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南町田ビル8F 御幸コールセンター まさ代さん

「やっぱり、ダメねぇ。タバコやめようかしら」

婚活をはじめて、どのくらい経つかしら?
今日の婚活も…手応えまるでナシ。アタシのアプローチが、強引すぎるの?
それともタバコのニオイが邪魔しているのかしら。

中学・高校・大学まで勉強したことは、恋愛に何ひとつ役に立たなかった。こんなことだったら、恋愛の勉強をしておくべきだった。
そんなふうに思うようになったのは、30歳を過ぎたあたりから。恋愛の勉強をしてこなかったことが、アタシの唯一の後悔だわ。
…だけど、アタシは過去を振り返ることが、やっぱり嫌い。
あの時、こうすれば良かったなんて、思いたくもない。
これまで自分が選んで、歩んできた人生だから、やはり最善の選択をしてきた、そう思うようにしている。そうじゃなきゃ、
こんな時代、やってられないでしょ!(怒髪天)

アラサー女子として、アラサー期間内(諸説あるものの、おおむね26歳から34歳まで)に、なんとしても婚活でイケメン男子とお近づきになって、ときめきのウェディングのその日を迎えたい!それが、まさ代(32歳)の最優先事項、一丁目一番地の重点目標なのである。

南町田ビル8F
御幸コールセンター
まさ代さん




職場である御幸(みゆき)コールセンターは、中心市街地の南町田ビル8Fにある。古いビルだが、これでも10年、20年くらい前は8階建てのビルは珍しく、目につく建物だった。

令和になって、ビルも人も、年相応の年の重ね方をするワケだけど。そういうアタシも、職場では中堅どころ。もう、もてはやされる頃は、すっかり過ぎちゃった感じね。

「おはようございます、まさ代さん♪」

朝から、元気のいいハツラツとした声だ。後輩のカオリンこと、西池 香(にしいけ・かおり)だ。いわゆるZ世代で、すぐ『エモい』とか、感情表現を多用してくる。だけど仕事はキッチリこなす。アタシとは、歳の差10歳くらい開きがあるものの、一緒にいて居心地の良い後輩ね。

「…あら、カオリン…おはようさん」

「どうしたんですか?なんか朝から元気ありませんね…タバコ、ついに止めるんですか?それなら、給湯室の換気扇切りますけど。あっ!ひょっとして、またダメだったんですか、婚活?」

「…ま、またって、何なの!アンタねぇ、いろいろあるのよ、いろいろ!」

いつもの朝の掛け合いをしていると、串間(くしま)部長が入ってきた。ひょろっとして背が高いため、すぐわかる。今日の朝礼が始まる。

「皆さん、おはようございます。今日も宜しくお願いしますよ。さて、わが社は男女比率が、2対8というコールセンターです。で・す・が、既にお気づきですね…私の隣にいる、小戸(おど)くんが、本日より加わり、なんと男女比率が、3対7になる可能性が大です!…いや~御幸コールセンター初ですよ、初!」

串間部長にとっては、新入社員の紹介よりも、男女比の変動のほうが大切らしい…そっちのほうが、どうでもいいわ。

「…あっ、すまんね小戸くん、自己紹介をお願いしてもいいかな」

「はい」

声が通る、とは…このことだ。年齢は、20代後半といったところか、最近の髪型で、肌は白い。いわゆるイケメン君。予想通り、御幸コールセンターの女子社員たちから、ため息に近い声がもれる。隣にいるカオリンも、瞳のときめき具合から、ストライクゾーン、ど真ん中のようだ。

「はじめまして、小戸 流星(おど・りゅうせい)です。派遣社員としてお世話になります。どうぞ、よろしくお願いします」

久し振りの男性の加入は、雇用形態が派遣であろうとなかろうと、御幸コールセンターの女性社員たちを虜(とりこ)にすることは、まず間違いない。明日から、髪の色を赤に変えて注目されやすい女性を演じる、あるいは黒く染め直して、清楚なイメージを醸し出す…などの、テクニックは女子社員各々が持っている。

ちなみに御幸コールセンターは、ゆるい社風で、髪の色にNGはない。『髪の色は個性!実績残して髪色レインボー♪』といった、通年スローガンがあるくらいだ。まさ代の髪色である、黄色のほかにも、青や緑・ピンクなど流行に応じたヘアカラーが楽しめる(笑)実際に、ほぼ電話での応対や、原簿入力といったパソコン入力作業がメインで、お客様と直に接するのはごく一部である。

自己紹介を聞き終えたカオリンが、間髪入れず、小声で話しかけてくる。

(まさ代さん!何、あのイケメン、名前が流星!りゅうせいだって♡)
(…ちょっと、カオリン聞こえるわよ!アンタ、興奮し過ぎでしょ!)

