万葉集 夜のお作法
万葉集の歌で遊ぶ前に、少し、与太話をします。平安時代中期に紫式部は光源氏を中心として男女の恋愛小説を書きました。源氏物語です。その源氏物語について、源氏物語が世に知られると同時に、和歌に本歌取り技法があるように、源氏物語で使われる言葉にその由来や背景を探る引歌研究と言う、教養人の知識競争が勃発しています。
源氏物語 第四七帖 総角
引歌文 若き人の御心にしみぬべく、たぐひ少なげなる朝明の姿を見送りて、なごりとまれる御移り香なども、
引歌先とされる和歌:
万葉集巻十二 集歌2841 人麻呂歌集
原文 我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨
読下 わがせこがあさけのすがたよくみずてけふのあいだをこひくらすかも
私訓 我が背子し朝明(あさけ)し姿よく見ずて今日し間(あひだ)し恋ひ暮らすかも
私訳 私の貴方がまだ薄暗い朝明けの中を帰っていく姿をはっきりと見ないまま、おぼつかなく、今日の一日を恋しく暮らすのでしょうか。
この引歌研究の成果から、現在の処、源氏物語には万葉集から33首の和歌が引き歌・引用されていると考えられています。それも巻二から3首、巻三から1首、巻四から4首、巻五から2首、巻七から1首、巻八から6首、巻十から2首、巻十一から7首、巻十二から6首、巻二十から1首が採られていますので、逆にこの姿から紫式部は二十巻本万葉集を十分に読み解き知っていたと考えられています。この引歌研究の成果の二次的な成果で柿本人麻呂関係の恋愛歌が9首に加え人麻呂の匂いがする性愛を詠う無名歌人の歌6首があります。ほぼ、万葉集からの引歌の半分が柿本人麻呂関係と思われる恋愛歌なので、万葉集の柿本人麻呂歌集は紫式部たち、当時の宮中女房たちの大好物だった可能性があります。
さて、平安時代中期の宮中女房たちの大好物と思われる、万葉集の中から男女関係を詠うもの、それも柿本人麻呂歌集などを中心に、妄想と与太から飛鳥から奈良時代の貴族たちの恋愛、それも性愛関係を中心に遊んでみたいと思います。
なお、和歌は例によって原文から紹介しますが、理由は原文和歌から歌を鑑賞しますと性愛の時の男女の体位も推定出来ますが、万葉学の権威が現代語訳文をするときに、性交体位を推定できるような形には訳してはいない場合があるからです。ただし、江戸期から昭和期の万葉学者とは違い、私は万葉集の男女の相聞関係にある歌の多くの歌は宮中での歌垣のような歌会での歌と思っています。相聞和歌を詠ったことが、直ちに男女の体関係が存在する、婚姻関係が成立するとは考えません。宮中や貴族たちが催した歌垣類似の歌会での相聞和歌は、単に巷で行われる歌垣の遊びを室内に持ち込んだようなものと考えています。他方、歌垣類似の歌会の必然性が無いものについては、当時の風習上、男女が見知る=男女の体関係が存在すると考えます。そのような中で、人麻呂歌集のある特定の相聞歌群は、人麻呂と隠れ妻とのラブレターの相聞と思っています。ここでは、紹介する歌々が、その二人のラブレターとの前提で人麻呂歌集の歌を楽しんでみたいと思います。
こうしたとき、次の歌にある提示する漢字を、どのように読むかで人麻呂歌集全体の解釈が変わるかもしれません。
集歌2391
原文 玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
この集歌2391の歌の「響」の漢字は、次の人麻呂歌集に載る集歌1816の歌の「玉蜻」の歌詞から連想して、普段の万葉集の解釈では「玉響」を「たまかぎる」と訓読みします。
集歌1816
原文 玉蜻 夕去来者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏微
訓読 玉かぎる夕さり来れば猟(さつ)人(ひと)の弓月(ゆつき)が嶽(がた)に霞たなびく
私訳 トンボ玉のようなき光が移りゆく夕べになると、狩人が持つ弓のその弓のように稜線が光る弓月が嶽に霞がおぼろに棚引く。
