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この世界を伝えるために

日常写真とストリートスナップは相変わらず撮っている。ただ2年前より頻度は減った。

家を建て都心から離れ、通勤時間は長くなり在宅を駆使して本業をしている中、休日は飼い始めた犬のお世話と車に乗って出かけるようになった。

日常写真とストリートスナップを撮り続けた日々の果てに、今なにを撮りたいのか?なにを表現したいのか?いろんなことをインプットして、言葉にしてようやく微かに見えてきている。

とりあえずワンちゃんかわいい。

ワンちゃんのことは一旦置いておいて、これまでの写真を振り返っていこうと思います。
このきっかけはKenさんのnoteについてのツイートが始まりです。


写真を撮る意味

日常写真は自分の中でもいくつかのフェーズがあるように思う。そもそもの始まりはコロナだったし、コロナがなかったらSNSで写真なんかやってなかったと思う。それぐらい意味合いが大きい。

コロナが始まりの日常写真

始まりはこれ。
PhotoVOGUEに数年ぶりに出してみた結果キュレーションいただいたもの。
ここから写真熱が復活した。

コロナパンデミック中は自転車に乗って行ける範囲で多摩川を撮るような生活をしていた。
青とオレンジを基調とした色には、コロナと切っても切り離せない要素になっていること、そしてSNSと言うかTwitterのコロナバブルと言われていた時期に参入したことが重なっているんじゃないかなと思っている。
最近はこの色あまり撮っていなくて少し遠い過去のように感じている。

でもここはまた今の状態で撮ってみたい。
コロナのパンデミックは自分の生活圏がどれだけ美しさに満ちているのか知るきっかけにもなったし、散歩して撮るだけでも得られるものはたくさんあったようにも思う


ストリートフォトはどこを見ている?

徐々に解禁されるにつれ街中もあらためて撮るようになっていった。ストリートフォトグラフィを撮ってはいたけれど、何を撮っているのかはよくわからないままだった。
既視感ではないもの、既視感に纏う違和感を探していたようにも思う。

ミニマルと動体の狭間を探すような旅
延々とカメラ持ち歩いて常に撮り続けるような…没入感があった気がする。

Tomokosugaさんが展開していたジャメヴという言葉に一つの答えを見たような気はした。ただこれでも自分なりのテーマになるような、強固な指針になるようなものは見つかった気はしていなかった。

熱のおさまりと撮るモノの変遷

あまとーさんのツイートに誘われて5分間の長秒がきっかけだった。
5分の間に動くものの動かないものを思い知る衝撃があった。
写真は1/n秒の時間を閉じ込めるのだけれど、5分の時間の中に空は動くし、ビルは動かない。ビルは動かないけどビルに当たる光模様は不思議な質感を描く。

たった5分だけど、たった5分の映像にはない動きが閉じ込められていることを写真から知ることができた。
写真に時の移ろいや何かの変遷を閉じ込める力があることを知った。


色を失うこと

以前書いたモノクロに感じることの正体。
ここにも書いたけれど、色を失うことで何かが足りていないことから来る不安定さや揺らぎ、失っていることを補填することで見えているものを鮮明に知ることになった。

色を失うことで見えるざわつきは一つの自分なりのテーマを見つけることに寄与してくれた。
色があるものとないもの
その狭間にあるもの
そこへ変遷するときに見えるもの
そこに何があるのかを探してみようと思った。

これからの写真で伝えたいこと

それが音のない世界とある世界への移動を発見するきっかけだった。

ズームレンズは便利だけど、ズームする過程を閉じ込めたらどうなるか?
露出を絞りで変えるけど、その過程を閉じ込めたらどうなるか。
それを実験し始めた。

距離と時間の移動がそこには写っていた。
光と時間だけじゃなく、距離すらも、物事の移動すらも一枚の写真に残る。
そこの閾値を見つければ良いのではないかと仮説を立ててみた。

ムーブメントと閾値

the sound threshold(音の閾値)という一つのテーマでそれを表現できるものを写真なのか、アートプロダクトなのか、メディアアートなのかわからないけれど、見つけ出す旅を今始めたところ。

やっと吐き出せた。

今年はこれをテーマとした制作、日々さんに誘われた名古屋での展示。
そしてGW中には発売開始したいTurnerBlend
よろしくお願いします!

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