カオリンのときめき度は、どうやらMAXのようで、もはや、串間部長の話が
終わったことさえも、気づいていないようだった。新しく入った小戸君は、午前中いっぱい、教育研修を受けるようだ。きっと彼の席となるデスクは、串間部長の横だろう。

お昼休憩の食堂でも、小戸君の話で社内は、もちきりだった。

「小戸くん、彼女いるのかしら?」
「えーだって、あのイケてる感じ、絶対いるわよ、いや、いて欲しくない~!」

資格検定願書購入受付の電話を終えて
まさ代と、西池 香も、遅れて食堂へ。毎年、この国家資格の願書受付の問い合わせは多く、お昼休憩が遅くなることもままあるのだ。

「やれやれねぇ…耳ふさいでいても聞こえてくるわ、小戸君の話題」

「えー?まさ代さん、興味ないんですか?イケメンじゃないですか、小戸さん!」

「まぁね、でもアタシ、年下はちょっとねぇ」

その日は、あっという間に過ぎ去っていった。定時を回り、タイムカードを押してエレベーターに向かうと、カオリンが噂の小戸君と何やら話している。

「まさ代さーん♡、い、今から小戸さんの歓迎会やりません?小戸さんも大丈夫ですって!」

なんと、速攻で急接近する、若さ溢れるアグレッシブな行動力!これこそ、婚活に活かせる女子力なの?カオリンには、見習わなければならないところが多い。そんなことを考えていると、エレベーターが開く。小戸君、カオリン、アタシの順でテンポよくエレベーター内に入る。すかさず、口を開いたのは、カオリンだった。

「えっと、こちら、私の上司で、まさ代さん」

どうやら、この短期間で、カオリンからアタシの情報提供が小戸君にあったらしく、彼は緊張しながらも会釈する。

「小戸 流星です。僕の方は予定もありませんので、西池さんから、お声がけいただいて、嬉しいです。まさ代さんこそ、大丈夫でしょうか」

緊張しているものの、丁寧な言葉づかいには好感が持てる。なるほど、加えてイケメン!みんなが、とりこになるワケねぇ。

「…アタシもヒマだし、久し振りに飲みたかったところだから、大丈夫よ!」

3人というのがいい。このご時世、大人数での歓迎会なんぞ、とても出来るワケがない。職場が入るビルは中心市街地にあり、1時間ほど飲んで帰ることは問題ないし、今日は金曜日だから明日の心配もない。

●●

職場の真横にある、居酒屋「美郷(みさと)」は、地鶏が美味しいおすすめの店だ。カオリンが入社した時も、ここで歓迎会をした記憶がある。

「…で、小戸さんは、その、彼女いるんですか?」

3人席に注文したビールが届き、乾杯した直後の第一声だった。唐突過ぎる会話…ではないようだ。ジョッキを見ると、すでにビールを半分ほど飲み終えている。カオリンにしてみれば、ロケットスタートに違いない。さらに酔って顔が赤いのか、直球の質問をしたことで、顔が赤いのか…彼女自身、アタシにもわからない。

「い、いませんよ。そんな、西池さんはどうなんです?」
「えー、それ、聞いちゃいます?えー、そ、そのーあふ♡」

…もう、カオリン、ダメっぽい。だいたい、いつもこんな感じ。コップ1杯飲むと顔が真っ赤になる、それがカオリンだ。

「それにしても小戸君、お酒強いねぇ!アタシも強い方だけど、流石・男子ね!」

小戸君はニコニコ笑った。店内は金曜日ということもあり、仕事帰りのサラリーマンや、カップルも多い。30分くらい経っただろうか…小戸君もリラックスしてきたようにみえる。

