ルールも大事だけど。
最近、コロナ関係のニュースで世の中がまた忙しくなり始めていますね。
確かに一時(俗に言う"第一波")よりも、むしろ今の方が本チャンなんじゃないかと思わされる。
暑がりの身には夏とマスクのコラボがしんどくて仕方ないが、仕方ない。
ややこしい言葉遊びをしてる場合じゃないか。
「終わりが見えない」というのは、想像以上にキツイ。
テレビでインタビューを聞いていても思うし、自分に置き換えてもやはりキツイなと思う。
どこに向かって踏ん張ればいいのか分からないまま宙ぶらりんにされれば、そりゃ鬱憤も溜る。
そんな空気を国も感じないわけが無く、だからこそ何とか未知の状況を打開しようと色々試行錯誤している。自粛要請とか、何とかキャンペーンとか。
そういう時期だから、必然的にルールが増える。モノは試しなので、もちろんやってみなきゃ分からないことしかない。
やってダメなら別の案にする。朝令暮改という言葉で非難されることもあるのかもしれないけど、個人的にはある程度は仕方ないのかなと考えている。これまでやったことないことに挑むのだ。一発で最適解に行き着く方が珍しい。
私が「あれ?」と感じるのは、むしろルールを受け取る側-つまり、「こっち側」の態度だ。
例えば。最近チョコチョコ出される自粛命令。これだけ続くわりに、守れている人も多い印象を受ける。
違和感を覚えるのは、その後。
ニュースで流れる自粛期間明けの街頭インタビューで時折聞く、こんな声。
「自粛期間終わったので、久しぶりに飲みに来ました。」
理屈としては、すごく分かる。現に一定期間指定されて自粛してねと言われ、それが終わったから外に出る。至極真っ当。
でも、なんか変だなと思ってしまう。そういえば最近よく聞く「早くルール作ってほしい」というコメント。これもだ。同じ違和感。
自分なりに考えてうっすら気付いたのは、いつの間にか我々が「ルール待ち人間」になってるんじゃないか?ってこと。
もちろん今のような緊急事態において、トップがある程度の指標・決まりを全くつくれないとなると困る。でもそれはあくまで、私たちが自分たちの行動を決定するための「材料」に過ぎないはず、、、ですよね?
こういうことを言うと、ただの材料なら自己判断で要請を破ってもいいのかと言われてしまいそうだが、それは「自粛期間終わったから外でます」と実は大差ないなと私は感じてしまう。
コロナに関して言えば、本質は「出来るだけ広げない」であって、その意識を持ってもらうための色々なルールのはずだ。
私が最近覚える違和感は、
「ルールが出ればそれに従う・守る」
「ルール外の状態になれば、そこでおしまい(=ルールは守ったでしょ?)」
世の中からこんな空気を感じるからだ。
要するに、いつの間にか「ルールを守るゲーム」みたいになって、本質がどっかに置き去りにされてるぞ、と感じているということです。
もちろん今の世の中全部の話ではないし、こんなことを言ってる自分どうなんだ?ということはしっかり見つめないといけない。
が、私の直感がかすっているとしたら、私たちは今不気味な未来を生み出している気がしてならないのでした。