2005年 7月・Tumba Créole マルチニークコンサートの報告
初めて、初めてです。自分がリーダーで素敵なミュージシャン達と共に海外へ行くのは。
しかもマルチニークです。するなといわれてもしてしまいます。
緊張と興奮、ドキドキとワクワク....。
みなさん、マルチニークはどこにあるか知っていますか?。ヒント、カリブ海ですよ。さぁ、さがしてみましょう!!。
今回のコンサートはフランス海外県、マルチニーク島の第34回フォール ドゥ フランス 文化フェスティバルの特別公演の一つでした。音楽だけでなく、演劇やダンス、料理などの文化の祭典です。
フェスティバルのテーマは、
「Imaginaire Insulaire(イマジネール・アンシュレール=島特有の幻想的世界)」。
Tumba Créoleのマルチニーク公演は何年も前から話題にはのぼりましたが実現して来ませんでした。ですから去年の年末にパリ在住の知り合いからその知らせを受けた時は「マジで、」信じませんでした。
年が明けて、我がTumba Créole のアルバムプロデューサーから(彼はマルチニーク人です)連絡が入った時も信じませんでした。その後、「渡マル(こんな言い方するのかな?)」するメンバーの人数や名前、そしてパスポートナンバーなどの情報をながす事になり、「ああ、もしかして行かれるかも...」と思うようになりました。
そして5月、現地フェスティパルのアーティスト担当プロダクションから連絡が入り、「あ、実現するかも...」と思えるようになり、6月、プロデューサーからフェスティバルと契約した連絡をもらって始めて「ああ、行かれるんだ...」と実感がわいたのでした。あら?、1ヶ月前ですね(^_^;)。
7月11日、成田空港よりエールフランスで飛び立ちます。成田からパリ、シャルル ド ゴール空港まで約12時間。そしてシャトルバスで移動、パリ、オルリー空港からマルチニーク、ラマンタン空港まで約8時間のフライトにたえて12日午後マルチニークに降り立つのでした。時差、-13時間。
長旅を終えた僕達の到着をプロデューサーとフェスティバル実行委員が迎えに来てくれました。僕個人としては4年ぶりのマルチニーク。すべてが懐かしくこれからの日々をよりわくわくさせます。
その足でフォール ドゥ フランスの市庁舎へ。このフェスティバルの主催はフォール ドゥ フランス市なので、出演者はみな市長さんに会いに行くというちょっとした儀式なのでした。なぜかみなフェスティバルTシャツを着て...。つまりお愛想ということですね。
ホテルは街から徒歩約15分くらいの高台にある三ツ星ホテル。プールもついてなかなかリゾートな気分です。僕達のコンサートは14日。でもすでにフェスティバルは3日から始まっており、出演者の泊まるこのホテルにはキューバをはじめハイチなどカリブ海諸国のグループやフランスなどから様々なグループが出入りしてごたごたわいわいざわざわ......。
その中でなんと日本人に遭遇!!。その名もサヤさん。彼女はフランス在住の舞台女優さんで、フランス人役者クロードさん(クロちゃん)と組んで、ナ、ナンと日本の紙芝居をやりに来ていたのでした。
この小さい島でおもいがけず日本人と出会うこの偶然にメンバー一同感動し、出会ったついでに通訳してもらっちゃったりして....。ハハハ、お世話になりました。
彼女達の舞台も子供の頃に帰ったようで楽しく、マルチニークの子供達も大喜びで見ているのでした。
彼女達のグループは pokkowa-pa(ポコワ パ)。日本にも来ているのでもし遭遇したら海沼のかわりによろしく言って下さい(^_^)。
そしてコンサート当日まで、メンバーは街へ出たりジョギングしたり買い物したりラムを飲んだり!!?。思い思いに過ごすのでした。
7月14日、この日はフランス革命記念日。パリではパリ祭が華々しく行われています。この大切な日にコンサートができるなんて大変名誉な事であります。
演奏会場は「Malecon」。海岸端に作られた特設大ステージであります。ステージからはフォール ドゥ フランスの街を眺め、そしてすぐ後ろはカリブ海....。
そうです、そのとおり!!。生楽器の敵、湿気のまっただ中でした!!。
今回のツアーではパーカッションなどの楽器は全て現地レンタルしておりました。なにせカリブの島ですからね、何かとあるだろうから大丈夫だろうと、まあ無ければあるもので何とかしようと考えていました。