「もー、ふたり共~お酒強くてカオリン、ジェラシー!うふふ、でも私、人事部の綾さんにこっそり聞いちゃったんです。小戸さん、Sランク大学出身だって♡キャー」
「は?ちょっと、カオリン!アンタ何者なのよ?まったく、教える綾ちゃんも、ハメ外しすぎ!」

泣く子と酔っぱらいのカオリンにはかなわない。極秘裏に入手したであろう、個人情報さえも、本人の目の前で発言する、この無敵さ…いや、バカなの?勢いづいたカオリンは、まだまだ飲み続けたいようだ。

「二次会行く人、カオリンの小指にとーまれ…あはっ♡」

完全に、ただの酔っぱらいと化したZ世代。まだまだ、くちばしの黄色いひよっ子め!小戸君、いや…もう流星でいいわ。流星の表情を横目で確かめようとしたとき

「まさ代さん、きっと西池さんは、もう足にもきてますよ、酔い。うち、近くなんです、もし良かったら…僕の家で歓迎会の続き、しませんか?」

きっと、二件目のお店に迷惑を掛けることを予測しての発言だろう。

「行く♡行く♡カオリン、全然大丈夫だし…ふぅー」

「ちょっと、カオリン!アタシはいいけど、小戸君に悪いわ、ここでお開きでもいいのよ?」

申し訳ない気持ちで、流星をみると

「僕も家に帰ってもひとりですし…歓迎会、本当に嬉しいですから。あっ、変な心配はしないでください。それに明日は休みですし、予定もありませんので」

結局、タクシーを拾い、3人で流星の家に向かうことになった。しかし、ちょっとねぇ…入社日早々、パワハラじゃないのかしら、コレ?流星にしてみれば、断るに断れない状況よね、たぶん。

「ごめんね、小戸君、なんかその…カオリンは、きっと途中で寝ちゃうわよ。お酒弱いのに、張り切っちゃって」

「その時は、僕、キッチンで寝ますので、寝室をお使いください」

「…えっ、さすがにそこまでは」

「着きました、運転手さん、ここで」

タクシーを降り、千鳥足のカオリンに肩を貸し、あたりを見渡す。

「えっと、小戸君のお家は…」

「まさ代さん、西池さん大丈夫そうですか?僕の家は、ここの25階です。さっ、行きましょう」

「…えっ、ここなの?」

●●●

中心部に近いタワーマンション。
見渡すというより、見上げるというほうが正解だ。(ちょ、これって…タワマン…タワーマンションって確か、20階以上ある超高層マンションよね。…に、25階って?な、何階なの?

流行りのドラマによく出てくる『タワマン』が、自分の日常に関わってくる衝撃。それにしても、半分寝ているカオリンが、重い!

オートロック解除後、エレベーターで25階へ。流星が、そそくさとドアを開ける。

「どうぞ、さっ、上がってください」

「お、お邪魔するわね…」

端正というかシンプルだけど、上品な玄関。リビングに入ると、カオリンはそばにあるソファにもたれ…眠ってしまったようだ。耳を澄ますと、寝息まで聞こえてくる。

「まさ代さん、西池さんを寝室へ移動させましょう。こっちです。今、開けますね」

流星に案内されるまま寝室へ。カオリンをベットに寝せる…

(寝室、広っ!玄関とリビングも、スタイリッシュで、オシャレこの上ない!)

「あっ、まさ代さん、リビングに適当に座ってください。引っ越してきて間もないので、家具などあまりなくて…飲み物、今持ってきますから」

…なるほど!引っ越してきたばかりで、部屋自体に物が少ないということね…でも、それでも腑に落ちないことが多いわ。まず、このタワマンにひとりで住んでいるワケ?家賃だって聞けないけど、ビッグマネーよね。それに…うちの会社に契約社員で入ってきたこと。うまく言えないけど、引っ掛かりすぎるわ、ツッコミどころ半端ねぇって感じ。さっき、カオリンが言っていたSランク大学卒業なら、うちの会社以外にも、もっと大手も行けるハズなのに…

