21/10/21 傘泥棒のメソッド、または或る昔話

傘泥棒はルール(法律)で追うにはあまりに些末だが、モラルだけに頼るには大きな問題であるという点で、何にもましてあくどい所業と言える。実際に多くの人が被害に遭遇し、場合によっては加害した経験があるのではないかと思う。
以前、「むしろ盗んではいけないものという感覚の方が非合理的なのではないか」と考えたことがある。もちろんこれは盗人の開き直りの意味ではなくて、良く言えば常識のハックが暮らしを良くするのではないかという妄想だ。みんながみんな、”自分の傘”という考えを捨てて、シェアすれば良いのではという提案である(実際にそういうサービスが存在することは後述)。
この妄想を最初に考えたのがおそらく大学1年生の頃で、それから2年後、僕はもう一度その妄想を少し真面目に考える機会を得た。今となっては有名になったファーウェイの中国本社への研修に端を発する。

研究の関係でファーウェイジャパンの人から本社研修を紹介され、タダで中国旅行に行けるのならまぁ楽しそうという理由から3週間ほどの北京と深圳への渡航を決めた。そこではファーウェイの誇る5Gや6Gの通信技術や他のインフラを牽引する技術者が僕らに色々なレクチャーを施してくれるのだが、僕はほとんどメシと酒にしか興味がなくて、かなり太って帰ってきた。今考えるとかなり愚かなような気もするが、知見がなかったわけでもないし、またいつか書きたい。
それで、研修の最後に『ITを活用した新しいサービスを何か1つ考案せよ』というお題があり、僕は傘のシェリングを提案した。
なんだかこんなふうに書くと天から降ってきたいいアイデアのように聞こえるかもしれないが、中国国内でのシェアバイクの普及やキャッシュレスの現状を目の当たりにすれば猿でも思いつく話である。僕はサービスの名前を”カシカサ”にした。なんだかオリエンタルな感じがしていいなと思ったのだ。

時はたち、実際にそのようなサービスが展開されていることを知った。アイカサというサービスで、時系列を予想するとおそらく僕が中国に行った頃にはすでにサービスの着想は存在したのではと思われる。猿でも思いつくが、それを実際に行動に移す方々には本当に頭が下がる。
僕はこの事実を知ったときに、脱帽する一方で、共に研修に行った某トップ私立大の学生と傘のシェアリングについて交わした会話を思い出した。僕がアイデアを発表したあと、彼は割と真剣に僕の顔を見て「ファーウェイの力も使って本気でやってみるのはどうか」と提案したのだ。僕は当時今ほど社会に興味がなかったので、「やるなら好きにやっていいよ」と言ったのだけれど、彼は少し考えてから「やっぱりうまくはいかないと思う」と言い始めた。理由はこうだ。
つまり、一般にシェアリングサービスには過失や悪意を持った破損、盗難のリスクが考えられ、運用にはそれを評価する必要がある。そのリスクを勘案して価格設定が行われるべきだが、自転車と傘の大きな違いは、後者の場合、リスクを含めた計算で採算が合うほどの価格を設定できないのではないかという点だ。傘は自転車に比べ容易に壊れる一方で、自転車ほどの価格は設定できない。(聞けば彼は某有名企業の御曹司ということで、僕は『菊次郎とさき』の”貧乏は輪廻する”を思い出した)

悪意の評価はビジネスに限らず、日常の多くの場面で重要なファクターだ。目の前の人間の中に悪意が存在するのかという評価は場合によっては自分の行動を大きく左右する。しかもより開かれた自由な社会であればあるほど、その重要性は増すように思われる。自由であればあるほど悪意は悪意として存在することができるし、僕らはその多様性を視野に入れる必要があるからだ。またそれは翻って、自由な社会において信頼というものがいかに重要かつ得難いものであるかを痛感させる警句になっている。

ちなみに、アイカサは現在複数の大学に導入されているようだ。先に述べたようなリスクの評価をしたときに、大学のような限られた環境であれば採算が取れると考えた提供者の思想が窺える。
あと、『鍵泥棒のメソッド』も良い映画なので是非。


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