その為にも「渡マル」する前にちゃ~んと楽器リストと、分かりずらいものにはイラストをつけて送ってありました。が、やはり!!、来ないもんですよね~。まあ、しょうがないしょうがない。
僕も初めてです、ジャンベというアフリカの太鼓をシンバルスタンドにくくりつけて演奏したのは(^_^;)。
でも全てがそればっかりと思ったら大間違い!。その楽器リストはきちんと音響チームにも渡っておりました。つまり彼等もその楽器達がレンタルできている事を前提で音響プランをつくっていてくれたのです。
~~~ ニヤケ話しを一つ...。メンバー10名分の譜面台を「渡マル」前に発注しておきました。が、やはりきていません。我がチームは楽譜を使う為無いと困るので現場においてあらためてお願いしたところ「何とかするが、7つはあるけど10個はどこさがしてもない..」とか言われ、まあしょうがないからあるだけで何とかしようと話していました。届いた段ボールの中には綺麗な新品の譜面台が12個、きちんと並べられて入っていたのでした....。 ~~~。
こんなことは幾らでもあり、とてもじゃないけど書ききれません(^_^)。
それにしても、あ、話は飛ぶけど今回の音響チーム、大変優秀なチームなのでした。メインのエンジニアは特別待遇で来た有名な方らしいですが、モニター系を始めこの人たちの働きっぷりと僕らとのコミュニケーションを取ろうとするその心意気には感動したのであります。
僕らにどう聞こえ、僕らが何を求めているか、そしてそれをいかに良いかたちでお客さんに伝えるか、こんな基本的なところをしっかり押さえているだけでこんなにも気持ちよくステージができるなんて...。
勿論完璧ではありませんが、マルチニークという風土を肌で知っている人たちの温かい音に包まれて本番を迎えるのでした。初めてですよ、ステージ上でバイオリンがきちんと聞こえるのは!!。
一旦ホテルに戻り、着替え、おめかしをして改めてステージに向かいます。
客席になる場所は大きなバスストップのある大きい広場。
いや~いるいる、たくさんの人がすでにいてまだ続々と人が集まっているのです。
ここで一発武者ぶるい、ブルッ!。
影アナに誘われていよいよ僕達のステージが始まります。
ここまで来るのは長かったな~とか、いろんな思いが頭の中をグル~っと.....、
そんな事はまったくなく、いつのまにかステージを夢中で楽しんでいたのでした。
でもやはり途中でこの素敵なメンバーとマルチニークに来れてコンサートがこうやってできる事にジワッときました。
しか~し、客席をごらんなさい、暗い中、笑う事で歯が白く光るたくさんの人たちが踊って楽しんでくれているではありませんか。いつのまにやらそんな感傷もどこかへふっ飛び、ラスト曲に突入するのでした。
僕らのステージの後は地元マルチニークのグループ「Moun」のステージです。このバンドへスイッチする合間3曲を彼等とビギン、マズルカのスタンダード曲でセッションしました。これもなかなか楽しいひとときでした。
曲目リスト
# OXAGUIAN
# Sé la Martinique
# Tambou dan tché nou
# Paroles Grand Moune(avec Sully Cally)
# En Za Fe Kredi(avec Sully Cally)
# SAKURA
# Madagascar na raiz
~Mounグループとセッション~
# (曲名忘れた)
# La Guadeloupéenne
# Gran Tomobil
さあこのプログラムを見て、熱狂的なTumba Créoleファンのあなたなら気がつくでしょうね(そんな人がいるのか!?)。
そうです、そのとおり!!。スチールパン曲が入っていませんね。
スチールパンも現地レンタルをお願いしておりました。ここマルチニークにもスチールパン奏者はいるし、スチールパンオーケストラもあります。勿論レンタルは問題なかったのです。いくつもの中から選ぶ事ができました。しかもとても良い音をしていたのです。
それなのに..それなのに.......。
僕の使っているパンと配列が違うんです~!!!。
スチールパンは御存じの通りピアノのようにドレミファが並んでおりません。自分の楽器のドレミファの位置を覚えるのに一苦労しているのに、いきなり違う配列の物など演奏できるわけがありません。
涙をのんでスチールパンは諦めました。
パン曲はTumba Créoleの一つのカラーでもあるので大変残念でしたが、次回の楽しみにとっておこうと思う事にしました。