キッチンの冷蔵庫が閉まる音とともに、流星が缶ビールを持ってリビングに戻って来る。

「すみません、缶ビールしかありませんでしたけど、とりあえずこれで」

流星は少しバツの悪そうな顔をしたものの、ニコニコ笑って、無造作に座る。

「あ、ありがとう!あんまり気を使わないで。自分ち、でしょ」

「はい、以後気をつけます」

「変なの、ふふっふ」

あらためての乾杯。良く冷えている缶ビールが、美味しい。

「でも、吃驚したわ…小戸君、タワマンに住んでいるなんて!」

「あ、その…会社に近いほうがいいかと思って」

「は?えっ、それでこのタワマン?」

「はい…25階がたまたま空いていて」

なるほど、わからん!ますます混乱してきた。うちの会社に近いから、タワマン…う~ん、よほど…うちの会社の仕事が気に入ったのかしら?それとも他に…

流星は変わらず、ニコニコしながら缶ビールを飲んでいる。

変な表現だが、無邪気にお酒を飲んでいるように見える、もっと言えば、安心してお酒を飲んでいる…そんな例えが一番近い。警戒心とか、ないのかしら?今日はじめて会った人を自宅に招き入れて…。それにもし、アタシたちが、実は全然酔っていなくて、趣味で女子プロレスラーとしてタッグを組んでいて、豹変したアタシとカオリンが襲い掛かって来る!とか…か、考えないか。それに、よくよく考えれば、同じ職場の同僚で、自分の家でお酒を飲むからこそ、安心感がある…そんな考え方だったら、当たり前か…。

いろいろ考えながらも、納得・解決したその時、寝室から物音がして、ドアが開く音が聞こえた。どうやら、酔っぱらったZ世代・くちばしの黄色いひよっ子が、起きてきたようだ。

「わぁー、すごい!二次会はオシャレな雰囲気のお店~しかも貸し切り~ふぁ」

何か勘違いをしているようだが、ただの酔っぱらいに説明するのも面倒なもの。カオリンは、まさ代の横に座ると、そのまま寝てしまった。

「…い、今の寝ぼけていたってコトかしら?」

「そうみたいですね、あとでブランケットを掛けておきましょうか」

さてと、流星に警戒心がないことは、納得したけど、まだ聞きたいことは沢山あるわ、何から聞こうかしら。でも、思ったことをひとつひとつ聞いてみるのが賢明ね。自分の家まで知れちゃってる状態だし、会社の仲間として、遠回しにアレコレ聞くより、ストレートに聞いたほうがいいわ。

流星が2本目の缶ビールの口を開けて、やはりニコニコしながら飲み始める。

「小戸君、あっ、もう流星でいいわよね?」

「あっ…はい、学生の頃も流星って呼ばれてたので」

「じゃあ、流星に聞きたいんだけど…」

「はい、何でしょう?」

「あなた、本当は…お金持ちでしょ?」

「…あ、まぁ」

「それに、うちの会社…つまり、コールセンターで働かなくても食べて、暮らしていけるでしょ?」

「…あ、はい」

まさ代の考えていたことが、立て続けに当たった。そう、流星の出身大学・タワマン・丁寧な言葉遣いを含む行動からすれば、なんとなくではあるが、見当がつきそうな答えが並んだワケだ。

「だとすると…やっぱり、アレね!」

まるで、推理小説に出てくる…タバコをくわえた探偵か、犯人の証拠を押さえた警察のような口調になってくる。

「まさ代さん、謎解き名人みたいですね…タバコ吸ってもいいですよ」

「そう!…流星は、きっと、うちの会社じゃなきゃ、いけない理由がある!どう?違って?」

「まさ代さん、鋭い!正解…その通りです」

「ほら、やっぱり♪」

「じゃ、自己紹介も兼ねて、その理由を話しますね。その…長くなったらごめんなさい」

「いいわよ、アタシ全然酔ってないし、聞く耳ふたつあるから」

「ははっ、では…」

一呼吸置くと、流星は手に持っている缶ビールを見ながら、話し始めた。

「僕、実は1年浪人して大学へ入ったんです。」

流星は、何だか嬉しそうに話しはじめた。

●●●●

小戸 流星は、九州生まれ・九州育ち。大学進学をきっかけに故郷を離れる。高校は進学校に通い、成績も上位。志望校の大学も、誰もが合格を疑わなかった。―だが、現実は非情なものだった。

