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『Chasing Light』孤軍奮闘のゲーム制作から光の地を探す旅に

 『Chasing Light』はゲーム制作を題材にしたゲームで、輪郭線だけで描かれた人物は監督やプロデューサーといった役職で呼ばれ、固有の人名を与えられていない。作者によると、枠組み(frame)だけを残した作品で、特定の国の人にしか響かない物語ではなく、どこの国でも起こりうるし、起こっている物語だという。独創的な試みに対し、会社を辞めて自分でやれと圧力をかける人はどこにでもいるのだと。

Steamストア: https://store.steampowered.com/app/1247110/Chasing_Light/

 戦闘シーンの制作現場は、まるで演劇のように、ステージの上で俳優を撮影するという表現に置き換えられている。ゲームの素材は新規に作るのではなく、アセットストアでオブジェクトやBGM、SEを買うという夢のなさ。プレイヤーはアセットを選んで購入し、演技の最中に敵の攻撃速度を上げ下げするだけでよい。攻撃が激しくなるほど娯楽性と「興行予想値」が上がっていくが、俳優が死んでしまうリスクも高くなる。ただし俳優なんてものは死んでもいくらでも代わりがいて、慰謝料でも払ってやればそれで済む。ゲーム制作と映像制作がごちゃ混ぜになった地獄絵図!

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 積んでいたこのゲームをプレイしたきっかけは、先日「令和ビデオゲーム・グラウンドゼロ」にゲスト出演させていただいたとき、いろんな映画を観ている若い人が作った興味深いゲームとして、葛西祝さんが『Chasing Light』を挙げたからである。検索してみると、ソーシキ博士もこのゲームを取り上げている。それならこのゲームがハズレということはないだろうと思ってプレイしたが、何しろ空虚な画面と罵り合いと鬱屈した内容のゲームなので、プレイを続ける気力が削がれていった。もうちょっと心に余裕があるときでないと無理かなと思いながら、光の地を目指して旅をすることになった「監督」がいかだに乗ったときの会話で少し気持ちが軽くなり、先に進むことができた。

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 ゲーム紹介はこのくらいでいいだろう。終盤に、押し寄せるようにして感情が揺さぶられるシーンがあって、それまでとガラッと変わるということだけ書いておく。ラストは感動的。

 ただ、このゲームを肯定してしまっていいのかは悩ましいと思った。徹底的に自問自答しているその姿勢は凄いとしか言いようがないものの、自分と向き合うことが主眼であって、この作品はどこまでも自分に厳しい。出資者や批評家、先輩プロデューサーの口を借りて、脳内の自分会議で自分を激しくなじっているようなものだ。そういった激しさから生まれてくるものを、あなたは愛せるだろうか。ストアページには「人々が愛してくれるゲームを作るために必要なものが何なのかについて考えてみてください」と書いてあるが、この作者に聞いても、そんなことはちっともわかる気がしない。スタッフがいなくなり、結局は自分一人でゲームを制作した人が、どの口で言うのか。これはそういう矛盾を抱えた作品である。

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 すべての登場人物のボイスを作者が演じており、まさに自分会議
英語と日本語に翻訳したのも作者自身

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