従来の解説に従い人麻呂歌集から訓読みでの「玉かぎる」を探してみますと、下記に示す集歌2394の歌の「玉垣入」の表記があります。この集歌2394の歌は、万葉集には同じ歌の重出とされる歌があり、それが読み人知れずの集歌3085の歌です。この集歌3085の歌では、集歌1816の歌の表記と同じ「玉蜻」の漢字表記を使っています。これらの類例から、従来解説では集歌2391の歌の「玉響」を「玉かぎる」と訓読みしているのです。
ところが、私の特異となる考えとなる「万葉集は漢語と漢字で表記されている」視点からすると、「炎」や「在」の漢字表記と同じで、一概に、そのように解釈することは出来ないと考えます。例えば、人麻呂歌集の集歌2394の歌は、朝衣の別れをした男が宮中に出仕するために朝早くに女の許から出て行ったことを表わすために「玉垣入」の表現を使っています。つまり、宮中に出仕するために朝に去って行った「子」は、愛しい男性です。ところが、集歌3085の歌は「徃之兒故尓」の表記ですから、「兒」は男が夜に出かけて行った先のかわいい女性です。同じ歌のように見せていますが、違う場面の違う歌です。つまり、集歌3085の歌は古代では最高のパロディーの歌の位置にあります。
集歌2394
原文 朝影 吾身成 玉垣入 風所見 去子故
訓読 朝影(あさかげ)に吾が身はなりぬ玉垣入るほのかに見えて去(い)にし子ゆゑに
私訳 輝く朝日に私はなったようです。朝日が射し大夫が赴く宮中の鴛の幡を立てる所に出仕するために帰って行った貴方の姿を見ると。
集歌3085
原文 朝影尓 吾身者成奴 玉蜻 髣髴所見而 徃之兒故尓
訓読 朝影(あさかげ)に吾が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて往(い)にし子ゆゑに
私訳 光輝く朝日の気分に私はなったようです。闇でも美しい玉がほのかに光り見ることが出来るような、逢いに行って来たそんな美しい貴女のために。
こうしてみますと、集歌2391の歌の「玉響」が「玉蜻」の誤記であるとか、そのまま「玉かぎる」と読めるとするのは正しいのでしょうか。まず、違うと考えるのが相当です。
ここで、最初に前提条件を示しましたが集歌2391の歌は人麻呂と隠れ妻とのラブレターの一部としますと、その二人が逢った夜に何があったのでしょうか。こんな歌があります。
集歌2497
原文 早人 名負夜音 灼然 吾名謂 麗恃
訓読 隼人(はやひと)の名に負(お)ふ夜声(よこゑ)のいちしろく吾(わ)が名は告(の)りつ妻と恃(さもら)ふ
私訳 隼人の名前に相応しく夜警の声がはっきり聞こえるように、私の名前をはっきりと貴方に告げます。そして、貴方の妻としてお側にいます。
この集歌2497の歌を二人の閨での会話の一部と取ることはできないでしょうか。この歌は、妻問い婚時代の通う男への「貴方に他の女がいても、私が貴方にとって一番の女です」との女の宣言ですし、「そうだ、お前が一番の女だ」との男からの同意を求める女の甘えの言葉です。この夜の床での二人の会話の翌朝に、次の会話があれば、どのように貴女は解釈しますか。
集歌2391
原文 玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
訓読 玉(たま)響(とよ)む昨日(きのふ)の夕(ゆふべ)見しものを今日(けふ)の朝(あした)に恋ふべきものを
私訳 美しい玉のような響きの声。昨日の夜に見たあなたの姿は、今日の朝には私が恋い慕うべき姿です。
私は、歌の漢字の表現から恋人どうしの二人が愛し合う床で「玉の声が響む」と云う情愛を想像しました。その姿を昨夜に見た男性が、「その翌朝の今朝、その夜に乱れた貴女の姿を恋するべきもの」と詠ったと鑑賞しています。女性の相手への小声での秘めやかな会話でなく、床での抑えきれない「玉の声が響む」情景です。
このような感覚で、二人の「夜の作法」を万葉集の歌から想像してみませんか。
夜のお作法
妻問いの便り 募る恋心
集歌2412
原文 我妹 戀無乏 夢見 吾雖念 不所寐
訓読 我妹に恋ひ羨(す)べなかり夢に見むと吾(わ)れは思へど寝(い)ねらえなくに
