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憧れを叶える人〜武田望

はじめに
この度ご紹介しますのは、世界に愛され続ける片づけメソッド「こんまり®︎流片づけメソッド」の伝道師、武田望さんです。憧れで始まった片づけから、人生を大きく変えていく彼女の壮大なスケールの愛に溢れるサクセスストーリーを、ぜひ最後までお楽しみください。

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武田望

【目次】
序章
1章 憧れと行動
2章 憧れと得意
3章 憧れに届かない時
4章 モヤ、晴れる
5章 手放せないもの
6章 人生を変える憧れ
7章 別れ
8章 憧れになる人 
あとがき

序章

 2017年、NYマンハッタンのスタイリッシュなイベント会場は、その日とても温かく優しい笑顔に溢れ、会場全体が割れんばかりの大きな拍手で満たされた。みんなの笑顔と拍手の先に立っていたのが、こんまり®︎流片づけメソッドの講師を務めていた武田望だった。

 世界を魅了するこんまり®︎流片づけメソッド。片づけを通して人生をときめかせるそのメソッドは、着実に世界中に広がり続けている。今回ご紹介する武田望は、そんなメソッドを開発した近藤麻理恵さんの世界でたった2人の愛弟子である。これまでに彼女がこんまり®︎流片づけメソッドを伝えてきた受講者の人数は、国内、海外述べ5000人を超える。そんな彼女の始まりは誰もが心に抱いたことのある感情「憧れ」だった。そして今、彼女自身が世界中のこんまり®︎流片づけコンサルタントの憧れである。憧れという原動力で彼女は今もなお、多くの人々にそのときめく世界を伝え続けている。

1章 憧れと行動

「私なんでも憧れから入ってしまうんです。」と望は話す。
 北海道のごく一般的な家庭に生まれたと話す望は、両親と2つ上の姉と4つ下の妹、彼女は3姉妹の真ん中として育った。ごく一般的な家庭で育ち、ごく普通に幼少期を過ごして育った。

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そんな彼女の憧れの始まりは「先生」という存在だった。

 転校生だった小学5年生の望にとって、若く一所懸命な女性教師、岡崎先生の存在は、とても力強く頼りになり、理想の働く女性像を目の当たりにする感覚だった。先生は男子に馬鹿にされてもひるむことなく、学級崩壊寸前のクラスを必死でまとめようと奮闘する。その一方で生徒一人一人に気を配り、真剣に向き合ってくれることが嬉しかった。
 毎日の宿題には先生との交換ノートが出され、決まってきめ細やかな返事を返してくれる。転校したてで、まだ頼れる友人もおらず、クラスになかなか馴染めずにいた望にとって、岡崎先生はとても頼りがいのある存在だった。

 そしてそんな頼りになる岡崎先生と関わるうち、
「いつか自分も先生のように、生徒たちを勇気づけたい。将来は教師になりたい。」と考えるようになっていった。

 時を同じくして、望はバスケットボーラーにも憧れる。
日本に一大バスケ旋風を起こした漫画「スラムダンク」にパッションを感じた。桜木花道の愚直さや、三井寿の挫折を乗り越える姿、個性豊かなキャラクターたちが一つの目標に向かって奮闘する姿に心を揺さぶられ、いてもたってもいられずバスケットボールを始めた。決して上手ではなかったが、ベンチにいる時も声を出し、練習を一所懸命に頑張ったり、チームで目標に向かって進む感覚がとにかく楽しかった。

「憧れるといてもたってもいられなくなるというか、自分もやってみたい!と思っちゃうんですよね。やったからといって、もちろん思い描いていたようにはならないけれど、目標を達成できないと悔しいというのとはまた違って。好奇心が満たされている事自体が嬉しくて。」と少し恥ずかしそうに笑いながら、望は当時を振り返る。

2章 憧れと得意

 高校生では文化祭など、イベントが近づくとわくわくした。参加することももちろんだが、中でも望の心を踊らせたのが、クラス制作だった。幼い頃から絵を書くことが好きで、学校のイベントの企画や看板・ポスター制作だったり、クラスTシャツをデザインする担当の募集には自ら手をあげた。望が作りだす作品の反響もよく、何度も作るうち

「デザインといえば望ちゃんだね」
「望ちゃんやってよ!」
と人に認められ、声をかけられ、頼られることがとても嬉しく、デザインを考え作り出していく工程も楽しかった。

