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【作品】構成の「据わりがいい」とは

私が写真、映像を撮る、編集、構成するとき、「据わりがいい」かを気にしている割合が多い。

「据わりがいい」は複合的な意味を含んでいて、「ヌケ感がある」「ダサくない」「気持ちがいい」「かっこいい」「美しい」「バランスがいい」「そのクリエイティブを使う場所にハマっている」、これらのパラメータが高い水準でまとまっている事を指している。

カメラを持ち始めて2年目ぐらいの時に私の写真はファッションフォトなんだと理解した。きっかけは写真を複数枚を並べて置こうとした時にまるで雑誌を編集している感覚になった事だった。

人物でもスナップでも共通して据わりのいい絵をセレクトするし。敢えて崩す絵(外し、ハズし)もピックアップする。全体のバランスが完璧すぎても全体の据わりがよくならない。こういうところが面白い。

きっと私は純然たる意味のカメラマンでは無いだろうと自覚している。THE LADSではディレクターという役割を名乗っているが、それがクリエイティブに於いて行っていることに一番近いと思う。
私が全てのSNSアカウントで「masa / direction of photography」としているのもそこに理由がある。

プライベートの撮影でも、クライアントワークでも、どこかでディレクターとしての私が第三者的な視点を持ちながらカメラを持つ私に指示を出している感覚がある事に気付き、いつの間にか染みついた。

個人的にはゴールを設定し、逆算してプロセスを想像して準備するのが好きだったりするので、今回は撮影前の準備、撮影時の思考、その後の編集と構成を実際の絵を引用しながら解説(+α)してみようと思う。

※各写真にはlnstagramのリンクを埋め込んであるので、参照ください。



Nocturne

スタイリングとしてリファランスにしたのはアーヴィング・ペン。
モデルの持つ雰囲気が和的な方向なので、それを活かしつつモードさを取り入れたかったので衣装はそのイメージで依頼をした。ハット、グローブはこちらで用意。メッシュグローブなんてフェティッシュの塊みたいなアイテムだけど、彼女ならセクシャルに転ばない確信があった。

メインルックは1、4枚目。過去何度か撮影したことのある彼女だけど、単純にスタイルが良いということでない「造形としての美しさ」を持っている。
なので、顔という人の情報量の多いパーツを隠し、その美しさを表現する事に徹した。撮影中、「静」的な絵が多かったので、合間に2枚目の様な「動」の絵を抑えておいた。ハズしで入れてアクセントに。

またアウトフォーカスも意識的に入れた。メインの1枚目すらも前ピン。
色数を絞って赤を引き立てる、「静と動」「フォーカスとアウトフォーカス」で対比を作り、露出のアンダートーンは統一的にという10枚組。



Rose

先ほどとは違って、現場で掬いあげる形で撮影。ロケハン無し、1時間だけ撮りましょうとだけ認識を合わせておいた。その場の一発撮り、「ドキュメンタリーにします」とだけ伝え、撮影に臨んだ。

彼との出会いは意外なところだった。私が1年間だけフィットネス選手として活動していた頃、ポージングのレッスンに通っていた頃に出会った。
野生を感じるルックスに対比された知的な空気がとても良いなと思っていた。自身でカメラを持ち始めて、彼を撮れる水準になったら声をかけようとあたためてあたためて打診し、引き受けて頂いた。

そのタトゥースタジオは私の好きなアメリカンカルチャーの宝庫だった。
整然と並ぶインクボトルの横に置かれたホットロッド系のトイ、ガラス細工の照明、フレグランスのボトル、フラッシュ、デザインブック。

限られた撮影位置から寄り引きを意識して絵に残した。結果的にどれも素晴らしい絵になったけど、8枚目をメインカットにした。絵に力があるので、それ以外は「場」を入れたかった。

彫りが進む間、ストリートスナップをする様に先ほどのカルチャーを私の眼で残していく。そしてメインカット以外のほぼ全てをそのスナップで組んだ。

データを並べ、構成をしながら、ひとつのタトゥーが出来上がるまでの過程が主役だなと考えた。登場人物は2人いらっしゃるが、2人ともはっきり顔が映るカットは敢えて入れていない。ただそこに流れた素晴らしい1時間と空間を表現したかった。

タイトルはその日彫られたタトゥーのモチーフだ。


And her

人物を撮る際、実は衣装、メイク(髪型)をきっちり決めることはそれほど多くない。決めるのはロケーションだけで、衣装やメイクは「ここに合いそうな感じで」と伝えるパターンも7割ぐらいある。(クライアントワークの時は別)

この時はそのパターンだった。
実は人を選んで、場所を決めた時点で人を撮るということの6−7割は決まっているように感じる。現場でできることはそれほど多く無い。
1年後のスケジュールならともかく、大体1ヶ月ちょい先とかのスケジュールで抑えているので、そこから自身が大きく変化や進化はないからだ。なので実際の現場で撮るものはそれまでの自分の蓄積だと捉えている。