私訳 美しい私の貴女に恋することは羨むことではありません。夢に貴女の姿を見ようと私は思うのですが、さて、どこで夜を過ごしましょう。
妻問いへの返事 待つ思い
集歌2413
原文 故無 吾裏紐 令解 人莫知 及正逢
訓読 故(ゆゑ)も無く吾(あ)が下紐を解(と)けしめて人にな知らせ直(ただ)に逢ふまでに
私訳 貴方は私の閨で逢ってもいないのに下着の紐を私に夢の中で解かさせて、そんな貴方への私の想いを人には気づかせないで。本当に逢って紐を解くまでは。
夜の営み
睦言
集歌2497
原文 早人 名負夜音 灼然 吾名謂 麗恃
訓読 隼人(はやひと)の名に負(お)ふ夜声(よこゑ)のいちしろく吾(わ)が名は告(の)りつ妻と恃(さもら)ふ
私訳 隼人の名前に相応しく夜警の声がはっきり聞こえるように、私の名前を貴方に告げます。そして、貴方の妻としてお側にいます。
抱き合う二人
集歌2498
原文 釼刀 諸刃利 足踏 死ゞ 公依
訓読 剣太刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の利(と)きに足踏みて死なば死なむよ君に依(よ)りては
私訳 二人で寝る褥の側に置いた貴方が常に身に帯びる剣や太刀の諸刃の鋭い刃に、私が足を踏んで死ぬのなら死にましょう。貴方のお側に寄り添ったためなら。
注意 釼刀は男性のシンボルで男根です。それを「足踏」となると、女性は対面座位か騎乗位の姿です。
集歌2499
原文 我妹 戀度 釼刀 名惜 念不得
訓読 我妹子に恋ひしわたれば剣太刀(つるぎたち)名の惜しけくも思ひかねつも
私訳 私の愛しい貴女を押し伏せて抱いていると、剣や太刀を付けている健男の名を惜しむことも忘れてしまいます。
朝衣の別れ
思い出す昨夜の営み 最初の便り
集歌2391
原文 玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
訓読 玉(たま)響(とよ)む昨日(きのふ)の夕(ゆふべ)見しものを今日(けふ)の朝(あした)に恋ふべきものを
私訳 美しい玉のように響く貴女のあえぎ声。昨日の夜に見たあなたの姿は、今日の朝には私が恋い慕うべき姿です。
夜の恋の行為への思い出 便りへの返事
集歌2389
原文 烏玉 是夜莫明 朱引 朝行公 待苦
訓読 ぬばたまのこの夜な明けそ朱(あか)らひく朝(あさ)行く君を待たば苦しも
私訳 漆黒の闇のこの夜よ明けるな、貴方によって私の体を朱に染めている、その朱に染まる朝焼けの早朝に帰って行く貴方を、また次に逢うときまで待つのが辛い。
返事への返歌 人麻呂の想い
集歌2404
原文 思依 見依 物有 一日間 忘念
訓読 思ひ寄り見ては寄りにしものあらば一日(ひとひ)の間(ほど)も忘れて思へや
私訳 心に思い気持ちを寄せ、逢っては身を寄せた貴女の姿であるから、一日の間だって忘れたと思いますか。
また、その返歌 隠れ妻の想い
集歌2500
原文 朝月 日向黄楊櫛 雖舊 何然公 見不飽
訓読 朝月(あさつき)の日向(ひむか)黄楊(つげ)櫛(くし)旧(ふ)りぬれど何しか君が見れど飽(あ)かざらむ
私訳 朝に月が太陽に会う日向の黄楊の櫛のように貴方と慣れ親しんでいますが、どうしてでしょう、貴方を見飽きることがありません。
集歌2501
原文 里遠 眷浦経 真鏡 床重不去 夢所見与
訓読 里(さと)遠(とほ)み眷(か)ねうらぶれぬ真澄鏡(まそかがみ)床の辺(へ)去(さ)らず夢に見えこそ
私訳 貴方の家が遠いので振り返り見て寂しく思う。願うと姿を見せるという真澄鏡よ。夜の床を離れない私に夢の中にあの人の姿を見せてください。
どうでしょうか、夜のお作法に適ったでしょうか。基本的には、男による妻問いでの相互の都合や日程の確認をし、当日の歌、朝衣の別れの歌、その返事の歌と、作法のルールに従って、歌を想像してみました。
これを、少し大人として官能的に解釈しますと、次のような鑑賞をすることもできるようです。歌には人麻呂の愛撫の手の動きや隠れ妻の愛の喘ぎ声があります。
集歌2408
原文 眉根削 鼻鳴紐解 待哉 何時見 念吾
