ガザの人々がガザで暮らせるように
トランプ大統領は本気か、そんな通りが掛かりの人の会話が聞こえる。滅多に聴こえない通りがかりの日との会話である。通りがかりとは普通に言うと散歩中のということになるのかもしれない。散歩中の会話も年配の女性の会話なら結構離離れていても聞こえることはよくあるが、家にいて、しかも朝、通りがかりの会話である。男性の声だが、年齢不詳の声に、トランプ大統領の本気度を心配する、明らかに批判的な意味も込められている、勝手に判断するが、何に対して本気化は分からないが、でも、現在世界が最も注目するのは、イスラエルのネタニアウス首相との首脳会談なら、と考えてもやはり断定はできない。
単純に報道から判断すると、ガザをアメリカが支配するということかもしれない。
休戦で平和の真実の意味を知ったと仰るガザのお年寄りの一人は、トランプ大統領の影響力での平和かもしれない。そして生きていることに感謝しながらも、生きるということはガザで生きることであると言う。生きるということはガザで生きることだと断定する。ガザ意義の土地へ強制移住されて生きるくらいならと、言葉を飲む苦しみは、トランプ大統領には理解できない。
イスラエルと中東問題は複雑で分からないが、国家体な野望を捨てて、一般国民の最低限の生活、いわゆる生きることだけは神に任せて国家間の争で、無残に殺されることはないという保証の上に、話し合いで、また争いのかわりに、戦争のかわりにオリンピックをなどの、新たな解決策を見つけるために、トランプ大統領も力を発揮してほしいものだ。ノーベル平和賞を望むらしいトランプ大統領には、ガザの人々を救い故郷の土地で暮らせるようにすることが、アメリカの力を注いでガザの復旧復興への道を開くことが、しかも任期中の4年間で見事な復興を見せることが最も早く最も近いノーベル平和賞への道だと進言したいほどだ。
ノーベル平和賞にプーチン・ロシア大統領も可能性がないわけではないと、皮肉でもなく真実に思う。その方法は、ウクライナ戦争を停止し、線招致をウクライナに無条件で返還し、更にクリミヤ半島も変換し、ウクライナのNATOへの参加を容認することであり、周辺の国具との間に不可侵条約を結び、核兵器禁止条約に参加し核兵器を国連監視にして使用禁止への意思を示すことだろう。
米ロの大統領にノーベル平和が送られる日が来ることは、世界が、人類が初めて世界平和を実現で来たと思う日かもしれない。
もしそういう日が訪れると神は初めて安堵の思いになるかもしれない。人間を作ったことの悔やみを忘れることが出来るとの安堵感のうちに、神が安らかさを思う日が来ることはあるとは思えないが、せめて夢に見たい思いでの幻想であるが、そんな思いをかくして神に世界の平和を祈りたい。