 その経験からデザインという世界に興味を持つようになった望は、美術系の大学に進学する。講義や課題を通して、いろいろな分野の美術やデザインに触れることはとても楽しかった。何よりも望を興奮させる時間が製作。作り始めるとつい夢中になって、次から次に発想が湧いてきて、眠れなくなり、気づいたら朝になっているということが日常茶飯事だった。

「自分の頭の中にあったものを、実際に作り出していく時間がとても楽しくて、情熱を注いでましたね。正直に言うと勉強にはそれをあまり感じられなくて、
『あぁ、私は学校の先生という感じではないのかもしれないな。』と感じるようになったんですよね。」と望は当時を振り返り恥ずかしそうに笑った。

 大学時代の望の憧れはデザインだけでなく、生活のために必要なアルバイトの時間でも、彼女は憧れに近づこうと奮闘する。人と接するのが好きで、接客にも興味があった望にとって、当時アルバイトをしていた日本料理店での時間は、望にとってとても刺激的だった。
 もちろん栄養のバランスの取れた、美味しい和食のまかない料理も魅力的だったのだが、スタッフがみないきいきと働くことを楽しみ、お客さまの笑顔を作っていく姿にとても心を惹かれた。些細なことかもしれないが、お客さまが座っていれば、しゃがんで目線を揃えてコミュニケーションをとる姿や、お客さまを離れて観察し、その時求めているモノをさりげなくすっと差し出す姿がとても印象的で、望は先輩の姿をとにかく見てマネて、ひとつずつ丁寧に自分のものにしていった。

 自分の行動がきっかけで、お客様に、さりげなく替えのおしぼりを差し出したりして、相手が「あぁ、これ欲しかったの!」と、笑顔がこぼれる光景がとにかく楽しくて、

(もっと喜んでもらいたい。そのためには何をすればいいだろう?)
と常に考えるようになった。そうなると望はひたすら観察に徹する。

(私もこんなふうになりたいな!)
と思う人を見つけたら、とにかくその人を観察し、その人の行動で素敵だと感じたことをどんどんマネていく。そんな時間がとにかく楽しかった。

 魅力的なスタッフの中でも、ひときわ輝いていたのが料理長だった。器が大きくどーんと構えていて、いつもみんなを笑わせてくれて、常に全体に目が行き届いていて仕事ができて、ここぞと言うときには大切なことを伝え、本質的で、みんなをまとめてくれる姿に、私もいつかこんな人になりたいと思うようになった。

 ある仕込みが終わった夕方、休憩の息抜きに外へ出ると、大きな虹がかかっていた。
「わぁ、虹だ!なんかいいことありそうです!」と望が喜ぶと、
「虹が見れていること自体が『いいこと』なんだよ」と料理長が答えた。
(なんだかいいこと言われた!けど、どういう意味だろう?)と当時の望は深く理解できなかった。

 時がたち、今だからこそ、その言葉の意味を深く噛み締められると望は話す。
「良いことがありそうと思える瞬間そのものが、すでに良いこと。つまり、幸せはすでに手に入っていて、新しい何かを求めることよりも、今あるものを大切に抱きしめることが大事だと伝えてくれたんだと思うんですよね。」と、望は当時を振り返る。

3章 憧れに届かない時

 望の20代はまさに迷走期だった。
 憧れ学んだデザインをいかそうと、地元北海道の企業のデザイン部門に入社するが、思い描いていた世界は決してきらびやかではなく、蓋を開けてみると毎日会社のPC画面との睨めっこが続いた。同じデザインという行動のはずなのに、あんなに夢中で取り組んでいた大学の課題とは打って変わって、仕事というデザインの作業には全く情熱が湧いてこなかった。

「いつまでもこれを仕事として生きていきたいのだろうか?」
「私はどんな自分でいたいのだろう?」
自分と向き合い、迷いを感じた望は憧れたデザインという職業から離れることを決意する。

 その後ツアーコンダクターの仕事にもついた。接客で感じた感動が忘れられなかったことや、旅が大好きだった自分なら向いているのかもしれない!との考えから選んだ職種だった。しかし現実は思うように行かず、常に動き回り気を張り続ける仕事のストレスに、体が悲鳴をあげた。

「旅は好きだけど、仕事では向いていないのかもしれない。」と離れることを決意した。

 どんなに望の憧れる力が強くても、それだけでは食べて行けない。やりたいことがわからなくなった望は、この時初めて憧れを手放し、不本意ながらもいわゆる「ライスワーク」にシフトする。全くピンときてはいなかったが、札幌で営業事務の仕事についた。好きではない仕事の中でも、楽しい業務やその時その時没頭できる趣味の時間を見つけて、楽しく暮らしていた。

