特急あやめ・すいごうがピークだった頃
2015年3月に定期運転が終了した特急あやめ。東京から千葉・成田・佐原を経由して鹿島神宮・銚子に行っていた。運転終了の理由は高速バスに客を取られたからというのは様々な所で言ってるのだが、正直私自身は高速バスだけが直接の原因と思ってない。というのも、私自身育ったのが千葉県の香取市佐原だったのでこの列車はよく見ていた。
それはそうと、この列車を取り上げる多くは1994年12月からの鹿島神宮・銚子1往復ずつの時代で考えているのがほとんどであって、地元民からすればその時点で純粋な特急としての役割は終わっていたと思って間違いない。むしろ20年もよくもったな…という感じである。
成田線に特急が初めて設定されたのは1975年3月、東京から鹿島神宮へのL特急あやめとして設定された。車輌は183系電車9輌グリーン車あり。その時の停車駅はこうだった。
東京 錦糸町 千葉 成田 佐原 潮来 鹿島神宮
かなり停車駅が限られており、いかにも特急という感じだった。地元からすれば観光客が増えると喜んでいた反面、対東京需要はそれまでもあったものの、特急になるという事は当然ながら別途料金が発生するというのが多くの地元民から嫌われたのか、急ぎであっても特急は使うなという考えの人が多かった。使ったとしても自由席。指定席使うもんならカミナリを落とす人もザラだった。
最も、そう考える背景には成田に対する対抗心剥き出しの人が多く、成田までは総武線快速も京成も我孫子廻りの成田線もあるのになんで佐原は東京直通が特急しかないのか!って不満を持つ人が多く、特急を使うなら前後の普通列車に乗るよう言われる事が普通にいた。また、当時の佐原市議会では『成田線早期複線化、快速を佐原へ』等というスローガンを掲げた議員が結構いた。
しかし、この当時旧佐原市というのは、1951年の合併以来旧町意識が1970年代でもまだ残っており、旧佐原町とそれ以外の地域が仲悪くて争点もないのに市長選が毎回盛り上がってたんで、これじゃあ…と思う市民がほとんどだった。
1982年11月に、それまで特急を補完していた急行鹿島(鹿島神宮行)水郷(銚子行)が廃止される事になり、本数は特急に引き継がれた。その際、成田線香取から銚子にかけては特急が走っていなかったので新たに特急すいごうを設定した。2往復をそのまま引き継いだが、この区間は8両以上の電車が運転できなかったため、新たに183系6両の特急となった。停車駅はこうだった。
東京 錦糸町 千葉 成田 滑河 佐原 小見川 笹川 下総豊里 銚子
基本は急行の停車駅を引き継いだのであやめでは停車しない滑河に停車している。あと、佐原以東は各市町村1ヶ所に停まるのだけど、急行停車駅だった下総豊里にも停まっている。現在はすっかり寂れてしまったがこの当時はかなり賑わっていたのだろうか?だけど、この辺りが特急あやめ・すいごうの栄光のピークだったと思う。
…というのも、普段使いでも佐原から先まで行く人が少なくなった。急行が特急になるという事は、当然料金も値上げになる訳で、そうなると特急を避けて行く人がますます多くなってしまった。この当時特急は定期券乗車できなかったが、そうなるとこの区間の利用者の多くが地元の高校生で、通学ラッシュの時に特急が走ってしまうのは地元にとってはおじゃま虫でしかない。また帰りの時間に特急が走っていると、これまた駅周辺で時間を潰す生徒が多くなってしまい、非常に効率が悪い。
こんな事になったのか、1985年3月のダイヤ改正で特急あやめ・すいごうとも
183系6連に変更
佐原から先は普通列車
になってしまった。同時にあやめに付いていたグリーン車も無くなったが、ただでさえ料金を払う事を嫌う人が多かった中ではどうしようもなかったのかもしれない。
その後、1往復の快速ができたりしたものの、1993年頃までは現在の本数を維持してたが、1989年に登場した高速バスかしま号、1991年に登場した高速バス犬吠号辺りが人気が出てしまって本数を減らす事になるのだけど、それはまた次の機会に。
以前、YouTubeにこちらの動画をアップしてたので参考までに。2019年時点での成田線をかいてます。