"めんどくさい家事"でもやりたい行為は「幸せ」そのもの
最近料理にハマっているかねこ先生です。
朝のピアノ配信中にピアノを弾くのを忘れて料理配信になってたりします。
ところで家事って面倒くさいですよね。できるならやりたくない、そんなこと考えている人も多いと思います。
そこでふと思ったんです。「なんで家事ってめんどくさいんだろう」と。
そこで考えてみました。すると、家事が面倒くさいのではなくて"やらされてると感じていることが面倒くさいを作ってる"んだなと思いました。
今日はそんなことを書いていこうと思います。
私は炊飯器を持ってないので鍋でご飯を炊くのですが、炊いてる最中の蒸気でフタが動くところを見てると「この力を利用して蒸気機関ができたのだな」と人類の気付きと行動の凄さを感じたりします。
そんな人たちの凄さを感じながら気持ちよく空想に浸っていると大体おこげができるのです。
何が言いたいかというと私にとって鍋でご飯を炊くのはやりたい行為なんです。アナログな動きの中に、何かに気づき、想像し、行動した過去の偉人たちを想像する空想の時間なのです。
これがもしやらなければいけないことだとしたら。
当然、炊飯器を買ってくると思います。できる限りの効率化を試みて、面倒な時は食パンにするでしょう。自分の知っているレシピを使い回し、時折弁当やお惣菜を買ってくる毎日になるかと思います。その行為は狩猟採集民が料理の前に獲物を狩る、現代の狩りの行為でしょう。
ピアノの生徒さんにカメラが趣味の方がいます。休みの日には好きな写真を撮りに日本全国飛び回るそうです。
趣味は誰にも強制される物ではありません。いつ北海道に行こうと沖縄に行こうと、また人でも風景でも何を撮っても構いません。
これが1週間後までに海の写真を男女を含めた風景として撮らないといけないと話が変わります。自分が撮りたくないものや行きたいくない場所に、やりたくない時にやらないといけないはずです。
でも趣味は自由。それをより言語化するなら自分がやりたいと思った事をやるから自由を感じるといえるかもしれません。
そんなことで、今日も掃除をしたいので部屋を隅々まで拭きたいと思います。(花粉が…。。。)
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