 それでも望の心の中には常に物足りなさがあった。
「本当にこれがなりたかった私なんだろうか?」と。

4章 モヤ、晴れる

 入社から数年、東京転勤になり総務部に配属され、慣れない仕事に四苦八苦していた望は、ある朝なに気なくテレビをつけると、片づけが特集されていた。
講師の先生はおそらく同世代で、若く、可憐で、可愛らしい女性。ブラウン管を通しても伝わる、彼女の明るく透き通るような魅力に、なんとなく目が止まった。その人こそ、望の人生を大きく変える人、当時本を出版し日本のメディアに取り上げられ始めていた「こんまり」こと近藤麻理恵さんその人だった。

(片づけか。できるようになれたらいいな。)

当時、望は正直片づけは全く得意ではなかった。むしろ苦手で、自分が片づけられないのは、もしかしたら何か自分にどうしようもない問題があるからかもしれないと、どこか上の空に思うほどだった。
 さらにその番組には、彼女のレッスンを受け、片づけを終わらせた後、起業したり、家庭がさらに良くなったり、人生が大きく動いたという人も出演していた。

(もし私が片づけができるようになったら、どんな世界が見えるんだろう?)

 片づけると心が整って、人生が変わる。片づけられないモヤモヤが晴れた後の世界を、純粋に知りたくなった。好奇心だった。また、こんまり®︎流片づけの中の大きな指標が、ときめきという自分の感性であることにはとても心地よさそうに感じた。

 30歳という大きく感じる節目が、望の目前に迫って来る頃、彼女は焦った。このまま仕方ないと諦めていた時の流れに抗いたくなった。

(このままじゃ嫌だ!)

それまでなんとなく蓋をしてきたモヤモヤとした自分の中の感覚を、この先もずっと持ち続けたまま、なんとなく人生を終えることが、とてつもなく嫌になった。

(30歳になるまでに片づけを終わらせて、30代はときめくステージに行きたい!
 変わりたい!)

 いてもたってもいられなくなった望は、どうしても近藤麻理恵さん本人に会いたくなった。片づけが苦手な自分を奮い立たせる、雷に打たれるように決定的な刺激が欲しかった。
インターネットで彼女の片づけセミナーに申し込み、受講した。1日のワークショップセミナーを受講し、片づけを始める。初めてみる近藤麻理恵さんはとにかく可愛くて、まるで妖精のような彼女の魅力に、終始うっとりしてしまった。帰ってさっそく片づけを始めたが、でも1人ではまだ上手く片づけきることができなかった。全てを自分でコントロールできる1人きりの片づけでは、モチベーションが続かなかった。

その後、平日夜の座談会があるとの情報が入り、とにかく片づけを終わらせたい一心で、その座談会に参加した。すると受講生限定に、近藤麻理恵さんのレッスンが受けられるとのことで、望は真っ先に申し込んだ。

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近藤麻理恵さん本人が家に来る。

その事実は間違いなく自分を奮い立たせた。なにがなんでもやらなきゃならない環境が、望の背中を押した。人生が変わるのを待つのではなく、変わると決めて、その環境を作ってしまう。そして近藤麻理恵さんが示す方向へ向かって、とにかく行動しやり切る。レッスンを受けている3ヶ月間は、書いて字の通り必死で片づけた。望にとって、大袈裟ではなく人生をかけた片づけだった。山盛りのモノを前に「もう嫌だ。」と倒れ込みたくなる時もあった。それでも大好きなものを選び出していく中で、自分の中に変化が起こり、色々な気づきのあったあの時間は、振り返ると楽しかったという。
 3ヶ月が経ち、片づけがすべて終わったとき、望の中には大きな変化が生まれていた。

「ないと思っていたものが、実はもう全部あったことに気づいたんです。」と
望は当時を振り返る。

理想の仕事じゃないと思っていた仕事。ときめく側面に目を向けると、自分を受け入れてくれて、人にも恵まれている会社に、心からありがたいと思えるようになった。なんとなく感じていた孤独感は、思い出の品を片づけるうち、家族や大好きな友人の存在に改めて気づき、今の自分をとても幸福に感じられるようになった。

「こんなに大切なやモノに囲まれている自分を、とても幸せだと感じられるようになった。
片づけの中で変わったのは、紛れもなく視点でした。人への感謝はもともと意識していたのですが、モノにも感謝するという視点を持てたことは、ほんとうに感謝することばかりで、すごく幸せだなと感じられるようになりました。」と望は話す。