「…落ちた、ダメだったのか」

その日、流星は受験大学に張り出された、自分の番号のない…合格者発表の掲示を夕方まで眺めていた。その夜のことはあまり覚えていない。九州から出てきて、ホテルに泊まり、翌日には地元に戻り、両親や友人に合格の報告をするハズだった。

翌朝、ホテルをチェックアウトした流星だが、九州に帰るつもりはなかった。もちろん目的地もなく、ただ歩いた…ひたすら歩くことしか出来なかった。

どのくらい、どこを歩いたのかもわからない。ただ…俯いて歩き続けた結果、首が痛かった。頭を、そして目を上げると、ビルがあった。屋上の看板には、南町田ビルとある。

「8階建てのビル…8階か、ここならー」

エレベーターで8階まで行き、さらに登り階段で屋上まで来た。もう、決めていた。そうするしか、なかった。

あんなに頑張って、受験勉強をしたのにー

あんなに両親に期待されて、まわりの仲間の中でも1、2を争う成績だったのにー

あんなに…

自然と涙がこぼれる。どうして?何でだよ?もう、地元に戻れないじゃないか!不合格の理由は?あと何点足りなかった?いっぺんに答えのない問いを自分に浴びせる…

「なんで、こうなるんだよ!」


自分でも、初めてと思えるほど、大きな声で叫んでいた。知らない街で、知らないビルの屋上で。その問いに応える返事もあるわけがないー


「…知らないわよ!」


違った。問いに応える、返事があった!

涙と鼻水でグシャグシャの流星が、声のしたほうへ顔を向けると、ひとりの女性が、突っ立ている。腕組みをして、マルボロだろうか…煙草を吸っていた。

呆然とする流星には、返す言葉もない。すると、女性は煙草の火を消して、続けた。

「アンタねぇ、いきなり…うるさいのよ!だいたい、アレでしょ?その格好からして、地方から大学受験の合格発表を見に来たけど、思ってた感じと違ってて、たまたま歩いていたら、高いビルがあったから登ってきたんでしょ?」

まるで…推理小説に出てくる探偵のようだ。流星は、開いた口が塞がらない。女性は続けて

「アンタ、名前は?」

「…流星」

「聞こえないわよ!さっきは、あんなに大きな声を出しておいて、自分の名前ぐらい、相手に聞こえるくらいの声の大きさで言いなさい!」

「流星!」

女性は煙草を取り出して、火をつける。ライターの色は赤色だ。流星は突然の出来事で、ただ女性の行動を目で追うことしか出来ない。

「…で、流星、アンタこれからどうするの?その金網を乗り越えて、お空にダイビングなんて、やらないでくれるかしら?」

「えっ」

どうやら、すべてお見通しらしい。この状況、そして女性が予想した内容が的中しているならば、十中八九、誰もが考えることの出来る答えだ。

「…あのねぇ、世の中そんなに甘くないの!それに、アタシはこういうの、何回も見てるの。ここ数年、春になると、流星!アンタのような輩が、ここに来るワケ。もう、そろそろウンザリなの」

…そうか、このビル!僕みたいに大学受験に失敗した受験生たちが、今日の僕と同じような思いでここに…。

「ちょっと、聞いてるの?そんなアンタにひとつだけ、言っておくから、耳の穴かっぽじって、よーく聞きなさいよ、1回しか言わないから!」

女性は、煙草を上着のポケットに終いながら言った。

「去年は2人、一昨年は5人、その前の年は8人、アンタみたいな人がここに来たわ。それでも、アンタみたいな人たちを、何とか、どうにか出来たの!」

女性は背を向けて、ビルの屋上の景色を観ながら、付け加えた。

「…去年、ホントは3人いたの、アンタみたいな人。今日と同じくらいの時間、いつものように屋上に上がり、煙草に火をつけて景色を観ようとしたら、靴と鞄がそこに置いてあって…」

