕の中で消化できていないことが一番の原因です。
もう少し書くと、意志を持って行けば「つながれる」場だったコワーキングは、サービスを受ける場になってきてしまっているということで、残念なことに、今後さらに加速していくと思っています。
コワーキング業界にとっては、良い事なのかもしれません。でも、僕はこのコワーキングの先を考えた時、全然興味が持てないのです。で、正直、この、世の中のコワーキング「スペース」の流れにはもう逆らえない気がしていて、意識的に離れようと思い始めてもいました。でも、8年続けてきたからこそ、コワーキングってそうじゃないんだ、と、抗いたい気持ちもどこかにあって、その葛藤がどこかにあったのだとも思います。
そんな迷いを抱えたまま、何かつかめるはずと思って、この12月久々の単身移働をしたわけです。そして、二人のまず自ら「稼ぐ事業」をつくっている姿を見て、僕もそろそろ覚悟するときだなと、思いました。
ここ数年、ひたすら仲間をつくるための場を開いてきました。その結果、素晴らしい仲間がたくさんできました。この点についていえば、比較することではないけど、亀岡や宮津よりも多くの多様な仲間が集まってくれていると思っています。でも、言ったら場づくりは間接的な支援的な仕事、だからこそ僕自身焦りというか、このままでいいのか感が出始めていて、パクチーをやり始めたのもこれが少し影響していると思っています。いつもの僕だったら、コワーキング的な発想から仲間と共に事業を創る、と考えがちだけど、もうそろそろ覚悟をもって、自分起点の事業を創るときに来ているのだと思います。
僕の創りたい「豊かにいきるためのインフラ」は鶴田さんのやっているような衣食住の自給率を上げた環境に生息しながらも、外貨を稼ぐ力ももつこと。前者については、場を創ってきた結果、多くの仲間がいるから実現にすごく近づいてきていると思っています。ただ、僕は場をつくってきただけだから僕自身の自給率は上がっていないけど、あげるためのフィールドはできているから、あとは自分自身が直接やるかやらないかそれだけの話。
後者については、京都の二人から刺激をもらったのもあるけど、ひとまず自分・個にベクトルを向けてやっていきたいと思っています。でも、従来の会社的な事業形態ではなく、複業を念頭に置いて作っていきます。
ということで、とっても迷ったんですが、いったんコワーキングは置いて、個ワーキングする2024にしたいと思います。
あ、でも、表向きはコワーキング感出さないと思いますが、もちろん、大切な仲間とはコワーキングをやっていきますし、一人で孤立して仕事する気は毛頭なく、ただただ、自分起点のコトを前向きに作っていく2024にするということです。それをすることで、一歩踏み込んだ、ローカルにとっては重要なコワーキングがよりできると感じています。
ということで、仲間の皆様、2024は今までにないような「これお願いできませんか?」が増えると思うので、どうぞよろしくお願いします!
五十にして天命を知れるように、あともう少し、自分を区切らず迷走しまくりたいと思います。