5章 手放せないもの

 片づけの中で、自分のときめきを頼りにいろいろなものに感謝をし手放した。
 当時付きあっていたパートナーとも、そのときの望のときめきからは少し離れており、お別れすることを決めた。
「こんな私を好きでいてくれるのは、もしかするとこの世の中で彼しかいないかもしれない。」
そんな執着のような感情で今まで一緒にいたような気がして、それはときめきではないはずと別れを決めた。

 片づけが終わりパートナーとも別れた望は、その後片づけを仕事にすべく、奮闘する。その中で、婚活をしたり、いろいろな人とも出会い、自分の人生や結婚というライフステージと向き合い、それに対する自分のときめきと向き合っていった。ときめきという心の軸ができた望は、大きく変わっていた。結婚はしてもしなくても幸せになれる。また、この広い世界には素敵な人がたくさんいて、私は誰とでも幸せになれるという自信があった。

 時を同じくして片づけを仕事にしたいと、夢に向かって奮闘する望を陰ながら応援してくれた存在が、その時お別れした元パートナーだった。別れたとはいえ、仲のいい友人としての関係は続いており、定期的に食事をしては近況を報告しあったり、相談をしたりしていた。
 彼との時間はとても自然で、居心地が良く、等身大の自分でいることができた。

(あぁ、これはときめきだったのか。)

ときめきに気づいた望は、もう一度彼にそのことを伝えた。
彼はとてもとても喜んでくれた。復縁からまもなく結婚した。
そう、彼は今の夫その人である。今でも彼は多忙な望を側で応援し、励まし、支えてくれているという。

「彼の支えなしに今の私は絶対にないって、心底言い切れるんです。ほんとうに感謝しても仕切れません」と望は少し恥ずかしそうに笑った。

6章 人生を変える憧れ

 話は少しさかのぼる。片づけレッスンを通して、望自身の意識の変化を感じる中で、その人自身のモヤを晴らし、人生をときめかせていく、そんな人の変化の伴走ができる片づけという仕事の世界に憧れるようになり、もっと広めたいと思うようになった。片づけを仕事にしたいと考えるようになっていった。

「弟子にしてください!」

何度も麻理恵さんにお願いをしたが、今は弟子をとっていないのでと、柔らかいけれどはっきりとお断りされた。それでも諦めきれずいよいよ片づけが終わり、最後のレッスンの日、意を決してもう一度弟子入りをお願いした。

すると、
「弟子という形ではないけれど、もしよかったら明日セミナーがあるから手伝ってみますか?」と麻理恵さんが申し出てくれた。
嬉しかった。

 セミナーや片づけレッスンのサポートから始まった修業時代は、とにかく片づけ一色だった。麻理恵さんのレッスン、講座、取材等の片づけ現場に「手伝わせてください」と自ら頼み込み、自腹で全国各地にサポートして、背中を見て学んだ。また平日は会社で働き、土日は片づけの修行。優先順位の1番は片づけだったので、早くスキルを身に付けたくて、友人や同僚からの誘いも断って、知り合いやモニターを頼りに、自主的に片づけを手伝わせてもらった。片づけでときめくという軸があったからか、誘いを断る罪悪感はなかった。今自分がときめくやりたいことを、明確に認識できていたので、時間もエネルギーも真っ直ぐにそちらに注ぐことができた。修行期間中は大変ではあったが、目の前の人のときめきに立ち会うことが楽しくて仕方がなかった。どんなにキツくても不思議とやめたいとは思ったことはなかった。

 そんな多忙な一年があっという間に過ぎた。その年の望の誕生日、片づけに同行していた麻理恵さんがニコニコとやってきて、一冊の本を手渡してくれた。偶然にもその日は近藤麻理恵さんの2冊目の著書「人生がときめく片づけの魔法2」の発売日でもあった。

麻理恵さん直々にいただいた著書の表紙を開いてみると『弟子入り認定 & Happy Birthday』と書かれていた。涙が止まらなかった。嬉しくて嬉しくて。

「“望さんの収納のスキルと、情熱に男気を見せました”と笑顔でおっしゃる麻理恵さんの粋な演出に、感謝の想いでいっぱいでした。見た目はしなやかで美しく、中身は芯が通っていて凛としているあり方は、まさに私の憧れの人です」と当時を振り返る。