訓読 眉根(まよね)掻き鼻(はな)ひ紐(ひも)解(と)け待つらむか何時(いつ)かも見むと思へる吾(わ)れを
私訳 眉毛を整え、化粧をして小鼻を鳴らし、上着の衣の紐を解いて、貴方を待っていましょう。何時、いらっしゃるのかと、思っています。私は
集歌2498
原文 釼刀 諸刃利 足踏 死ゞ 公依
訓読 剣太刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の利(と)きに足踏みて死なば死なむよ君に依(よ)りては
私訳 二人で寝る褥の側に置いた貴方が常に身に帯びる剣や太刀の諸刃の鋭い刃に足を踏み死ぬように、貴方の太刀に身を貫かれて死ぬのなら死にましょう。貴方のお側に寄り添ったためなら。
集歌2499
原文 我妹 戀度 釼刀 名惜 念不得
訓読 我妹子に恋ひしわたれば剣太刀(つるぎたち)名の惜しけくも思ひかねつも
私訳 私の愛しい貴女を押し伏せて貴女の体を貫くと、そのような身を刺し貫く剣や太刀を身に帯びる大夫の名を惜しむことも忘れてしまいます。
集歌2390
原文 戀為 死為物 有者 我身千遍 死反
訓読 恋するに死するものにあらませば我が身は千遍(ちたび)死にかへらまし
私訳 貴方に抱かれ、貴方のものに貫かれて死ぬのでしたら、私の体は貴方のために千遍も死んで生き還りましょう。
集歌2395
原文 行々 不相妹故 久方 天露霜 沾在哉
訓読 行き行きて逢はぬ妹ゆゑひさかたの天(あま)露(つゆ)霜(しも)に濡れにけるかも
私訳 逢いに行っても、なかなか逢えない貴女のためでしょうか、遥か彼方の天からの清らかな露霜、そんな触れれば融ける露霜のような貴女の白い清らかな体に私は濡れてしまうでしょう。
集歌2389
原文 烏玉 是夜莫明 朱引 朝行公 待苦
訓読 ぬばたまのこの夜な明けそ朱(あか)らひく朝(あさ)行く君を待たば苦しも
私訳 漆黒の闇のこの夜よ明けるな、貴方によって私の体を朱に染めている、その朱に染まる朝焼けの早朝に帰って行く貴方を、また次に逢うときまで待つのが辛い。
集歌2391
原文 玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
訓読 玉(たま)響(とよ)む昨日(きのふ)の夕(ゆふべ)見しものを今日(けふ)の朝(あした)に恋ふべきものを
私訳 美しい玉のように響く貴女の愛しいあえぎ声。昨日の夜に見た乱れた貴女の姿は、今日の朝に私が恋い慕うべき姿です。
集歌2409
原文 君戀 浦經居 悔 我裏紐 結手徒
訓読 君に恋ひうらぶれ居(を)れば悔(くや)しくも我(わ)が下紐(したひも)の結(ゆ)ふ手いたづらに
私訳 貴方を慕って逢えないことを寂しく思っていると、悔しいことに夜着に着替える私の下着を留める下紐を結ぶ手が空しい。
どうでしょうか、人麻呂の「夜のお作法」で隠れ妻がどれほど乱れるかを、人麻呂も隠れ妻も知っている上での歌の相聞です。そして、奈良時代の宮中の女性たちは人麻呂歌集の名で、この二人の相聞歌を知り、同時に愛の楽しみ方を想像したようです。
なお、万葉集にはまだ性交渉には慣れていない娘の様子を詠う歌があります。男が娘の顔見、その娘は恥ずかしいと手で顔を隠します。すると、ほぼ、正常位での性交渉なのだろうと推定が可能です。
集歌2627
原文 波祢蘰 今為妹之 浦若見 咲見慍見 著四紐解
訓読 はね蘰(かつら)今する妹しうら若み笑(ゑ)みみ怒(いか)りみ着(つ)けし紐(ひも)解(と)く
私訳 成女になった印の「はね蘰」を、今、身に着ける愛しい貴女は、まだ、男女の営みに初々しいので、笑ったり拗ねたりして、着ている下着の紐を解く。
注意 「慍」の文字には怒りの意味がありますが、これは怨むと云う感情を含む怒りです。男女の営みに慣れない若い女性が性交の時に相手の男性に対して示した態度を表した漢字です。潤いが不足していたり慣れていなくて、楽しみより痛みの方が勝っていた時期と思って下さい。
集歌2916
原文 玉勝間 相登云者 誰有香 相有時左倍 面隠爲
訓読 玉かつま逢はむと云ふは誰(たれ)なるか逢へる時さへ面(おも)隠しする