話は戻って衣装やメイクの話。その人にお願いする時点で私はその人の感性にお願いしていると同義だと思う。

どのようなファッションにする、髪型にするか、メイクは?ネイルは?アクセサリーは?その場で想定や想像していたものと合っていても、(いい意味で自分では選ばない感性の物が来て)違っていても、そのズレすらも楽しめる。

「あ、そう来たのね」「じゃあこうするよ」
そうディレクションし、私たちはクリエイティブで会話する。
写真に限った話ではなく、映像でも、アパレルでも変わらない。

この時のモデルをしてくださった彼女も過去数回撮影させてもらっていて、感性はある程度把握できていた。スタジオは西海岸テイスト、サーフっぽいノリのインテリアにいくつかのグリーン。そこに合わせてニュートラルなメイクで来てくれていたので、休日の午前中の様な空気を作っていった。

ミラーレスの大三元レンズも持っていったけど、結局使わずPENTAXのオールドレンズ50mm一本で撮り切った。肌が見えるカットは敢えてアウトフォーカス多め、ヘルシーなスキントーンでまとめた。

1、10枚目を先に決め、6枚目をメインカットに据え、どこか寝起きの様な視点を意識して他の絵をセレクトした。繰り返しになるが、「場を撮る」。これを意識するだけで、一気に世界は作りやすくなる。

ではその「場を撮る」にはどうすればいいの?になると思うが、それは日々どれだけ「自分の目で見つけているか」の繰り返し。スナップの中で見つけても良いし、写真集の中に見つけてもいいし、日常の中で自分の目をレンズにしてもいい。

経験則になるが、36ページぐらいまでの人物写真で組むならメインカットは2−3枚あれば良いと思う。特に顔がはっきり写っている、人物がしっかり認識できる分量の絵ならなおさらだ。
それぐらい人の顔は情報量が多く、インプットされる印象が強い。それを連続で見せるとステーキばかりが並ぶコース料理の様になってしまう。

人が主役ではなく、絵を主役にする。組を主役にする。組から生まれる構成を主役にする。そして、作品を主役にする。その順番で取り組むと分かりやすいと思う。


Shadows


SNSでモノクロのスナップの絵を出す際、「shadows」というタイトルを付けることが多い、それは光を追っているようで実は影を写しとりたいという潜在的な欲求を表しているのだろうと自己分析している。

たしかLUMIX BASE TOKYOにセンサークリーニングを依頼し、当日受け取りの仕上がり待ちの90分ほどで撮ったスナップをまとめたものだったと記憶している。


スナップの組はシンプルに「共通」と「対比」にすることが分かりやすい

この作品の場合
・1、5枚目の組は形状の共通、露出と色の対比
・2枚目は構図の共通、露出と距離の対比
・4枚目は構図の共通、色とハイライト/シャドウの対比
・6枚目は構図の共通、逆光、順光の対比
・9、10枚目は少し特殊で、9枚目の2枚の要素を複合すると10枚目の絵になる
・その他は外しとして時間経過を語らせる為に配置

たった10枚の組にここまで詰まっており、絵のひとつひとつに役割を与え、全体の据わりの良さを求めて構成している。そして一番大切なのは「構成した感」が伝わらない様にすることだ。

「構成した感」が見えた瞬間、見る者は冷める。種明かしをされながらマジックを見せられる様なものだ。
「構成した感」が見えないからこそ、世界を想像する余白が生まれる。




156ページの写真集を出した今だからはっきり言える。いい絵を撮る人はかなり居るが、いい「組」や「構成」ができる人は本当に少ないと思っている。単写真を追いがちなSNSの影響もあるだろう。編集者が表に出にくい環境なんだと想像している。

言及されることは少ないが、商業で発売される写真家の写真集の多くが自身で構成していない場合が多い。編集者とデザイナーが入り、第三者の視点からプロの仕事で構成とデザインを決めていく。そしてその作品は写真家○○の作品として世に出ていく。
少し前だけどクリエイティヴはひとりで活動しにくい時代に突入していると書いたけど、一緒にするのは乱暴かも知れないがこれもそういうことだと思う。チーム戦なのだ。

ここまで書いておいてなんだが、もし貴方が何かのクリエイティブを世に出そうと考え、組や構成に真摯に取り組み、上手く行かなかったとしよう。
その時は組や構成を得意とする人を探し、相談や依頼する道もあると思う。

いい絵を撮る能力といい構成を作る能力は別物だ。
野手とピッチャーぐらい違う(でも野球で戦うという共通ルール)と思う。

最後に少し脱線したが、私の中でディレクションは「役割を与えること」「意味と価値を付けること」だと理解している。
それは組写真というミニマムな単位から、クライアントワークのプロジェクト、プライベートでの作品作りという他者と接点を持つ場に於いても変わらない。

その上で、写真でも、人でも、アパレルでも私やプロジェクトに関わるメンバーが「据わりがいい」ところを常に模索するようにしている。

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masa / direction of photography
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