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7章 別れ

 望は3姉妹の真ん中。ある日の午後、YouTubeで当時ハマっていたアイドルの曲を聴いていた時、父からの電話が鳴った。ときめく時間が一気に絶望の闇に変わる。

「落ち着いてきいてね。お姉ちゃんが倒れた。」

父の声のトーンにとにかく行った方が良さそうだと感じ、急いで用意をして、とにかく羽田空港に向かった。とにかく早い便をと受付カウンターで頼み込み、泣きながら飛行機に乗り、病院に向かった。病院に着くと、姉は緊急手術を受けていて、父と母、姉のパートナーと一緒に小さな家族室に通された。長い、長い時間だった。

医師に呼ばれ姉の状況を知らされた。生きるか死ぬかという医師の言葉に、頭が真っ白になった。

それからの毎日はとても苦しかった。ICU(集中治療室)の隣にある、家族の部屋に泊まり込み、毎日姉の命が今日を超えるかという次元での会話が続く。そんな中、母がお姉ちゃんが履いて帰るからとその部屋に置いていた、姉がその日履いて家を出た、紫色のスニーカーを、家族で見つめながら時が過ぎていった。
 何かできることはないかと、脳の権威と言われる先生に連絡をしたり、神社にお参りに行ったり、身の回りを整えることを繰り返したが、状況が転じることはなかった。

 しばらくして一般病棟の個室に移ることになった。積極的な治療法はないということを意味していた。

 姉のために何ができるだろう。移ったばかりの個室を見回し、望はハッとした。自分だからこそできること。それはこの空間をときめかせること。麻理恵さんに習った通り部屋にご挨拶をし、姉が好きな物、ときめくだろうもので部屋を飾り、音楽をかけ、空間を整えていくと、部屋の光が変わったように感じた。また姉もそれを喜んでいるように感じた。病室の空気が一気に変わり、輝く出した気がした。

「あぁ、モノにはこんなにも力があって、いつも私たちを応援してくれてるのかと感じたんですよね。」と望は振り返る。

入院から2週間、姉は34歳でこの世を旅立った。今でも姉の紫のアシックスのスニーカーは実家の玄関に大事に置かれている。

その時感じたことは、人は最後は何も持っていけないという事実だった。どんなにモノに囲まれて、執着しても、誰も何も持っては逝けない。それならば、本当に大切なモノに囲まれて、その人らしく、軽やかに生きる人を増やしたいと望は考えるようになった。

第8章 憧れになる人

 時がたち、弟子入りから5年が経った2017年、望は、片づけコンサルタントとして、全国各地で片づけレッスン、企業講演、メディア出演、さらにコンサルタント育成など多岐にわたって活動していた。結婚もし、子供も産まれた頃、麻理恵さんから一本のメッセージが入る。

「2ヶ月後、ニューヨークでコンサルタント養成講座があるので、その講師をぜひ、望さんにお願いしたいんです。」

初の海外登壇。世界各国から100名ほどの参加者が集まるセミナーを私にできるか?責任が重大すぎる。まだ乳離れしていない娘もいる。様々な不安もよぎった。夫に相談すると、娘はぼくが見るから行ってきなと背中を押してくれた。家族に感謝しながら、お引き受けすることにした。

とにかく準備をして、当日に備えた。もちろん怖かったが、でもそちらに気を取られないよう、徹底的に当日の理想の流れを思い描いた。最後はみなさん笑顔で受講してよかったと言える状態を作ると決め、いい反応も悪い反応もとにかく妄想して出し尽くし、コメントを用意し、できることをやり尽くして、その上で怖いとう感情に目を向けることを手放した。2ヶ月間で出来ることはやり切った。これでダメなら仕方がないと思えるところまで準備を整えた。

 いよいよ講演当日への旅が始まった。5泊6日、飛行機→前泊→講演→宿泊→飛行機という、最短スケジュール。その間、「娘は僕に任せて」と言ってくれた夫の言葉が、ほんとうに心強かった。現地に着くと、麻理恵さんの夫である川原卓巳さんをはじめとする、現地チームの完璧なサポート体制に支えられた。空港まで迎えにきてくれ、望が講演に集中できる環境を徹底的に整えてくれた。

 いよいよ講演が始まる。こうなると決めて臨んだ本番。日本とは違ったエネルギーが会場を満たしていた。足がガクガクと震えた。なんとか受講者にはわからないようにできていたとは思う。それでも自己紹介の間は緊張が拭いきれなかった。
 しかし、いざ話し始めると、不自然な緊張感はするすると解けていった。会場全体がアメリカらしい大きなリアクションで望を受け入れてくれたことが、とてもありがたく、純粋にその場を楽しむことができた。
 また、片づけのエピソードを共有する場面では、会場全体で共感できたり、その人のエピソードに涙する人がいたり、通じ合えている瞬間を感じることができた。それはその場を作る講師として立っている望にとって、温かく込み上げるものがあった。

