現代仏教への違和感&原始仏教への興味関心|漫画「ブッダ」完読!
いま特に、興味があって学びたいことの一つが、「原始仏教」。
現代仏教と原始仏教
以前、記事にしたように、私は2017年に出家して2021年までの5年間、禅宗の僧侶でした。
この記事では、なぜ住職を辞めようと思ったのか書いていますが、それ以外にも大きな理由があります。
その理由というのは、日本の現代仏教に興ざめしたためです。
日本の仏教界に深く関われば関わるほど、矛盾を感じ、違和感を覚えることが多くなりました。
まだ日本の仏教界に深く関わっていない頃の私は、
仏教=生きる苦しみを楽にするための教え
このように考えていました。
その教えは、現代仏教ではなく原始仏教であることを知りました。
そして、日本の仏教界に深く関わることで、以下のことを知ることになりました。
日本の現代仏教=檀家制度という閉鎖的なコミュニティ内での先祖供養のための教え
また、寺院の実態は、世襲制の零細企業である。
寺の長男は継いで当たり前、という理解できない暗黙のルールがある。
なぜ、日本の現代仏教は、原始仏教と大きく変わってしまったのか。
その原因を調べたところ、以下の出来事が大きく影響していることがわかりました。
・江戸時代初期、幕府によるキリシタンを弾圧するために導入した檀家制度
・同じく、一般人に普及した仏式葬儀と回忌法要
・明治時代、政府による仏教を弱体化させるために導入した僧侶の結婚解禁の制度
つまり、仏教は国策として政治利用される過程で、幕府や政府にとって都合が良い教えに変わっていったのです。
お釈迦様は葬式反対であるのに、日本の仏教は真逆のことをしている。
葬式をする時間があるなら修行に励みなさい
弟子に対して、このような言葉を残されています。
今から400年近く前に、幕府によって人為的にねじ曲げられた仏教を、ありがたい教えだと信じ込んでいる人ばかり。
その教えを信じることで、心の安寧につながるのであれば、否定しません。
ただ、当時の私は、仏教を布教する立場であり、僧侶として、違和感しかない教えを布教する気持ちにはなれなかったのです。
そして、以前お付き合いしてきた檀家さんは、僧侶に対して期待することは先祖供養であり、本来の原始仏教や禅への興味関心は非常に低いことを知ってしまい、現代仏教にへの気持ちがどんどん冷めていきました。
ちなみに、私は、今を生きるのに大切な教えが詰まっている原始仏教や禅を伝えたかったのですが、世間では必要とされていませんでした...。
原始仏教
これも現代仏教への違和感の一つなのですが、禅宗の僧侶でありながら、原始仏教に触れる機会は、自分が意識しない限り皆無に等しいのです...。
意識するというのは、お経の意味を調べるわけです。
ちなみに、お経の意味もわからずに、ただ読経しているだけの僧侶がすごく多いことに対しても衝撃を受けました...。
お経の中には、原始仏教の大切な教えが詰まっています。
例えば、「空」。
般若心経というお経に、「五蘊皆空(ごうんかいく)」や「色即是空(しきそくぜくう)」「空即是色(くうそくぜしき)」
というフレーズが出てきます。
空=固定的な実体がない
万物、全てが「空」であり、人間の身体も身の回りの道具も全てが「空」。
人は必ず死んで、身体は無くなります。
ずっと永遠に続くことは何もない、という教えです。
また、観音経というお経に、「生老病死苦」というフレーズが出てきます。
生老病死=人生の苦しみ
生きる苦、老いる苦、病気になる苦、死への苦など、死ぬまで一生苦しみ続けます。
ここでの解釈の一つは、以下のとおり。
全てが「空」であり、変わり続けるわけであるため、歳をとって、見た目が老ける、体力が衰える、病気になることは当たり前であること。
そして、その苦しみも「空」であるなら、ずっと同じ苦しみが続くはずがない。
このように、原始仏教の教えを、日常生活に取り入れると、気持ちが楽になることはよくあります。
漫画「ブッダ」完読!
原始仏教をより深く学ぶための入り口として、漫画「ブッダ」を読みました。
あの手塚治虫氏のブッダ(=お釈迦様)の一生涯を描いた作品。
めちゃくちゃ面白くてはまりました。
ちなみに、「ブッダ=悟りを開いた人」「お釈迦様=シャカ族の王子由来による敬称」「ゴーダマ・シッダルダ=本名」という意味の違いがあります。
もちろんフィクションであるため、史実とは違う点も多いわけですが、ブッダが考えた、「生きる苦しみから逃れるための考え方」に触れることができます。
印象的だったフレーズを、一部紹介します。
雲は一度として長い時間同じ形をしていない。
人間の運命もそんなものである。
一生涯、ずっと幸福だったり、不幸だったりするわけではない。
必ず原因と結果がある。
いま苦しい毎日を送っている。このような結果になるには、どんな重大な原因があったのか思い出してほしい。
川は偉大だ。
自然の流れのままに任せて、何万年もずっと流れて続けている。
しかも大きく、美しく、恵みを与えてくれる。
おまえも生き方次第で、川のように偉大になれるだろう。
木や草や山、川がそこにあるように、人間も自然のなかにあるからには、ちゃんと意味があって生きている。あらゆるものとつながりをもって。
もしおまえがいないなら、何かが狂うだろう。
おまえは大事な役目をしているのだ。
改めて思うことは、原始仏教は、仏教ではなく哲学である、ということ。
漫画「ブッダ」は、永久保存版で、子どもが大きくなったら読ませたい本の一つになりました。
「生きるとは何か。」
「死ぬとは何か。」
「この先、どう生きるのか。」
今後の自分の人生について、色々と考えさせられました。