「えっ」

想像できた。この女性が、ビルの屋上の景色を観ながら、煙草を吸っているから、こんな僕でも、容易に想像できた。

「…間に合わなかった、女の子だったの。翌日、女の子の両親が来たんだけど、掛ける言葉が見つからなくて。そしたら、母親が…か細い声で、アタシに言ったの」

『ごめんなさい、ごめんなさい…もっと、自由に生きさせて…あげれば…良かった』

僕は、僕はー。

僕は、今、現実に還ってきたような気がした。

話を終えた女性が、腕時計を見ていた。どうやら、時間が気になるみたいだ。

「じゃ、アタシはもう行くわね、休憩時間…そろそろ終わりだから。で、アンタ、流星!この1年、志望大学に入る為に、もっと自分自身のために勉強してみたら?それか、就職してガムシャラに働いてみるとか。」

僕は、ようやく今の僕の状況を冷静に理解したー。そんな僕を知ってか、知らずか、女性は最後にこう言った。

「あとは、あなた次第ね」

そう言うと、女性は去っていった。結局、僕は女性に自分の名前しか伝えていなかった。だけど、そんなことは、どうでもよかった。

翌年、晴れて志望大学に合格し、在学中にベンチャー企業を立ち上げ、軌道に乗せた。数年後、僕は会社を仲間に任せた。


流星が3本目のビールを飲み終え、まさ代に話しかけた。

「…こんな感じですけど、どうでした?」

まさ代を見た流星は、少しホッとしたような表情になった。

「…眠っちゃってますね、どこまで聞いてもらえてたのか…わからないや。ひとりで、話を続けちゃったからか…」

そう言い終えると、流星はブランケットを2枚寝室から持ってきて、西池とまさ代に掛け、自分はキッチンのフローリングに横になった。

フローリングは、ひんやりとしていたが、気持ちが良かった。目を閉じると、あの日の自分、そして…あの時の気持ちが込み上げてくる。自然と涙が溢れてきた。

(まさ代さん、遅くなったけど僕は、あなたに会って伝えたかった言葉があります。)

「ありがとうございました…生きていて、本当に良かったです」

思わず声に出した流星の顔は、涙と鼻水でグシャグシャだった。

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月曜日。今日も、御幸(みゆき)コールセンターの一日がはじまった。先週の金曜日は、結局、流星のお家にカオリンと一緒に泊り、明け方にお暇(いとま)した。キッチンで幸せそうに眠っている流星を見て、さすがに声はかけづらかったから。カオリンも半分寝ぼけていたので、きっと覚えていないと思う。

「おはようございます、まさ代さん♪」

今日も元気のいいカオリン。

「あら、おはようさん!カオリン」

「先週の小戸さんの歓迎会…カオリン、あまり覚えていなくて。でも、お礼は伝えたいと思って!ほら、また一緒に飲みたいじゃないですか♪連絡先を聞いていなかったから、LINEとか出来なくて、どうしましょう?」

LINEのメッセージねぇ…歓迎会のことをあまり覚えていないカオリンは、少しバツが悪いようだ。同じ会社だから、流星を見つけて、直接口頭で伝えればいいのに…まぁ、Z世代、ううん、若いってコトね。

「…そうね、会社にいるんだから、ポストイットか、メッセージカードでも、机に張ったり・置いたり・渡したりしてみたら?そうそう、アタシ、後で給湯室でタバコ吸うから、換気扇は切らないでね!」

「うわっ、ポストイットって、エモい!…だけど、いい案ですね!じゃ、まさ代さんも、ひと言メッセージをください!私は、また一緒にお酒飲みましょう♡かな」

カオリンの表情が明るくなり、どうやら、やっぱり、流星にゾッコン・ラブのようだ。案外、Z世代もわかりやすいものだ。

「それじゃ、アタシは…会いに来てくれてありがとう、流星!で」

「…会いに来てくれてありがとう、流星!ですね…ん?えっ、なんで呼び捨てなんですか?まさ代さん!ちょっと?それに…タバコ、やめないんですか?…会いに来てくれてありがとう…?」

いつもの朝の掛け合いをしていると、串間(くしま)部長が入ってきた。ひょろっとして背が高いため、すぐわかる。今日の朝礼が始まる。

おわり






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