 講演も終盤になり、最後のメッセージを望は会場のすべての人にこう話した。

「今、どんなにモノに囲まれていても、最後は何も持っていけない。だったら、もっと心身ともに身軽になって、本当に大切なモノや人と、大切にできる人生を歩んでほしい」と思う。
私は、それを伝えたくて、この仕事を続けています。

「みなさんがこの片づけを通じて、伝えたい思いは何ですか?」その思いが伝わった時、この世界は今よりもっと片づいているかと思います。

 「そんな世界に、あなたはときめきますか?」
その世界を一緒につくっていきましょう!

 メッセージが終わった時、会場全体が温かく優しいエネルギーで満ちていた。すると1人が立ち上がった。すると次々に会場にいた人が立ち上がり、場内はオールスタンディングオベーションとなり、大きな拍手とたくさんの涙と笑顔で満たされた。

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望の最高のイメージ『みんなが笑顔で終わる状態』をはるかに超える光景に、彼女は驚き涙が溢れた。そこに加えて、現地のサポートスタッフがとても大きなカードを手渡してくれた。受講生自らが自発的に寄せ書きを用意し、中にはメッセージがところせましと書かれていた。また涙が溢れた。最後に麻理恵さんが登場し、成功を喜び合い抱き合った。もう涙は止まらなかった。
 最後は修了書をひとりひとりに手渡すときも、熱いメッセージに胸が熱くなった。感無量だった。
 当日まで抱いていた、海外の人はどんな反応なんだろう?とか、このメソッドは本当に海外の人に伝わるだろうか?という不安など、あっさりどこかに吹っ飛び、通じ合えた喜びで満たされた。「このメソッドは、世界中の人々の人生を変える力がある。」その自信は確固たるものになり今でも活動の原動力になってる。

 想いに国境などなく、必ず伝わるという自信は、講師人生において最高の経験となった。

その後もサンフランシスコ、ニューヨーク、ロンドンで講師を経験し、講師として成熟した時間を過ごした。
 今、望は日本で日本の片づけを進めている。こんまり®︎片づけコンサルタントの育成だけでなく、コーチングスキルも活かした、オリジナルメソッドのSeeds Discovery Coachingや、ビジネスコーチとしての活動を始め、その活躍は多岐にわたる。

 そんな望にとっての片づけとは何かという問いに、彼女はこう話す。

「わたしにとって片づけはときめきの塊。出会うお客さまも、一緒に働く人たちも、出会う経験も、ときめくことだけで仕事ができている、幸せを日々噛み締めています。」

「またいろいろな経験から感じたことは、人って本当に最後は何も持っていけない。
だったら今生きているこの環境を大好きなものだけを持って、シンプルに軽やかに大切にしながら、幸せに生きてほしいと思うんです。
それを多くの人に伝えていきたい。モノや執着に縛られてないで、一度しかない人生をどうか軽やかに、幸せに生きてほしい。いつか土に還るまで、自分自身を愛し、満たされながら、誰かのために自分の経験や思考や体、極端に言うと爪の先までも使い切り、たくさんの人の役に立って地球にポジティブなエネルギーに変えて循環して行きたいと思うのです」とも。

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あとがき

 まずはじめに長い文章を最後までお付き合いくださって、ほんとうにありがとうございます。
 望さんのお話を聞いていると、自分の役割とはなんだろう?と考えずにはいられません。妻として、母として、ライターとして、わたしが伝えたいことは何だろう?と、キーボードを叩きながら、想いを巡らせていました。
こんまり®︎流片づけメソッドの始めのステップは、理想を描くこと。「理想を描く」を類語辞典で調べると、「憧れる」「望む」という単語が上がってきて、とても驚きました。そんな時、私がマーケティングを習っている#selfmediaという団体の福田基広社長が「理想を描く力とは、人に与えられた最上の動力源だ」というお話を聞き、執筆中にこの言葉に出会えたこと、巡り合わせというものはすごいものだなぁと、心底思いました。
最後にこれまた執筆中に出会った、マハトマ・ガンジーの言葉をご紹介して、あとがきとさせていただきます。

「見たいと思う世界の変化に あなたがなりなさい」 マハトマ・ガンジー

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interviewer:masaki
writer:hiloco Nakamatsu
編集:武田望

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