そして、ん?、SAKURA?、
ハハハ、やっぱりね、日本の曲といったらサクラでしょう。歌ってもらいましたよ、マルチニークの人々にも(^_^)。
そのSAKURAをビギンにアレンジしマルチニークで有名な曲をサンドイッチしてやりました。花の島マルチニークに咲くSAKURA、どうかな?。
コンサートは大成功で、とても忘れられない良いステージになりました。
マルチニークの人たちも楽しんで聞いてくれ、僕のひっどい片言フランス語も温かい笑いをもって受け入れてくれたのでした。
終了後、お客さんの温かい声援の中ホテルに戻り皆でお疲れさん打ち上げ!。
そして心地よい眠りにつくのでした。
あのステージは、夢かうつつか幻か.........。
翌日から街の中を歩く度にメンバーはそれぞれ声をかけられ、「コンサートはとても楽しかった。マルチニークに来てくれてありがとう。」と何人もの人に言い続けられるのでした。
しかも海沼は見のがしましたがテレビ放映があったらしく、運の良いメンバーはマルチニークのテレビにて自分を発見する事になったのでした。
そしてこのHPにも「現地雑誌の記事」としてのせましたが、7月16日発売のFrance-Antilles Magazineの表紙一面を飾り、半ページかけて記事を載せてもらう事ができました。しかもその写真は日本から送った宣伝用写真で、ツアーに同行できなかったメンバーも数名写っているのでした(^_^;)。
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19日夜、海沼は単独でアフリカングループ「Benkan Foli」のショーにゲスト出演しました。
フェスティバルでいろんな所から人が集まっているとはいえ、実際に一緒に音を出せる機会と言うのはなかなか無いものです。その中にあって他グループのショーに出演できるのは偶然や思いつきやいろんな思惑があったとしても嬉しい事でした。
思いきりTumba Créoleの宣伝をしてきちゃいましたv(^_^)v。
お客さんの中にはTumba Céoleのコンサートを見に来てくれていた人もいて急な雨にもめげず盛り上がっていました。
その中にはKaliという有名アーティストに作品を提供している人も来てくれていて(この人もコンサートに来てくれていた)、29日のKaliのライブにジョイントの話もいただいたのですが、その頃はすでにTokyoの空の下である事を理由にていねいに御辞退申し上げました。
残念!、ジャ~ン!。
さあ、そしてそのあとTumba Créoleがどうなったかというと.....。
いったんTriniteという島の北側にある街のホテル(ホテルというにはちょっとね......)に移動していたのですが、その後事務的問題が持ち上がり、つまり仕事をしていいよという御墨付きビザがとれなかったので、フェスティバル以外で予定していたりこれから作ろうと思っていたライブやステージができなくなってしまいました。
と、いうことは!?。
つ、つまり、、
き、こ、く!?!?。
はい~その通りでございます。あ~ッ!!、と思っているうちにすでに22日、成田の地を踏んでいたのでした(^_^;)。
う~ん、メンバーには残りの1週間でたっぷりマルチニークを満喫してもらおうと思っていた矢先の事だったので非常に残念ではありましたが致し方ない事なので(そのまま居て帰国できなくなってもいけないので)泣く泣く帰国いたしました。
当初の予定より短いマルチニーク滞在でしたしいろいろとメンバーにも負担の多い旅でしたが、Tumba Créole初めてのマルチニーク上陸はまずまずの成果を残す事ができました。
関係してくれたみなさん、マルチニークのみなさん、本当にありがとう。
そしていたらないリーダーを大きく包んですばらしい音楽を共に奏でてくれたメンバーに大きな感謝をもってこの報告を終わります。
Merci beaucoup!!
Tumba Créole 2005'マルチニークツアーメンバー
海沼正利(Percussion)
コスマス カピッツァ(Drums&Percussion)
櫻木伸之(Percussion)
小畑和彦(Guiter)
越智泰彦(Bass)
藤田明夫(Sax&Flute)
大塚雄一(Accordion)
柳川ひろこ(Violin)
やまもときょうこ(Vocal&Cholus)
横山好子(Cholus)