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あなたは世界にどんな足跡を残すのか? What traces do you leave?

毎年通うハンガリーのOZORAフェスティバルから帰ってきて、書こうかどうしようか、ずっとモヤモヤしていたことがあります。

そして昨日、いのちのまつりから帰ってきて、想いがひとつに重なったので、今日はその話をしたいと思います。

"Leave no trace"
という言葉がある。

"Leave no trace"は、1970年代にアメリカで生まれた、環境配慮に関する倫理プログラムのことで、コンセプトというよりは行動規範であり、7つの原則を基にする。

OZORAフェスティバルでもこの言葉が謳われているが、残念ながらOZORAにおいては、理想主義的な"標語"として形骸化してしまっている。とも感じている。

OZORAでは昼夜を問わず多くのスタッフによってゴミが回収され、常にクリーンな会場が保たれている。

しかし、それは主催側の側の努力によって、一見問題ないように見えているだけで、フェスティバルが終わると、キャンプサイトには無造作に打ち捨てられたキャンプ道具やゴミが打ち捨てられている。

「これではOZORAも他の商業的なフェスティバルと何も変わらないじゃないか??」

もちろん、そんなことをしているのはごく一部の人だけのことだ。フェスティバルが大きくなれば、そういう人も混ざってしまうことは避けられない。

そう思いつつも、OZORAを愛するものとして、フェスティバル終わりのその光景に毎年心を痛めてきた。

参加者のうち、どれだけの人が意識しているだろうか?
どれだけの人が意識していないのだろうか?
あるいは、認識さえしていないのだろうか?

しかし、そもそもフェスティバルは聖なる場であると同時に、解放の場であり、そこには人間の邪な部分が現れてしまうこともまた常である。

フェスティバルを創る以上、その現実と向き合うことは避けて通れない。

「このフェスティバルで、ゴミを捨てる人が居てはいけない。」
そのような考え方は、フェスティバルの現実とも本質とも矛盾していないだろうか?

だとしたら、フェスティバルはフェスティバルとして、実行可能で現実的な行動規範を、自分たち自身で考え作っていくべきなのではないか?

だから僕は想う。

必要なのは理想主義的な"標語"ではなく、ルールでもなく、それを受け取る人が、自らの行動指針としてコミットできるものであるべきではないだろうか?

だから"Leave no trace" の代わりに、僕は想う。

"What traces do you leave?"
あなたはどんな足跡を残すのか?

「どんな足跡を?」

それは物理的な物事に留まらない。

僕たちは、人生のすべての瞬間において、世界に対して何がしかの影響を与え、何かを残して生きている。

言葉、振る舞い。僕たちの選択の全てが、世界に影響を与えている。

蝶の羽ばたきのような小さな変化が、時に大きな影響を生み出すことがある。

あなたにはちっぽけに思えた小さな羽ばたきが、
大地に大きな傷跡を残す事も、
青空に壮大な虹をかけることもあり得るのだ。

だから"Leave no trace" の代わりに、僕は問う。

"What traces do you leave?"
「どんな足跡を?」

それはルールや規範ではなく、むしろ約束である。
あなたの想像力に委ねられた、約束である。

あなたと僕たちとの約束なのだ。

僕は、想像力こそが、人間を人間たらしめている源泉なのだと思う。
そして想像力と"約束の使い方"こそが、この世界を良くするための鍵なのだと思っている。


今年。
過去最高とも思えたフェスティバルの中で
とてもとても悲しい出来事が起こった・・・

想像する。

What traces do you leave?
その言葉の意味を伝えてあげられたら・・・
その出来事は起こらなかったかもしれない。

想像する。

そのような悲しい出来事が起こらないように、
より良い世界を作るために、
僕たちは何を残せるのか?

その出来事が残した傷跡を、どのように受け止め、
どのように生かしていくべきか??

想像する。

フェスティバルを創った全てのいのちと
繋いでゆくいのちを想い

約束する。

6年後、北海道で金環日食
11年後、本州で皆既日食
そして12年後、めぐりてまわる、いのちのまつり。

よりよいフェスティバルを創るために
よりよい世界を創るために
僕はあなたたちの足跡を
胸に刻みつけて生きていくことを。

ここに記します。

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