あれから30年
30年、あれから30年の言葉が、活字が次第に多くなる。もちろん30年は阪神淡路大震災からから30年であり、明日17日が発生日であり、これから6時間と何分かが発生時間である。
30年前の午前5時過ぎに発生した阪神大震災を知って初めてのテレビ映像が高速道路の倒れたものであった。衝撃的な映像がテレビ画面からあふれ出るから、仕事のことも忘れて見とれていたのは、遠い過去ではなく、つい何日か前の感覚になる。
ボランティア元年とも言われた阪神淡路大震災で、その後の奇跡的とも思える復旧復活には何度も感動し驚いた。多くのボランティアか駆けつけて、多くの業者が復旧復興にあたり、奇跡的な復興を果たした・
「がんばろう神戸」の標語を掲げた、イチローと仰木監督のオリックスコンビのテレビ出演が強く印象に残っている。仰木監督のファンであったから、自然にイチローも応援した。そして、二人のコンビに、改めて仰木監督の凄さを知った思いになったことも思い出す。その後のイチローの活躍、そして現在のイチロー関係のニュース見るたび、阪神淡路大震災と仰木監督を思い出す。
そして、阪神淡路大震災からの奇跡的な復旧復興の神戸や周辺のことを考えると、能登地震の復旧復興のことが自然に重なる。もちろん交通に制限もない阪神地方と交通制約がかかる能登半島とは比較できないし、周辺の事情や色々な違いがあるのは承知しているから、安易に比較はしないが、あれから30年の神戸と周辺の被災地の復興の奇跡を称賛するしかない。いち早く被災地に駆けつけた社会党の村山富市首相の必死の顔も思い出す。
6000以上の人々が犠牲になった大震災の発生日を前にして、先日。日向灘で地震があった。地震大国日本はその後に多くの地震が起きている。東日本談震災もあった。そして、東南海の地震も予想されれている。地震にも気をつけながら冬の大雪にも夏の台風もある。十分気を付けて災害に負けない覚悟も・・・したいと思う30年の声が大きくなる時間である。