プロローグ 統合失調症のキッカケ
母は統合失調症で過去に入退院を繰り返し、現在も精神科へ通い、デイケにも行っている。
母は最初から病気だった訳ではありません。
本人は今も自覚ありませんが、当時の私も思っても見ませんでした。
今考えると父が病気になり亡くなり、女手一つで働きながら私たち兄弟二を育てた頃から少しづつ変化していったのかもしれない。
ただ原因はハッキリ分かりませんが母の様子が変わったのは父が亡くなっしまった前後の出来事からと感じています。
父が倒れた
今から34年前のこと、私が中学3年生の3月、高校受験が終わり卒業式をえている時だった。
学校が終わり夕方家に帰えると母が帰宅していた。
いつもは「おかえりー!」という声が聞こえてくるが様子が違った。
母が私の部屋に来て話があると言って部屋に入ってきた。
様子がいつもと全然違う何か重要な話とは理解できた。
親父が会社で倒れて救急車で運ばれて入院して精密検査をした結果、直腸ガンが肝臓で転移して既に末期ガンであること、手術しなければ余命1ヶ月、手術しても余命3ヶ月という診断だった。
ショックすぎて何も言えず、二人でずーッと泣いていた事だけ覚えている。
正直、私は中学校の卒業式は記憶にないです。
過酷な日々
母は父の看病を優先して生活していた。
出来る限りの事は家族でやってきたが、倒れてから4カ月父は48歳という年齢で亡くなってしまった。
母は41歳、私は高校1年生で15歳、弟は小学校6年生で12歳という時だった。
ここからが母にとっては苦労の日々となってしまう。
この時は、父を何とか送る出してあげようという気持ちだけでした。
父の出身地へ引っ越し
父のお葬式が終わり四十九日法要を終えた頃の事、家族みんなで引っ越すことになった。
場所は、父の出身地である。
家族で話し合い、父が生前言っていた将来は田舎に帰りたいと言っていたらしく母が引っ越す事を決断した。
引っ越し時期は弟が小学校卒業後となり、私は高校編入試験を受けて転校という事になる。
慣れない土地での生活
弟が小学校を卒業した次の日に一家で父の故郷へ引っ越しをした。
慣れないと土地で人も文化も違うところなので戸惑いながら親戚の助けもあり少しづつ平和で穏やかな日が始まりました。
母も同じように最初は戸惑ったようですが少しづつ生活に慣れてきたようで
しばらくは平和で穏やかな日々が続きました。
このまま穏やかな日が続くようにと思っていたが数年経過すると激動の日々になっていった。
激動の1年だった
父の看病や別れがあり人生を左右する出来事が立て続けに起きた事、子供二人を育てなきゃいけないや慣れない土地での生活等同時期に多重ストレスが掛かる出来事を対処してきた中で心のダメージが蓄積していたのかも知れません。
家族のピンチの時は寄り添う事が重要だと思います。