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燃えろバルセロナ

はじめまして。桂中南米と申します。この名前は、大好きな桂小米朝(現・米團治)師匠から勝手にインスパイアさせていただきました。米朝の子供だから小米朝、中南米にいたから中南米、という…。その昔、関西ローカルの「小米朝のグルメデート」という、色男の小米朝師匠と花のOLが食べ歩きをして、最後はお約束で小米朝師匠が振られてしまうというTV番組があり、会社の同期の女性が出演していたのを発見したときには驚愕し、うらやましすぎてトラになりそうでした(まあ、自分はOLではないので出演は元から叶いませんが。先に言っててくれたらサイン色紙頼んだのに!)。あと、小米朝師匠はスペイン、ラテン系ではなく、ノーブルなドイツ/オペラ系の方です。尊い…。

自分は初めてスペインの赤い大地を踏んで21年が経ち、スペインには通算9年近く住んでいます。そのあとメキシコ、チリにもそれぞれ4年ほどいました。といっても自分の意思ではなく、日本の会社の駐在員として赴任しています。

スペインにお住まいの方のブログやYoutubeを拝見すると、スペイン人の方と結婚されていたり、大学でスペイン語を勉強されていたり、というケースが多いようです。自分は会社に入ってから、イギリスかフランスに行きたい!行きたい!(好きなアーティストのライブが観れるから)と言っていたら、上司の粋な計らいで「赴任先、希望先の隣にしといたよ」とスペイン赴任が決まったのでした。そこから20年にわたるスペイン、中南米との付き合いが始まります。最初の半年は語学研修。本格的な海外生活は初めてだったこともあり、スペイン語オンリーのホームステイですっかりスペイン色に染まり、その後職場でスペイン人に囲まれて3年を過ごした後には、自分の中身はすっかり現地化していました。日本に帰国後、新たな配属先が決まるまでは、一旦自宅待機となり、赤いTシャツに黒い牛がプリントされたものを身につけて(当時スペインで流行っていた)、実家のそばの河原で、スペインに戻りたすぎて泣いていました。まあ、追って東京でスペイン人の友達もできたりしたのですが。

しかしその13年後、2度目の赴任となったスペインでは、ユーロ通貨導入から15年が経過し、未曾有の好景気と経済危機を経て、人々の暮らしも意識も大きく変わっていました。日本で言うとバブル前後の変化に近いと思います。自分は棺桶というかタイムカプセルの中から12年ぶりに蘇って、「え、金曜の夜にもうNoche de fiesta やってないの?」(意訳:「金曜の夜にもうカックラキン大放送やってないの?)と言って、昔からのスペイン人の友達にドン引きされるようなズレっぷり…。しかも前回赴任先のラテン文化の濃いマドリッドと違って、地中海人を自認するクールなバルセロナでは、中南米風味も加わった自分は浮くことこの上なく(在バルセロナの中南米の人たちと昔からの友人たちは、色々よくしてくれました)。

しかも赴任後、バルセロナではISのテロ、カタルーニャ独立運動の激しい盛り上がり、フランスのイエロージャケット運動の飛び火が立て続けに起こり、中心街はまさに「燃えろバルセロナ」…。中南米に住んでいた時よりも起伏に富んだ暮らしを送ることになりました。まあ、メキシコもチリも色々ありましたが…。

そんなわけで、これからスペインや中南米にまつわる話をしていければと思います。よろしくお願いします。


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