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京都で私を覚醒したもの

第二章


私を覚醒したもの



美容師になるべく京へ上がる。
ここで私の人生を大きく変えた出会いとは


門前払い寸前
超一流を目指すなら話を聞こう


親には、美容師は、普通の仕事ではないと認められず
反対をされたので、ハンコを盗み、勝手に印を押し、面接へ


「相談して欲しかった」と、流石に母に泣かれた記憶があったが
上記の理由で反対、「銀行員とかは、どうや?」と
算数嫌いで成績の悪かった私に勧めてきたので
相談のしようがなかった。


当時から、自分のやりたいことをしようと思うと
スムーズに道が開けるわけではなかったので、
壁を突き抜く思いで、前進するしか自分のミッションを遂行する
未来はなかった。


面接の前に、とりあえず下見に行こうと店を尋ねるがお盆中でしまっていた。
諦めの悪い私が、裏のドアのベルを押すと、古紙回収の段取りに忙しく機嫌の悪い男が対応した


私「すいません、サロンの見学をしたくて」
男「今日は、お盆中で、休みや。何も聞いてないけど予約は、してるのか?」
私「いえ、近くに来たので寄ってみました」

男「超一流を目指すなら、話を聞こう、そうでないなら帰ってくれ」


後で知るのだが、アポも取らんと来やがって。。。と、無茶苦茶なやつだとレッテルを其の時点で貼られたそうな。
まあ、しょうがないであろうが、私も引き下がれず、勢いに乗って

「はっはい!一流を目指したいです」


と、言わされてしまった。とんでもない出会いをしたこの男が、実は、全国にあるライオンサロングループの副理事でもある2億円の借金を返済し、2代目を継ぐ100年以上続く、京の老舗サロン ひださアートインダストリーのオーナーであった。

が、無論 中途半端な事が嫌で、
部活動もお遊びな公式テニスよりは、インターハイ連続出場の厳しい軟式テニス部を選んでブルマどろんこの3年間を過ごしてきた私には
やはり志の高い場所を求めていた

ので

挑むところだ〜〜〜〜〜〜!
と、負けず嫌いの血が騒いだ


結局面接で11人中、この問題児レッテルを貼られている私は、
25問、質問をされた中で
好きな食べ物は 焼肉、ハンバーグ。。。選べない私は、「肉類です」と、とっさに言ったことが評価され(笑)
面接官である先輩4名からは、面白そうだと受け
無事 就職が決まる。


音楽


小学校時代、コーラス部だった私は、合唱コンクール用の音楽、または、
親が買ってくれたクラシックのピアノの曲のC D、祖母の練習する演歌しか日常に音楽がない生活だった。

あると言えば、
毎朝、家の木でフクロウが鳴いていたり
風が強い日の田んぼの帆がさわさわした音や
電車が通る音


New York ファッションショーの舞台裏でヘアを担当


そこで美容師の修行がスタートした3ヶ月後、
先輩たちに連れられ夜のクラブデビュー。
京都で通ったクラブは、メトロ、ワールド
フィッシュあんどチップスというバーに通っていた先輩と
毎日通う中、最初に恋をしたのは、反町似の色黒いヤンチャなD J

ダンスホールレゲエに出会う
クラブで大音量で全身に響く音は、血、肉を踊らせ
全てのものから自分が解放される感覚だった
その快感に魅せられ Mの舞は、周りを魅了し
ダンスフロアを沸かせ
自然と、DJや、ミュージシャン、クリエイティブな
仲間と出会うようになっていったのは、この頃
私の中では、まだ気づかぬ’天然の輝きのかけら’
を持っていたようだ


美容師としてのデビューは、不器用な私は、非常に遅かった。
まず、真っ直ぐに切ることができなかった。
当時のボーイフレンド(美容学校の同期)が国家試験の直前、徹夜で練習に付き合ってくれたおかげで、なんとか滑り込み合格。
下積み4年でやっとスタイリストデビュー。
ニューヨークでは、一年足らずでデビューすることを考えるとかなり遅咲きであろう。が、このプロセスは、必要だったと今では、感謝している。


プロの美容師になろうと格闘すると同時に
身体を使って表現することの快感と才能が目覚めていく




一年を過ぎようとする頃には、寮生活を共にした三人いた同期は、皆、仕事とレッスンの、長時間のきつい修行に耐えられず、故郷に帰ってしまった。
私はというと、入社3ヶ月で、人生の新たな生きがい(音楽)に出会ってしまい、レッスン、仕事を頑張った自分へのご褒美に、先輩との夜の時間が
待ち遠しく、必死になって仕事も頑張った。



入社一年目 ワインディングコンテスト入賞
一番早く辞めるだろうと、周りでは噂されていた

当時、体力的にも、精神的にも大変な修行も、この音楽と自己の解放の快楽に出会えたおかげで辛いと思ったことは一つもない。


音楽と、ファッションが人生の鍵


私は、この場所にいれば、自分を出す事が許されるような気がした。
そのせいだろうか、不思議と自分と似た感覚の人と出会えるようになった。


音楽の中で自分を解き放つだけでなく、夢を語り合える仲間に出会え
夜な夜な朝まで夢を語り合い カレーうどんで有名な味味香
朝5時解散が当時のステイタスだった



ある日、高校生だったお客様が、大学生になり、ダンサーになるべく東京へ
行くという話になった。
そこには、その話を聞いて、素直に喜べない、嫉妬する醜い自分が居た

そんな自分が許せなかった。


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