私訳 美しい竹の籠(古語;かつま)の中子(身)と蓋が合う、その言葉ではないが、貴方と夜に逢いましょうと云ったのは誰ですか。こうして抱き合っている時でも、貴女は顔を隠す。
集歌2554
原文 對面者 面隠流 物柄尓 継而見巻能 欲公毳
試訓 対(こた)ふ面(つら)面(おも)隠さゆるものからに継ぎて見まくの欲(ほ)しき公(きみ)かも
試訳 貴方にまじまじと見られると、恥ずかしくて私の顔を隠してしまうのですが、これからもずっと夜床を共にしたいと私からおねだりする貴方です。
注意 原文の「對面者」は、一般に「あひみては=相見ては」と訓みます。ここでは「對面」の語感を尊重して試訓を行っています。
もうちょっと、男女の関係が深くなると閨の中で次のような会話をするようになります。
集歌2949
原文 得田價異 心欝悒 事計 吉為吾兄子 相有時谷
訓読 うたて異(け)に心いぶせし事(こと)計(はか)りよくせ吾が背子逢へる時だに
私訳 どうしたのでしょう、今日は、なぜか一向に気持ちが高ぶりません。何か、いつもとは違うやり方を工夫してください。ねえ、貴方。こうして二人が抱き合っているのだから。
集歌3486
原文 可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓
訓読 愛(かな)し妹を弓束(ゆづか)並(な)へ巻き如己男(もころを)の事(こと)とし云はばいや扁(かた)益(ま)しに
私訳 かわいいお前を、弓束に藤蔓をしっかり巻くように抱きしめるが、それが隣の男と同じようだと云うなら、もっと強く抱いてやる。
あははです。万葉集の歌は、楽しみ方によってはこのようなものとなります。本来は秘匿されるべき性愛を詠う歌が奈良時代の雅楽寮などに収集保管された背景には、この種の歌も宴会でのバレ歌として、このようなものを聞いたことがあるなどとして紹介されたのでしょうが、当時の社会の雰囲気や人の営みは、だいたい、このようなものだったと思います。
参考として、表を詠う古今和歌集に対して裏を詠う後撰和歌集には次のような歌があります。歌の取りようによっては、「己比知尓奴留(こひちにぬれる)」、「日止乃己比地(ひとのこひち)」は、女性が愛撫でぬかるみほどに潤ったとも解釈が可能なものです。結構、きわどく、平安時代の貴族たちもあははな歌で会話を楽しんでいるのです。これが、日本の伝統文学なのでしょう。
後撰和歌集 歌番号五六七
原文 於止己乃者之免天於无奈乃毛止尓満可利天安之多尓安女乃布留尓加部利天徒可者之遣流
読下 男の初めて女のもとにまかりて、朝に雨の降るに帰りてつかはしける原文 与美比止毛
読下 詠み人も(しらず)
原文 以末曽志流安可奴和可礼乃安可従幾者幾美遠己比知尓奴留々毛乃止八
和歌 いまそしる あかぬわかれの あかつきは きみをこひちに ぬるるものとは
読下 今ぞ知るあかぬ別れの暁は君を恋路に濡るる物とは
解釈 雨に濡れて帰りましたが、今、初めて気が付きました、満ち足りぬままでの別れの暁までに、貴女との愛の恋路のなかでしっぽりと濡れるものだとは。
後撰和歌集 歌番号五六八
原文 可部之
読下 返し
原文 与美比止毛
読下 詠み人も
原文 与曽尓布留安女止己曽幾計於保川可那奈尓遠可日止乃己比地止以不良无
和歌 よそにふる あめとこそきけ おほつかな なにをかひとの こひちといふらむ
読下 よそに降る雨とこそ聞けおぼつかな何をか人の恋路といふらん
解釈 遠くに降る雨とばかりに聞けと、聞いていましたので、さて、降る雨とは何のことでしょうか、何を人の「こひぢ」(小泥:ぬかるみ)と言うのでしょうか。(ねぇ、恋路なの、それとも私が小泥なの、また、やって来て教えて。)
源氏物語に載る先行する文学作品を調べる引歌研究からすると、作者の紫式部や周囲の読者である宮中女房たちは、万葉集の人麻呂歌集に載る恋歌が大好物だったようです。和歌ですが和歌に恋のストリーを見出し、また、男女の体臭が匂うような夜のお作法を想像したようです。こっちの感覚から万葉集、後撰和歌集、源氏物語を眺めて見ますと、非常にエロいです。