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視覚障害者の散歩は、犬に付いていく

先天性弱視が世の中に発信したいことを書くメモ③です。

今回は私の実体験から弱視の不便さの解消を考える内容です。

この人誰なんだ問題

 弱視の方はあるあるの話ですが、視力が悪いと人の顔が判断できないので、すれ違う人や道端で会う人、会社のフロアで目の前を通り過ぎる人、エレベーターで一緒になる人が、正直誰なのか分かりずらいです。
 どう分かりずらいのかよく聞かれますが、体感する方法は簡単で、眼鏡やコンタクトで視力を矯正している人は、ぜひ眼鏡・コンタクトなして一日生活したり、仕事をしたりしてみてください。裸眼で0.1程度ならば、私と同じ体験ができます。
 「そんなことできるわけない」と思うかもしれないですが、弱視はそれが永遠に続きます。その状態で日常生活を送り、仕事もしています。もっと正確に言うと、ただ視力が出ないだけなく、まぶしさを感じやすい、色を識別することができない、暗い場所では見えにくい、または殆ど見えない(夜盲)、視野が極端に狭い、乱視が強く目が疲れやすい、眼振がって体調が悪くなる…などの状態もプラスされるのが弱視なので、健常者の方が眼鏡を外しても完全に同じ状態にはなりませんが。
 少し話がそれましたが、とにかく人の顔が良く見えていない(ぼやけている)ので、その人の体格やその日の服装、主に声などでその人を判断しています。その情報がない状態でその人の顔だけで誰なのかを判断することは、私の場合極めて難しいのです。

 エピソードとして、昔、母親が実家でピアノを教えていて、そのピアノのある部屋に母親の音大時代の写真が飾ってありました。私がその写真を眺めたとき母親から「この人だーれだ?」と聞かれたとき、まったく誰なのか分からず、母親もそれに困惑して不機嫌になってどっかに行ってしまった残念な思い出があります。つまり、自分の親の顔もあまり正確に見えていないので、昔の写真を見てもそれが自分の母親かどうか分からないくらい、見えていないのです。

 ですので、誰なのか分からない問題によって、すれ違ったのに挨拶もせず無視された、アイコンタクトが通じない、近くにいたのに気付いていなかった、会話しているとき目つきが悪い…などのことで、割と人から誤解されることがあります。
 しかしそれは相互理解が築けていない状態ならば、ガンダムのニュータイプでない限りお互いが状況を把握することは無理なので、ある程度は仕方ないとあきらめる部分もあります。
 ※私が白状を持って歩いていないという私自身の情報発信が不足しているという問題もあると思っています。

 ともあれ、出会う人が限定されている職場では自分の状況を説明しコンセンサスを取ればいだけなので問題ではないのですが、たとえば、犬の散歩で会う知り合いの犬の飼い主さんなどは、私からは誰が誰なのか遠目でも、近くで会っても、さっぱり分からないのでこういう場合は、犬の方が知り合いの飼い主を覚えているので、犬が先に挨拶をします。

我が家の犬:キャバリア(2歳)

知ってる人かどうかは犬が教えてくれる

 犬の視力は、人間でいうところの0.1~0.2程度だそうです。
 もしも0.2の視力があるのならば、少なくとも私よりは見えていることになります。
 また、犬は猫ほどではないものの、暗い場所でも少ない光があればよく見える眼を持っています。
 我が家でも、夜部屋の電気を消して暗くしたとき、犬の方が私よりも目が慣れるのが早いのが、自由に動き回っています。
 そういう特性もあって、全盲の視覚障害がある方には、盲導犬という制度もあるかと思います。

 盲導犬とまではいかなくても、散歩中に知り合いの犬や飼い主を発見して、挨拶しに行こうとするのは、明らかに私よりも犬の方が早いです。
 なので、散歩は犬の安全を確保しつつ、犬の行きたい方向に歩いていくと、自然と他のの飼い主さんたちとコミュニケーションが取れるのです。

 一説には、人間と犬との関係性の歴史は、一万年以上にも渡るといわれるそうです。
 その長い歴史のなかで、犬が人間のパートナーとなり、時には人間の眼の代わりを務めたことも、多々あったのでしょう。

 障害があり、自分の努力では埋めることができない足りない部分が埋められなくて、自己嫌悪になったことも過去にありました。
 しかし、埋めらない補えない部分は、必ずしも自分ひとりで解決する必要がないことを、犬たちに教えられました。
 

【散歩中】チワプー(3歳)、キャバリア(2歳)

以上、お読みいただきありがとうございました。

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